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9 明砂(Aug.5th at 9:30)

 都積の手を引き、図書室を出た明砂は隣の談話室に入ろうとしたが、人の気配に躊躇した様子で、そこを通り過ぎた。  明砂は都積に訊きたい事があり、この研究施設に来てからずっと、なるべく人の視界に入らない処で、彼と二人きりになりたいと思っていたのだった。  彼とは別の班になってしまったが、投薬の時以外は、割と自由に行動する事が許されている。なので、明砂は彼を見掛けたら、声を掛けるつもりでいたのだが、見つける度に彼は誰かと話し込んでおり、上手く機会を得られずにいた。  彼が話している相手は毎回違っていて、全員に何かを尋ねて回っているようだった。  それに気付いた明砂は、いずれ彼の方から自分の処にも来てくれるのだろうと予想し、自ら機会をうかがうのをやめたのだった。  そうして、五日目の今日、遂に彼の方から明砂の方へ近付いて来てくれたのだった。  明砂は白い廊下を歩きながら、念願叶ってのシチュエーションに心を躍らせる。 「ここに居る皆に、何かを訊いて回ってるみたいですね?」  明砂は嬉しさをひた隠しにして、先手を取ってみた。 「ああ、そうなんだ。…いざ応募して来てみたら、急に不安になってね。」  神妙なトーンの都積の答えに、明砂は振り返って彼の表情を確認する。ある疑いを持って彼を見ているので、気弱そうな表情は演技にしか見えなかった。 「不安…?都積さんは何か違う気がします。」  ロビーの手前で立ち止まると、明砂は都積と向き合った。都積はここで話すのかと、廊下の壁に凭れ掛かる。 「実は警察関係者で、潜入捜査中…とかなんじゃないですか?」  明砂は声のトーンを落として、予てからの疑問を彼にぶつけてみた。  都積は目を丸くした後、失笑する。 「俺が?…日本の警察って、潜入捜査はやらないんじゃなかったっけ?」  明砂は思わず笑みを洩らす。都積の台詞が、事前に幾つかシミュレーションした内のひとつだったからだ。 「じゃあ、然るべき処に雇われた探偵ですね!」  明砂はズバリと、都積を指差してみた。 「天使君、なんか嬉しそうだね…。」  溜息混じりに都積に呟かれ、明砂はピクリとした。 「なんですか?天使君って…。」 「君のあだ名。名前知らない時に、第一印象から付けてたんだ。…よく言われない?」 「い…言われた事なんかないですよ。そんなあだ名、やめて下さい。」  本当は過去、何度か人に言われた事のある明砂だったが、気に入らないので全力で否定してみた。それから、このまま話が逸れていかないように、慌てて軌道修正する。 「都積さん、最初に会った地下鉄の駅で、その場に居た、治験参加者の写真を撮ってたでしょう?そして、そのデータを通信出来なくなる前に、小っちゃなドローンに転送して、誰かへ送った。違いますか?」  都積は首を傾げて見せる。 「写真を?…撮影してたら、普通、まるわかりだよね?俺が撮影してる音が、君には聞こえたとでも言うのか?」  想定済みの反論に、明砂は即答する。 「いいえ。…だから警察関係者、若しくは、そこに雇われた探偵なのかなって思ったんです。彼らは捜査中に限り、無音で通知もなく、写真が撮れるんですよね?」  一度、検察官付きの探偵が、捜査に関係ない一般人女性の盗撮を行っていたと報道され、社会的に問題になった事があった。それで世間に盗撮アプリを使っていると、周知の事実となったわけだが、謝罪会見と停職処分の報告はあったものの、そのアプリケーションの不使用は発表されなかった。 「そんなの、あったね。…だけど、俺は違うよ。俺はただの…自称ジャーナリストって奴さ。そういうの、沢山居るだろう?ブロガーに毛が生えたようなのがさ。俺もその一人だよ。」  そう来たか、と明砂は思考を巡らせる。ジャーナリストの線も考えられなくはなかったが、ただのブロガーという結末は面白くなかった。 「ここの事を記事にすると、訴えられますよ。」 「治験について書くだけだよ。薬の事と会社名を伏せれば、ギリギリOKだろ?」  明砂は首を横に振る。そこには彼を探偵だと思いたい気持ちが現れていた。 「もう、探偵だって、本当の事言って下さいよ。絶対、誰にも言いませんから!認めてくれたら、何でも協力します。」 「何でも?…探偵だって言ったら、協力してくれるの?」 「…します!」  壁際に都積を追い込む明砂は、(はた)から見ると、彼に愛の告白をし、迫っているようだった。  人気がない所為か、周囲を気にしていない明砂は、そんな自分に気付いていない。  都積は苦笑すると、明砂を躱してロビーの長椅子へと移動して座った。明砂が慌てて追いかけると、彼は隣に座るように示唆した。  病院の待合室といった雰囲気のそこは、玄関から最初に訪れる場所だった。現在、その玄関側には、全面的に白いシャッターが下りている。 「仮に俺が探偵だったとして、証明できるものは何もない。それでも、探偵だって言って欲しい?」  駆け引きが楽しいので、今はそれでいいと思う明砂だった。 「はい、証明なんかいらないです。僕の勘は当たってますから。…それで、何を調べてるんですか?」 「捜査内容を軽々しく口にする探偵が、いると思うかい?」  都積は観念した風でもなく、飽くまでもノリで喋っているという雰囲気だ。それでも明砂は良しとする。 「僕をここだけの助手にして下さい。…そしたら、いいでしょう?」 「天使君、いや、ご免。高峰君って、変わった子だね。」  都積はクールな顔を崩して笑った。その顔も明砂には魅力的に映る。 「今、読んでる小説の主人公の探偵が、都積さんのイメージにぴったり過ぎて、思わずこんな風に…。」  明砂は火照った頬を両手で押さえる。その小説のクール・ビューティな探偵が、実は女性である事は黙っておいた。 「あのさ、知らない方がいい事ってあるだろう?…潜入捜査が必要な治験って思ったら、怖くならないか?」  明砂は冷静に状況を判断して見た。 「…確かに。…もしかして、死亡事故があってたりとか?」 「いや、大丈夫だよ。それは無いから…。」  そう言いながらも、一瞬、都積は目を伏せた。 ――これ、絶対死亡事故、あってるヤツだ…。  内心、勝手に確信しながら、明砂は落ち着かなくなる。 「だから大丈夫だって!…あのさ、君がこの治験に参加した経緯を、教えてくれる?」  肩を叩かれ、落ち着きを取り戻した明砂は、駆け引きに使おうと思っていた”問の答え”を、少し迷った挙句、話すことにした。 「父が六月に再婚したんです。それで、新婚の二人きりにしてあげようって思って…。でも、長期間、家を空ける方法も分からなくて…。そしたら、幼馴染がここのバイトを教えてくれたんです。ちょっと不安だったけど、応募してみました。」 「幼馴染がね…。その子の名前、訊いてもいい?」 「ああ、えぇっと、光嶌怜っていいます。」 「ミツシマ…レイね。」  明砂の答えを聞き、独り言のように呟いた都積は、キーボードで文字を打つような仕草を行った。 「デバイス、使えるんですか?」 「俺のはね。ネットに繋がらなくても、使える機能が幾つかあるんだ。」 「へぇ、凄い…。内部ストレージを拡張してるんですか?」  興味深げに明砂が都積の瞳を見つめると、キスが出来るほどの距離に顔を寄せられた。 「両目共、義眼なんだ。それを利用して、コンピューターを埋め込んである。パーソナル・コンピューターって奴を、二台持ち歩いているのと同じなんだよ。保存容量にも困る事はない。」  明砂は距離感に怯むことなく、都積の瞳に見入った。間近で見ても、義眼とは思えない。強いて言えば、濁りや充血のない艶やかな白目部分が、綺麗過ぎて不自然だといった処だろうか。 「外側はね、iPS細胞を利用して、バイオプリンターで作ってあるんだよ。…この事は誰にも内緒だからね。」  都積に囁かれ、何故か目を閉じてしまった明砂だった。  今にもキスをしてしまいそうな二人の傍に、突如、小さな薄い羽を忙しく動かした、妖精のようなキャラクターが現れる。  それはプロジェクターにより、壁に映し出されたもので、職員の代わりに、たまにメッセージを告げてくるキャラクターだった。 「二人は何をしているのですか?」  妖精キャラに問われ、明砂ははっとして都積から離れた。 「…あの、話しているだけです!」  思わず立ち上がって返答する明砂を、都積は笑った。 「そいつと会話は出来ないよ。」  明砂は焦りを隠せない表情になる。 「そうでした。…今の話、聞かれてたんでしょうか?」 「いや、それは大丈夫。…治験者同士でいちゃついたり、性行為をしたりするのは禁止だから、警告されたんだよ。」 「せ…!?」  顔を紅潮させ、固まる明砂の尻を叩いた都積は、ゆっくりと立ち上がった。 「一旦、解散しようか。」  彼を逃がしてしまう気がした明砂は、彼の進行方向に立ち塞がる。 「え?それじゃあ、午後にでも…!」 「…明日の午後でいいかな?それまでに、あの眼鏡の子の、ここへ来た経緯を訊いて来てよ。俺は嫌われちゃったみたいだからさ。…明日の午後、君の都合がいい時に、俺を見つけて。」  お互いに約束を取り付けると、二人は微妙な距離間で、その場を後にした。  そして都積は談話室へ入り、明砂は累がいる図書室へ戻った。

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