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5 明砂(Jul.18th at 16:00)

 30畳ほどの広いリビングで、同じカウチソファに並んで座り、大型プロジェクターに映し出された、流行りの動画を見る。明砂と怜の距離は近い。 「…今日ね、病院に行ってきたんだ。」  明砂は独り言のように呟いた。 「どこか悪いの…?」  怜が心配そうに明砂を見つめた。 「健康管理アプリがアラートを鳴らして、検査して貰ったけど、どこも異常ないって。」 「そっか、良かったね。…アプリのバグかな?見て上げようか?」 「それも検査済みだから、いいよ。でも、有難う。」  断られた怜は、少し残念そうな顔をした。 「仕事、忙しいの?」 「今は落ち着いてる。けど、明後日から忙しくなる予定なんだ。」 「え?じゃあ、明後日から来ちゃダメ?」 「うん…。国家機密に関する仕事を請け負ってね…。ここで仕事をする許可を得た代わりに、部外者は立ち入り禁止にしなきゃならないんだ。」 「国家機密?何、それ?凄いね。」  怜は大学生でありながら、実業家の顔も持っている。  彼が16歳の時に開発した、フェイクニュースを瞬時に見破るアプリケーションが功を奏し、莫大な利益を得たのだった。そこから起業して、順風満帆な生活を送っている。  明砂は大きな溜息を吐いた。 「明々後日(しあさって)から夏休みだし、ちょっとピンチだな…。」 「ピンチって何が?」 「千咲さんと、二人きりになるのが辛いんだ。」 「ああ、明砂君パパの再婚相手の人ね。彼女と上手くいってないの?」 「それ以前の問題…かな。あまり話せてないから。苦手ってわけじゃないんだけどさ…。怜君は彼女をどう思った?」  明砂の問いに、怜は戸惑いの表情を浮かべる。 「…どうって、軽く挨拶したくらいだからな。…美人っていうか、可愛い系だよね?」 「そう!可愛いんだよね!いい匂いするし、体付きはエロいし…。」 「え?体付きは普通でしょ?…って、明砂君、もしかして彼女を意識してるの?」 「意識というか、ムラムラというか…。」  普段なら絶対口にしない表現を、明砂は口にする。怜相手だと、何故か話せてしまうのだ。 「わ、ショックだな…。可愛い明砂君が、そんな事言うなんて。」 「僕、もう17だよ。そんなの普通だよ。ひとつ屋根の下に可愛い女子居たら、妄想のひとつも湧き上がるもんでしょ?」 「可愛い女子って…、彼女、30オーバーだよね…?」  冷めきった表情で、怜は鼻で笑った。 「怜君はさ、彼女とかって、欲しくないの?」  明砂は探るように問う。怜は甘いマスクと包容力で、モテない筈はないのに、彼女がいるという話を聞いた事がなかった。 「今は仕事が第一かな。…でも、ちゃんと経験はあるよ。」  後半部分を耳元で囁かれ、それを聞いた明砂は赤面する。 「そ…そうなんだ。…いつの間にか、大人になってたんだね。」 「ただの処理的な感じでね。…って言ったら、軽蔑する?」 「…しないけど、ちょっと心配…かな。」  伏し目がちになった明砂に、今度は怜が問う。 「そっちはどうなの?…お父さんや樹人君以外と、キスは出来た?」  そう言われた明砂は、今度は耳まで赤くなった。  明砂は過去、溺愛される余りに、父や兄から唇にキスをされる事がたまにあった。それは明砂が拒絶しなかった、中学一年の終わりまで行われ、何度か怜に目撃されたていたのだった。  家族とのキスが、日本だとそこまで一般的ではないと怜に指摘された時、それは明砂にとって、恥ずかしい行為となった。 「キス…とか、もう、全然してないから!」 「本当に?」 「本当に!…ってか、家族とのそれは、カウントしないのが普通なんだって!」  強く言い放って、話を終わらせると、明砂は夏休みの身の置き方で悩み始めた。 「…なるべく新婚の二人の邪魔をしたくないしさ、…アメリカの兄さんのとこにでも、行ってこようかなぁ。」 「樹人君も彼女がいるんでしょう?…同棲してるって聞いてるけど?」  怜によって選択肢を閉ざされ、明砂は頭を抱えた。  そんな明砂に、怜は別の選択肢を与えるような話題を振る。 「先月くらいに話した、アルバイトの件、覚えてる?」 「ん?…あ、そう言えば、なんか言ってたよね?…チケン?とかいう…。」  明砂は記憶を蘇らせる。お金には困っていないので、喰い付かなかった話だ。 「そう、治験だよ。治療の臨床試験の略ね。…これをもう一回見てみて。」  怜のデバイスへの、一時的なアクセス権が明砂に送られた。それを得て二人は繋がり、AR機能での視覚を共有した。  怜がひとつの書類データを提示した。それはA4サイズの電子ペーパーをコピーしたものだ。  発行元は大手製薬会社のカディーラ・ジャパンとなっており、被験者募集の要項が記されている。 「機能向上の為のサプリメントの治験で、一ヶ月近く施設に拘束されるけど、学生の場合、その間の学校行事は免除されるんだって。…って、直ぐに、夏休みだけどね。」 「…っと、言うことは宿題も?」 「施設でも出来るものに関しては、免除されないと思うけどね。」  明砂は残念そうな顔をした。それから腑に落ちない事を問う。 「…でもさ、どうして、こんなバイトを勧めるの?こういうのって、お金に困ってる人とか、定職に就いてない人とかが、やるやつじゃないの?」 「別に勧めてないよ。…最初にこれを見せた時にも言ったと思うけど、俺自身が興味を持っただけ。機能向上のサプリメントなんて、面白そうじゃないか。」  明砂は難色を示す。 「そうかな?…機能向上って具体的になんなの?一時的にαになれるとか?…そんなのだったら、怜君には必要ないサプリじゃない。…僕だって別に、今更、αになりたいとか思ってないし。」  怜は二度軽く頷くと、笑顔を見せた。 「分かってるよ。…だから勧めてないって言っただろう?」  そう言って、怜は書類データの表示を消した。 「あ!」  データが消されると、明砂は思わず声を上げた。それから怖ず怖ずと懇願する。 「…うん、でも一応、この申し込み用のデータ、貰ってもいい?」 「いいけど…。確か、データじゃなくて、実物があったかな…。」  怜は意外そうな顔をしたが、少し考えた後、別の部屋から電子ペーパーを持って来た。 「これに直接サインすると、申し込みが受理されるから、迂闊にサインしちゃダメだよ。」 「うん、分かった。…有難う!」  これは最終手段だと思い、明砂はそれを受け取った。

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