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第7話

 ヨイチの家は、屋敷という言葉がピッタリのとんでもない豪邸だった。  お世話になって1ヶ月。ユウリは、図書館のような書斎で、一日のほとんどを過ごした。  ヨイチの勧めで、通信制の学校にも通い始めた。  久しぶりの勉強は思いのほか楽しく、押し寄せる衝動のままに、ひたすら知識欲を満たす。  コータはというと、一度だけユウリの前に姿をあらわした。  ヨイチの家に移り住んだ翌日のことだった。  まだ薄暗い早朝。ユウリは言い争う声で目覚めた。  コータとヨイチの声。胸騒ぎがする。  コータは海外に出張だと言っていた。なぜ、こんな時間にヨイチの家にいるのだろう? 「報復のつもりかっ!!」 「俺は無理矢理連れてきたわけじゃない。提案しただけ。ここに来たのは、本人の意思だ」 「手を出したら許さない」 「そのつもりがなくても、魅力的なフェロモンで誘惑されたら、自信ねーな」 「なんだとっ!」  ユウリのことだろうか? ドアの前で躊躇している間に、声がひと際大きくなった。  ガチャンと食器の割れる音に慌てて部屋に飛び込むと、コータがヨイチの胸を締め上げていた。 「コータ!! 何をやっているんだっ! その手を離せっ!」  ヨイチを庇うように、間に入る。コータの乱暴な姿に驚愕する。  コータは、まさかヨイチを庇うとは思わなかったようだ。  一瞬泣きそうな顔を浮かべたあと、すぐにギラギラと怒りに燃えた目を向けてきた。 「αだったら、誰にでもついていくんだな。そこまで、淫乱とは思わなかった」 「なっ!」  コータの方が、よっぽど倫理観がない。  本命の番がいるのに、手を出してきたくせに。  マウンティングのためだけに抱いたくせに。  ユウリ個人ではなく、Ωとしか見ていないくせに。  言いたいことは、いっぱいあった。だけど、感情に言葉が追い付かない。  それに、口を開けば、悔し涙がこぼれ落ちそうだった。  泣き顔をコータに、見られるのは屈辱だった。  ユウリは一言も発することができないまま、目を真っ赤にして睨んだ。  コータは背を向けると、降参するように両手を挙げた。 「ユウリの考えはわかった。僕のことを受け入れる気はこれっぽちもないんだね。それなら、僕にも考えがある」  今まで耳にしたことがない、背筋が凍りつくような冷たい声だった。      ■ □ ■ 「勉強は進んでる?」 「うん。学ぶことが、こんなに楽しいとは思わなかった」  食事中の和やかな会話。ヨイチはどんなに忙しくても、夕飯には必ず帰ってくる。  屋敷には一流のシェフがいるが、最近はユウリ作の夕飯。  そのほうが、ヨイチが喜ぶから。  ユウリが作るのは煮物などの素朴な家庭料理。  地下に潜っている時代に自己流で覚えたものだが、一流ホテルや料亭での会食が多いヨイチには、好評だった。  ヨイチの喜びそうな料理を作り、その帰りを待つ。  そして、一緒に食事を楽しみながら、その日の出来事を報告し合う。  まるで、番のような穏やかな生活。   「うわっ! また、こんな辛気臭いご飯を食べてるのっ?」  突然の乱入者。  メイだった。  なぜか、毎晩、食事の時にやってきては、料理に文句をつける。  儚げ美人の仮面は取り去り、すっかり素をさらけ出している。 「メイも食べる?」 「うん……」  文句の割には、しっかりとおかわりまでする。 「メイ? ウロウロと不用意に出歩くな。そんなお腹だとΩって一目でわかる。Ω狩りに狙われやすい」 「は? 平気だよ。妊娠中のΩを、狙うヤツなんていない」 「世の中には色んな人間がいるんだ。危険だ」  ヨイチの強い口調に、メイは顔色を変えて睨み付けた。 「どうせ、僕が邪魔なんだろっ! ユウリと二人で番にでもなればいいさっ!」  メイは立ち上がって部屋を飛び出た。  ヨイチが追いかける。 「どこに行くんだ?」 「コータの家に帰るんだよっ!」 「……そうか。じゃあ、送っていく」 「いらない。誰かさんと違って、優しくて綺麗なコータに迎えに来てもらうからっ!」  メイはヨイチの腕を力任せに振り払うと、玄関を走り出た。 「ヨイチっ! メイが行っちゃうっ! 早く、追いかけなよっ!」 「コータが迎えに来るんなら、俺は必要ない」  ヨイチは、不自然なほどの頑なさで拒んだ。  そして、ユウリの腕を掴むと自分の方に引き寄せた。 「前から思っていたんだけど、ユウリってΩなのに、匂いに鈍感だな?」 「え?」  ヨイチが顔を寄せてくる。  近い。 唇がくっつきそうな距離。 「どう? 何か感じる?」 「ええ?」  何かとはなんだろう?  不思議とα狩りの男たちに感じていた恐怖や不快感は湧かない。  むしろ、安心するような居心地のよい感覚を覚える。  ユウリが考え込んでいると、ドアが急に開いた。メイが駆け込んでくる。 「何やってるんだよっ! ちっとも追いかけて来ないから部屋に戻ってみたら!!」  両目からダラダラと涙を流し、ヨイチの胸を拳で叩く。  ヨイチはそんなメイを愛おし気に抱きとめた。  ユウリに再び問いかける。 「まだ、わからないか?」 「え?」  ヨイチは、メイの髪を持ち上げた。  メイの細い首筋があらわになる。 「あっ!」  そこには、噛み跡。 「ユウリ? これでわかったか? メイと俺は番なんだ」 「ええ!?」 「普通は匂いで察知できるはずなのに、どうしてお前はわからないんだ?」 「どうしてって言われても」  それは、ユウリが聞きたい。  メイはコータの番じゃなかった。  急にそんなことを言われても、手放しで信じることは出来ない。 「メイは、コータと番になるって言ってただろ? 三人で暮らすとも言った……コータが愛しているのは自分だけとも言った……全部、嘘だったのかよっ!?」 「……うん。嘘」 「な、なんで、そんなことをっ!」  憤りで呼吸困難になる。  なんで、なんで、なんで……。  心の中で、同じ言葉を何度も繰り返す。  胸が張り裂けるような、あんなに苦しい思いをすることはなかった。  こんなに悩むこともなかった。  コータと離れ離れになることもなかった。    酷い。酷過ぎる。 「だって、ムカついたんだもん」 「はあ?」 「ユウリの態度がさ、ムカついたんだよ。だから、ちょっと意地悪しただけ。すぐに、匂いでバレるって思ってたから」 「はああ?」 「ユウリってさ、Ωのことを見下してるだろ? 淫乱な雌犬って。自分だけは違う、まともなんだって顔をしているのがどうしようもなくムカつくんだよ」 「……そんなつもりは……」 「そうなんだよっ。自分だってΩのくせに、Ωのことを色眼鏡で見て差別してるんだよっ」  そんなことはない。  覚醒以来、個の存在を無視され、Ωという属性だけで見られてきた。  コータすら、ユウリをΩとしてしか見てくれなかった。  そのことに、誰よりも傷つき苦しんでいたのはユウリだ。    本当に……?  ……違う。  メイの言う通りだ。  誰よりも、Ωという属性を嫌っていた。  Ωに覚醒してしまった自分を受け入れることが出来なかった。    だから、コータの手を拒んだ。  Ωの自分を見られたくなくて、コータから離れた。    ユウリのことをΩという属性でみていたのは、ユウリ自身だった。   「メイ……ごめん。メイの言う通りだ……自分が恥ずかしい」 「急に、素直に謝られても……」  メイが泣きはらした目で、モジモジしている。  可愛い。心の底から、メイが可愛いい。  はじめて、本音を伝えることができた。  そして、本音を、話してもらえた。  ようやく、分かり合えた。  メイと友達になれた気がする。  嬉しい。もう、一人じゃない。 「メイ?」  ヨイチがコツンとメイの頭を小突く。  それに答えるように、メイがそっぽを向きながら小さな声で呟いた。 「僕も悪かった。意地悪してゴメン」 「よく言った」  ヨイチがガシガシとメイの頭を撫でる。  そして、優しい口調で続ける。 「もう、気が済んだだろ? 帰ってこい。マタニティブルーは終わりだ」 「そんな言い方じゃダメだよ。やり直し」  ヨイチが、ぎょっとしたように身じろいだ。  姿勢を正して、かしこまる。 「メイ? お願いだから、帰ってきてください。俺には、メイが必要です。赤ちゃんと三人で暮らそう。かならず、幸せにします」 「そこまでいうのなら、帰ってきてあげるよ」  メイは、花が咲いたようなとびっきりの笑顔で答えた。  この二人、とても良い関係だな……そう思った途端、どこかからふわりと優しい、心が安らぐ匂いが漂ってきた。甘くて幸せな匂い。  匂いの先には、ヨイチとメイ。  そうか、これが番の匂い。  Ωである事を受け入れた途端、感じることのできる匂いの種類が変わる。  今まで見ていた世界が別の色に染まる。    番は、αとΩだからこそ築くことができる最高に幸福な関係。  ユウリもコータとそんな関係を築きたい。  唐突にΩでよかったと思った。呪うばかりだった運命に、初めて感謝する。  Ωだからこそ、コータと番になることが出来る。  コータ、コータ、コータ……。  愛しさが溢れ出る。    ――もう一度、コータにプロポーズしよう。  ユウリは、ギュッと襟元を握ると、心に固く誓った。         

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