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6 明砂(Aug.1st )

 結局、明砂は夏休みに家に居たくないという一心で、治験の申し込みをしてしまった。  一人だと不安だったので、友人達、数人に声を掛けたが、予定があると断られてしまった。  一ヶ月近く、施設内に拘束されてしまうのだ。断られて当然の結果だろう。  この治験の募集要項には、定員数と指定日時は書かれていなかった。  明砂は夏休み開始から7月末日まで補習授業に参加し、8月初日より治験に参加する事にした。  家族に治験のアルバイトの事は言えず、大手企業の体験合宿に参加すると嘘を吐き、午前9時過ぎに明砂は一人、家を出た。  タワーマンションの52階から一気に地下まで降り、地下鉄へ乗り込む。何処から集まってきたのかと思わせる人波の中、座席に座る事は出来なかった。  都会で暮らす限り、人口減少は嘘としか思えない。  明砂は角膜内デバイスのAR機能で、ナビゲーションを起動する。  目の前にMAPとルートガイドが表示されるが、共有者登録をしない限り、その情報を他人に見られる事はない。  目的地は9駅先で別の路線に乗り換えてから、3駅目にあった。そこはカディーラ・ジャパン本社専用の駅で、地上へ出ることなく辿り着けると、ナビゲーションが事前に説明した。  乗り換える路線は、明砂が普段、利用しないものだった。  多少の緊張感を持って、乗り換えを行う。その直後、明砂は一人の青年に目を奪われた。  降り口付近に立つ、黒いサマージャケットを着た彼は、すらりと背が高く、一際整った容姿をしていた。  肩に掛かりそうな長めの髪は、光の加減で青く見える。年は20代前半といった辺りだろうか。 ――綺麗な人…。モデルとか、してる感じだな。…でも、大き目のショルダーバッグは、何かの技術職っぽくもある…かな?  明砂が彼を秘かに観察していると、彼が胸ポケットに引っ掛けていたサングラスを掛け、こちらを振り返った。  視線に気付かれたと思った明砂は、慌てて彼から目を逸らす。心なしか、心拍数が上がった。  やがて目的地に到着する。初めて訪れる場所に、明砂は緊張の面持ちでホームに降り立った。  会社専用の駅だからなのか、地上に出るゲートは見当たらない。逃げ道を断たれてしまった感覚に陥る。  下車したのは、明砂を含む十二名。全員が治験参加者なのだと推測できた。その中には明砂が気になった彼もいる。サングラスの所為で分かり難いが、彼は慎重な面持ちで、辺りを窺っている様子だった。  地下玄関に通じるセキュリティ・ゲートを、一人ずつ(くぐ)る事になり、自然に列が出来始めた。明砂もその流れに乗って、列に加わる。  ふと、サングラスの彼を見ると、直ぐには並ばずに、その光景をじっと眺めていた。 ――あのサングラスって、スマートグラスじゃないかな?…もしかして、僕達を撮影してる?  明砂は直感的にそう思った。こういう時の勘は当たる事が多い。 ――…でも、何の音もしないし、ランプの点滅もない。  明砂は首を傾げる。  瞳の中にあるインプランタブル・デバイスや、スマートグラスでの撮影が主流になってから、盗撮が容易になってしまった昨今、撮影中に警告のメッセージや、光の点滅、注意を引くような音が発せられる為、周囲に気付かれないように撮影するのは、他のウェアラブル・デバイスと比べても、より困難になっていた。 ――気のせいだったかな…?でも、もし彼が探偵だとしたら…?  明砂は今、夢中になっているミステリー小説の探偵を思い出し、そのイメージを彼に重ね、気分を高揚させた。すると、その熱い視線に気付いた彼が、にこりと微笑んで、前を向くように指を差す。  明砂は反射的に彼から目を逸らし、前を向いた。そう見せ掛けて、再度、彼に視線を走らせる。すると、彼が1cm ほどの、小さな何かを飛ばすのが見えた。 ――今、飛んでった虫みたいなやつ、もしかしてドローン?写真データを、あのドローンに転送して飛ばしたとか…?あの人、本当に探偵とかだったら、格好良すぎる!!  明砂が妄想に酔いしれている間にも、列は進んでいく。  真後ろに並ぶ女性に、無言で前に進むように示唆された明砂は、前方に意識を移した。  列に並んでいるのは40名ほどで、その殆どが20歳前後とみられる女性だった。  男性は10名に満たない。それを意外に思った明砂だった。 ――エステとか、美容系のサロンにでも行くような感じだ…。結構、可愛い子が一杯いるな。これを機会に、彼女が出来るかも…?  ふと明砂は、すぐ目の前に立つ少女に目を留めた。金に近い髪は腰近くまであり、そのスタイルは大き目の服で隠されている。明砂が通う高校では、余り見掛けないタイプだ。  自分より10cmほど低い位置にある肩に、明砂は思い切って軽く触れ、話し掛けてみる。 「ねぇ、これって、機能向上サプリの治験なんだよね?」  話し掛けられ、振り返ったその顔は、まだ幼さの残る美少女といった感じで、ダークブルーという珍しい瞳の色をしていた。年は自分と同じくらいだろうと、明砂は判断する。 「うん、そう聞いてるよ。」  思いの外、低い声で返され、明砂は一瞬、固まってしまった。 「もしかして、俺の事、女だと思った?」  少女だと思った事を、見透かされてしまい、明砂は慌てる。 「ご免ね!…気を悪くしないで。」 「よくある事だから、気にしなくていいよ。…それに俺は、女になりたい人種だから。」  初対面にも関わらず、彼は易々とカミングアウトしてきた。明砂は動じる事なく、それを受け入れる。 「そうなんだ…。君は可愛いから、女の子になっても、違和感がないと思うよ。」 「有難う。あんたも可愛いよ。」  二人がこれから打ち解けようとした処で、少女のような彼の受付けの番がきた。  セキュリティ・ゲート前に設置された発券機のような物から、指示が出る。 「プレートを一枚お取り下さい。その表面を舐めて、ランプの点いた挿入口に入れて下さい。」  彼がそれに従うと、数十秒後に今度はタグ付きのアームバンドが出てきて、腕に装着するように指示があった。  唾液による遺伝子検査が、これで完了したのだろう。これは簡易的な検査で、学校等でも、よく見掛ける光景だ。  明砂も同様の事をして、タグ付きのバンドを受け取った。タグにはBの文字がある。それを左腕に装着し、セキュリティ・ゲートを通過した。  その先は一人乗り用のエレベーターで、乗り込むと、明砂の予想を裏切り、それは更に地下へと移動していった。  降りた先は小さなプラットフォームといった感じで、薄闇へ伸びる線路が見える。  駅名や場所を示す文字もない事から、この地下鉄道は会社独自のものなのだろうと推測できた。  今、ここに居るのは明砂を含めて、20歳前後の男性5名で、明砂より先に行ってしまった、金のロングヘアの彼の姿は見当たらなかった。  グループ分けがなされたのだと、明砂は気付く。 ――あの子の名前、訊けなかったな…。そして、やっぱり女子は、別グループになっちゃうのかー!  明砂ががっかりしていると、一両編成の地下鉄が到着した。  白一色のその車体を珍しく思った明砂は、瞳の中のデバイスを使って写真を撮ってみた。  その直後、保存先にアクセス出来ないと、エラーメッセージが表示された。  貴重な内部ストレージは、ライフログのバックアップデータが殆どを占めている。許容量ギリギリに、お気に入りの探偵小説を入れてきた為、止む無く撮影したものを、破棄する事にした。 「データのアップロードが出来ない。ここって、ネットに繋がんないのか…。」  誰かが明砂の思いを代弁するように呟いた。それに対して誰かが答える。 「それは申し込み用紙に書かれてたよ。ここから先、ネットは使えない。情報漏洩防止の為さ。」  用紙の注意事項をよく見ていなかった明砂は、人知れず愕然とした。生まれて初めての環境に、不安を感じさせられる。  車両中央にある扉が開いた。  迷いながらも、その場の全員が乗車する。他人行儀な面々は、横長のシートに、それぞれ距離を置いて座った。  そのタイミングで、サングラスの彼が遅れて乗車してきた。  彼に話し掛けたいと思った明砂だったが、離れた位置に腰を下ろされ、この場では断念する。  扉が閉まり、車両は動き出した。  全ての車窓は本来の役割を果たしておらず、窓枠内には製薬会社カディーラ・ジャパン製品の、CMや動画が映し出されている。外がどうなっているのか、一切、見る事が出来ない。 ――研究施設って、何処にあるんだろう…?  出発地点から遠ざかる(ごと)に、不安を募らせながら、一行は成す術もなく目的地へと運ばれていった。

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