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グラスの用意や仕込みをするが、キン…と音がしそうなほど冷えた空気を思うと今日は客が少なそうだった。
そして案の定、誰も客が来ないのをいいことに、カウンターの中の椅子に腰かけてぐでんと背もたれに寄りかかる。
「それで?今回は?」
「え?」
にやりと笑う垂れ目に酒瓶を投げつけたくなるほどイラついいたが、雇い主なのでぐっとこらえた。
「どんな理由でケンカしたの?」
「ケンカって言うか…」
ケンカなのだろうか…
しかも理由が定かじゃない。
カレーがきっかけなのは違いないだろうが…
ケンカらしいケンカはアキヨシのあの態度にキレたあの瞬間からか?
「えーーーと…店長はカレーには福神漬け派?らっきょ派?」
「は?」
「キョウちゃんはマンゴー派!」
今度はオレが「は?」と返す番だった。
「ちなみに俺は納豆派!」
「待て、何の話になってる!?」
納豆と聞いてだらりと汗が流れる。
卵などは聞いたことがあるが、今聞いた二つは明らかに聞きなれないトッピングだ。
「納豆にはカレー!あ、違った。カレーには納豆!旨いよ!」
「却下」
「マンゴーよりはおいしいもん!」
「知るか」
ぎゃいぎゃい言い始めた二人を眺め、「どっちもどっちだよ」と突っ込む。
「って言うか、そんなくだらない事でケンカしてんじゃなかろうな?」
「え?えー…カレーって言ったらさぁキーマカレーだよね」
「何それ?」
「あと、椎茸入れたりするよね」
「入れないよ」
「入らないよね」
「え!?マジで!?」
「トマトは入れるけど」
「え!?入ってるの!?」
「一昨日のにも入れた」
ざぁっと青ざめたケイトはトマトが大嫌いだ。
「それにローレルを入れずにシナモンを入れるしな」
「…変わってますね」
「で?そんな事でケンカしてるとか言わないよね?」
「……………………してませんよ」
「はい!うっそ~」
「~~~~っ!ケイトっ!!」
バタバタと逃げ出すケイトを追いかけて客席側に飛び出したオレに苦笑が届いた。
「つまらない事でケンカしてんじゃねぇぞ」
「だ、だって……」
最初は、本当に些細な事で…
記憶にすら残らないような「ムッ」とした感情で…
それが呼び水みたいにどんどんと、普段なら「へぇ」で流せることが気にかかって…
それから…
それから…
会話が続かなくなって…
「謝る…って言うんじゃないんだけど………元に戻すきっかけ探してるうちにさぁ…なんか……すれ違っちゃって…」
追いかけなくなったオレの傍にケイトが来て、俯いたオレの頭をぐりぐりと撫でる。
「で、結局ケンカになっちゃった?」
「ん……オレ、すげぇ怒鳴って…さ…」
よしよしと背中を擦られて、傍のスツールに座るように促された。
拭われて初めて泣いてる事に気付いて、恥ずかしさに身を縮める。
「後悔してるならさぁ、後は簡単じゃん」
「簡単って…言うけど……さぁ。呆れられてたら…とかさ」
大人げない態度を取ったオレに、もしもアキヨシが愛想を尽かしてたら…とか考えないわけじゃない。
結婚しているわけじゃない。
気持ちが薄れた時、一線を繋ぎとめてくれるようなものもない。
止めようと思えば、簡単に解消できてしまえる。
お互いの気持ちしか縛り付けるもののない、頼りない関係。
些細なケンカがアキヨシの気持ちを切ってしまうかもしれない。
「簡単だろ?」
携帯電話を片手に持った悟り顔の店長がにやりと笑う。
「とっとと謝ってこいよ!」
そう言って見せられたメール画面には、
───ケイゴの機嫌どうかな?怒らせたから謝りたいんだけど───
「………」
「向こうも、きっかけ探してたんじゃないのか?気持ち云々考えるのも大事だろうけどさぁ」
小さな苦笑。
「まず、やらなきゃいけない事があるでしょ?」
「………」
ず…と鼻を啜るオレの背中をケイトが押す。
「今日は雪が降るって天気予報も言ってたし、お客さんも来ないだろうから帰っていいよ!」
「それは俺のセリフだ!」
ぎゅむっとピンク色の頭が抑え込まれる。
「今日はもういい、とっとと帰れ」
そう言う二人に追い出されるように店の扉をくぐる。
一層冷え込んだ空気が喉を焼くような、そんな錯覚すら感じる寒さにぶるりと震えが上がってくる。
「…早く帰ろう……」
途中で甘い物でも買って、紅茶を入れて…
仲直りしたアキヨシと、降るかもしれない初雪を見ながら話がしたい。
明日の朝御飯のこととか、
もうじき生まれる甥っ子のお祝いのこととか、
クリスマスをどうするとか
そんな他愛ないことを話したい。
急いで階段を駆け上がり、顔を上げた途端立ち止まった。
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