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 静かな店内に、食器を拭く音と猫の小さな寝息、それから…彼らの密やかな睦言が響く。  決して露骨ものではないが、潜められたそれは愛の言葉だ。 「……」  握り締められた手が、ますます白みを帯びる。  ――――どうして  繰り返す言葉が、 「ご馳走様でした」  出て行く二人の声にかき消された。 「ありがとうございました」  マスターがそう言うと、眠っていた猫ははっとしたように立ち上がり、伸びもそこそこに二人の開けた扉を飛び出していく。 「次のお客さんを迎えに行くのかな?」 「かもしれないな」  くすくすと笑いあう二人の、ペアらしい指輪をはめた指先は触れあっている。  マスターはともかく、他の目もあるのに…と彼は胸中で呟く。 「またのお越しを」  彼らを見送って、マスターは皿を片付け始める。 「―――」   やはり「どうして」の言葉が響く頭を緩やかに振り、残りの珈琲を一気に飲み干した。 「先程のお客様が、気になりますか?」 「えっ!?ああ…」  何と答えていいのか言葉を詰まらせる彼に、マスターが柔らかく微笑む。 「同性の恋人を持たれる方を見たのは初めてですか?」 「あ、の、  いや…」  偏見と取られたのか思わず赤面して俯いた彼に、マスターは優雅な手つきでおかわりを置く。

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