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第8話

コータ視点です。  コータは、フォーマルなスーツに身を包み、100階建てのヤクマカンパニー本社ビルの最上階にいた。  ヤクマカンパニーの新規ブランド立ち上げのレセプションパーティに招かれていたからだ。  ヤクマカンパニーは、産業、金融、運輸、マスコミ等あらゆる業界に子会社や関連会社を有する、経済の中核を担っている世界有数の大企業。  経営権を創業家のヤクマ一族が掌握するという同族経営を死守している。  家族という形態が一般的ではない、この世界では非常に珍しい。 「よお、コータ。お前も招待されていたんだな? 調子はどうだ?」  ヨイチが意味ありげな笑いを浮かべながら、シャンパングラスを片手に近づいてきた。  ヨイチとは、ここ1ヶ月、言葉を交わしていない。  チラリと視線をやるが、無言で横を通り過ぎる。  この男とは、しばらく距離を置くつもりだ。  絶対に、許さない。  この男はこともあろうに、コータの大事な人を奪い去ってしまった。  それも、自分の番が、コータの部屋に居ついてしまった仕返しに。  ヨイチは、コータの態度に臆することもなく、ニタニタと笑いながら言葉を続ける。 「昨夜は、久しぶりの逢瀬に燃えたか?」 「はあ?」  しまった。  思わず、反応してしまう。  一体、何が言いたいのか。  誰が誰と逢瀬を重ねるというのだろうか? 「え? ユウリと寝なかったのか?」 「は? ユウリはあなたの屋敷にいるのに、どうやって僕が手を出せるのっ?」  口調に怒気が混じる。この男は、人の神経を逆なでるのが上手い。  コータは、イライラと親指の爪を噛んだ。 「本気か? 昨夜、お前の部屋に送って行ったんだけど?」 「え……」  ヨイチが焦った口調になる。真剣な表情。  コータのことを揶揄っているのではない。 「どういうこと?」 「ユウリがお前の所に帰るって言うから送って行ったんだ」  昨夜は会食があり、帰宅は22時ごろだった。  もちろん、部屋には誰もいなかった。  ユウリが一瞬でも部屋に入ったのなら、気配ですぐにわかるはず。  嫌な予感に、背筋がざわつく。 「何時ごろ? ちゃんと、家の中に入るまで見届けたか?」 「……21時ごろにマンションの受付で別れた。コンシェルジュが責任もって部屋まで送り届けるっていうから」  思わず、頭に血が上り、ヨイチの襟口を掴みかかる。 「どうして、ユウリを一人にしたんだ」 「……すまない。本当に申し訳ない。俺のミスだ。お前のマンションはセキュリティがしっかりしているし、油断していた」  ヨイチの顔色はすっかり変わっていた。コータはもっと尋常ではない色に染まっている。  コータはスマホを取り出すと、管理会社に電話をかけた。  動揺で指先が震える。  そういえば、昨夜のコンシェルジュは知らない顔だった。  コータの姿を見ると、顔を隠すように俯いていた。  今から思えば、不自然だった。  あの時に、詰問していたのなら状況は変わっていたかもしれない。  激情のあまり、息がつまる。  ユウリは、特別な人だった。  例えるなら、黒豹のような人だ。すべてが完璧で美しい。  絹のような漆黒の髪に人形のように整った顔。  長い手足にしなやかな体。  勉強は学年で一番だったし、運動も万能だった。  誰もが憧れる人だった。  αの中のαだと誰もが思っていた。  そんな彼が覚醒したのは、意外にもΩだった。  バイブが鳴る。管理会社からの折り返しの連絡だった。  コンシェルジュが急に辞めたこと、防犯カメラの映像から、ユウリの姿が途中で消えていたことが伝えられた。  Ω狩りだ。  最近は、番のΩですら標的となる。  ましてや、ユウリはフリーだ。  居ても立っても居られず、ほとんど走る勢いで、会場の出口に向かう。  一刻も早く、ユウリを救いに行かなきゃならない。  そんなコータの肩をヨイチが引き止めた。 「コータ、落ち着け。俺も一緒に探す。闇雲に動いてもダメだ。おそらく、組織的なものだ。街中で襲われるのとは違う。手荒な真似はされていないはず」 「落ち着いていられるかっ! 他人事だから、そんなに冷静でいられるんだっ! こんなことをしている間にもユウリが……」  悪い想像が頭をよぎる。  汚らわしい男どもに、好き勝手に蹂躙されている姿。  泣き叫ぶユウリ。  体中の血液が沸騰しそうだった。  今すぐ助けだす。どんな手段を使っても。 「そうだ。お前の代わりに俺が冷静に判断するんだ。このパーティに招かれているのは要人ばかりだ。要人は番を持つ人が多いし、他人事じゃない。協力を惜しまないだろう。まずは、情報収集だ」  会場を見渡す。  経済界の人間のほかに、政治家、マスコミ関係、警察関係……確かに、いろいろな業界の人間が揃っている。  そのとき、ザワザワとどよめきが起こった。  社長のヤクマが会場に姿を現したのだ。  ヤクマカンパニーのトップ。それは、絶対的な権力を有することと同義。  ヤクマは、年齢は50歳過ぎ。質の良いスーツに身を包み、ロマンスグレーの髪を後ろに撫で上げている。体躯は鍛えられ、全く年齢を感じさせない。  一見、紳士的で柔和そうにみえるが、目的のためには手段を選ばず、やり口は容赦がなかった。  何人もの人間が、ヤクマによって破滅させられていた。彼を恨む者は多い。 「ヤクマ社長に助力を仰ごう」  警察は、あてにならない。  Ωに対する拉致、監禁は罪に問われない。  つまり、今回のユウリへの行為は犯罪とはならない。  コータとヤクマは、面識も直接的な仕事上の関わりもない。  このパーティの招待状も、なぜ、コータに届けられたのか不明だったほどだ。  だが、そんなことは言ってられない。  それなりの代償を求められるだろうが、どんなものもユウリには代えられない。  マンション周辺の監視カメラの映像を手に入れ、足取りを追う。  人身売買やブラックマーケットの情報も得て、関連を探る必要もある。 「ヤクマ社長の新しい番をみたか?」 「新しい? ということは、今まで番はいなかったのか?」 「ずっと前に、死に別れたらしい」 「それで、新しい番というのは、どんなΩだ?」 「とんでもない色香の極上のΩだった」 「番になっているのに、フェロモン垂れ流し?」 「それが、極上のΩってことだろうね。一度、お相手をお願いしたいものだ」  後ろで、誰かの話し声が聞こえる。  番ったばかりであれば、協力してもらえる可能性は高まる。  その時、心臓が締め付けられるような切なくて魅力的な匂いが漂ってきた。  すごい勢いで拍動を開始する。呼吸が浅くなり、頭がクラクラとする。  冷静じゃいられない、この美しい匂いはユウリのものだ。  コータは走り出す気持ちを必死で宥め、辺りを見渡した。  ユウリがいる。すぐそばにいる  カチリと入り口が開き、両脇を抱きかかえられるように連れて来られたのは、ユウリだった。  華やかなパーティドレスに身を包んだ姿は、息をのむように美しい。  ユウリからは発情期でもないのに、蠱惑的な匂いとフェロモンが発せられている。  番を有するものは、その番以外には発情しない。  そんな常識を打ち破り、会場内の番を持つαまで、ユウリに反応してソワソワしている。  無数のギラギラとした欲望の眼差しが向けられる。 「ユウリ!」  コータは堪らず、ユウリに駆け寄った。  ユウリに再び会えた。  ユウリが無事だった。  ワラワラとどこからか湧き出た人間が、二人の前に立ちふさがる。 「ユウリ! よかった」  ユウリは、コータの呼びかけにも反応せず、虚ろな目を会場に向けている。  その目は、何も映していない。  おかしい、ユウリの様子が変だ。  コータの胸の動機が激しくなる。 「ユウリっ? コータだよ!! わからないの?」 「やめてもらえますか? 私の番に何か用ですか?」  ヤクマだった。  ヤクマは、不敵な微笑みを浮かべながら、見せつけるかのようにゆっくりとユウリの首筋を撫でた。  そこには、噛み痕。  番の確かな印。 「よくも、僕のユウリにっ!!」  番は、絶対に解消できない、永遠の契約。  無理矢理に引き離そうものなら、地獄の苦しみを与える。 「リーシー」  ヤクマが勝ち誇ったように微笑んだ。 「私の番の名前は、ユウリではなく、『リーシー』です」 「なっ!」 「リーシー? 皆にお前を紹介するからついてきなさい」 「はい」  ユウリは、ヤクマに腰を支えられながら、フラフラした足取りで、コータの前を通り過ぎた。  目の前のユウリとヤクマからは、どこか共通した匂いが漂ってきた。  番になると、匂いが似通う。それは、まぎれもない番の証拠となる。    コータは、最後まで留まることは出来ず、会場を後にした。

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