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10 明砂(Aug.6th)

 明砂は累と一緒に行動することが多かったが、入浴の時だけは累が大浴場ではなく、個室シャワールームを利用するので、別行動となってしまうのが常だった。  その時間を切っ掛けに、明砂は都積の処へ向かう事にする。  明砂は先ずロビーへ行き、宿泊スペースへ通じる扉付近に設置された、フロアの見取り図に目を留めた。  その見取り図の下方には、フロアに居る全員の名字が表示されており、それをタッチすれば、見取り図上に赤い点が表示される。誰が何処に居るのかが、直ぐに分かる仕組みになっているのだ。  都積の名前に触れると、トレーニングジムに赤い点が表示された。  それを確認し、明砂はそこへ向かった。  明砂が研究施設に来て、ジムを訪れたのは、今日が初めてだった。  ジム内も図書室同様に、ヴァーチャル・リアリティを取り入れられた空間となっている。  AIの男性トレーナーが不意に姿を現し、どんなトレーニングをしたいのか、明砂にメニューを提示してきた。  それをキャンセルして、明砂は都積を探した。  ランニングマシンや、ベンチプレスでトレーニングする人の顔を、ちらりと確認しながら歩いていると、休憩用のベンチで誰かと二人で話している都積を見つけた。  そんな二人の様子を窺いながら、明砂が近付いて行くと、都積の横の彼が立ち上がった。明砂が話した事のない男だったが、彼は擦れ違う時に、親し気な笑みで明砂に会釈した。  その瞬間、ふわりとした甘い香りが、明砂の鼻腔を擽った。 ――何、これ、香水?すっごくいい匂い…。  思わず振り返って、明砂は彼の後ろ姿を見送った。 「高峰君、俺に会いに来たんだろ?」  都積に声を掛けられ、明砂は我に返って彼の傍へ近付いた。 「あ、はい。あの、明砂って呼んで下さい。」 「ああ、明砂…ね。」  明砂は彼の横に座ると、ここの管理システムに警告されないように、彼から少し距離を取った。   「今の人、なんか…いい匂いしました。」  先程、擦れ違った彼の事を言うと、都積は軽く頷いた。 「彼は村崎(むらさき)(つむぐ)。ここに来る前は、ホストをしてたって言ってた。香水は付けてないらしいよ。…フェロモンでも出てるのかな?」  都積からの情報に、明砂は首を傾げる。 「フェロモンなんて、本当に出るものなんですか?」 「出てる筈だよ。…明砂からも、いい香りがする。」  都積が近付き、首筋に鼻を寄せられたので、明砂は慌てて彼から離れた。 「お風呂まだだから、やめて下さい!また妖精が注意しに来ますよ!」 「はい、はい…。」  都積は体を正面に戻した。そして顔だけを明砂に向ける。 「眼鏡君がここへ来た経緯を、訊いてくれた?」  明砂は顔を引き締めて頷く。これから一仕事、達成する気分だ。 「累君は、大学の教授に勧められたって言ってました。…その人は累君にとって、苦手な人らしくて、一旦は断ったみたいなんですけど、今、住んでるアパートで、何かごたごたがあったらしくて、逃げて来たのが一番の理由…らしいです。」 「教授の名前は訊いた?」 「ああ、えっと、…ハタケヤマって言ってました。下の名前までは…訊けなかったです。その人、αらしいんですけど、普通は公表しない筈なのに、わざわざ『僕はαなんだよ』って、累君に言ってきたんですって。その事を、累君は凄くムカつくって言ってました。」  フルネーム答えられなかったのを補うように、明砂はエピソードを添えてみた。 「へぇ、αね。…俺の周りには、αだと公表してる人は居ないかな。明砂は?」 「僕は…まあ、数人知ってるんですけど…。実は昨日話した幼馴染が、αなんですよね。」  自身の家がαが多く生まれる家系だという事を、明砂は伏せた。 「ん?…そうなの?…そう言えば、その光嶌君の詳細、訊いてなかったな。彼も高校生?」 「いえ、大学生なんですけど、実業家でもあって…。色んなアプリケーションの開発を手掛けてます。」  明砂は誇らしげに、怜の事を答えた。 「へぇ、凄いね。流石、α。…彼はこの治験の事、どうやって知ったんだろう?」 「さあ、それは聞いてないです。ネットでかな?」 「それが、ネットでは知る事が出来ないんだよね…。」  そう言った後、何か考え込むような顔になった都積は、空中で何かをスクロールする動きを、一度行った。  彼が何を見ているのか、ローカルで繋がりたいと思った明砂だったが、恐らく不可能なのだと思い直し、口に出すのをやめた。 「…今日で六日目だけど、薬、飲んでみて、何か変わった?」  都積の問に明砂は、毎朝9時に一度だけ行われる10分程度のテスト内容を思い出し、苦笑を浮かべる。  テストは何の説明もなく始まり、直感的に答えて進むだけのゲームのようなもので、自分が正解しているのか分からないまま、最終的な解答は得られずに終了する。その為、何の指標にもならなかった。 「う~ん、よく分からない感じです。食欲が増したのが気になるくらいかな…。副作用なんですかね?あとは…、やっぱり、よく分かりません。…都積さんは?」  逆に問うと、都積はどこか得意気な顔になった。 「俺は何の変化もないよ。…この分じゃ、特別処置を取られるかも知れないな。」 「え、そうなんですか?」  そんな都積を、明砂は秘かに訝る。 ――都積さん、薬飲んでないとか?でも、あの薬を飲んだふりって、出来なさそうなんだけど…。  治験薬はフィルムタイプの即溶性だ。舌の上で瞬時に溶けて吸収されるので、職員が見守る中、それを吐き出すのは不可能だと思えた。 「…にしても、機能向上って、漠然としてるよな。…君はどう思う?」  都積は次の問へ進んだ。 「一時的にαレベルにしてくれる薬なのかも。…累君と話してる時に、冗談っぽく、αを人工的に作るのが目的なのかもって言ったら、累君は割と肯定的だったんですよね。これ、都積さんはどう思います?」 「薬如きで、人工的にαを作る…というか、性別を変えてしまうなんて、俺は有り得ないと思うけど、一時的にαのレベルにするってくらいは、可能なのかもな。」 「…αって、そんなに価値があるんですかね?」 「それはあるよ。αの多い国は急激に発展するって、実証済みだし…。あと、孕ませ率高いっていうしね。」  都積は再度、宙をスクロールするように手を動かした。明砂は心底、羨ましそうな顔をする。  そんな明砂に気付いた都積が、意味あり気な笑みを浮かべた。 「明砂、俺と繋がりたい?」 「え?…あ、はい!…問題なければ。」  明砂は鼓動を大きく鳴らした。 「無くはないけど、まあ、いいや。」 「あれ?でも、ローカルでも送信は出来なくなってるし、繋がれないんじゃ…。」  都積は口元に人差し指を一本立てると、その指で耳の上辺りからヘアピンを抜き取った。目立たないくらいに細いヘアピンの、その両端を引っ張ると、同じくらい細いコードが伸びた。両端共に、プラグ端子が付いている。 「明砂はインプランタブル第三世代だから、これを()せるだろ?俺はファースト世代だけど、義眼になった時に必要になったから、挿せるように手術されたんだ。監視カメラには映りにくい素材だから、心配いらないよ。」  都積は自身の首の後ろをプラグで探り、挿し込むと、今度は反対側のプラグを、明砂の首の後ろに挿し込んだ。  その直後、急に明砂のデバイスが機能したように、画像を映し出した。それは明砂の顔写真と情報が書かれたデータで、横に並ぶ数十人の名前の内のひとつを触ると、その人の情報データに切り替わった。 「やっぱり写真、撮ってたんですね!」  明砂は勝ち誇ったような顔になった。これで都積が、警察関係者に捜査を許された探偵だという事が証明されたのだ。  データを適当に見ながら、明砂は一枚の写真に目を留める。それは、ここへ来る前に、明砂のすぐ前に並んでいた、金のロングヘアの少年のものだった。写真以外のデータは、名前も何も書かれていない。 ――…データが記入されてないのは、ゲートで分かれてしまった人達なんだ。 「何か気付いた事でもあった…?」  問われて、明砂は慌てて意識を切り換えた。 「あ、えっと…、見た目が綺麗な子が多いですよね。」 「ああ、それは俺も思った。まるでアイドルのオーディション会場に来たみたいだなって…。」 「都積さんは中でも、一番綺麗だと思いました。今までに、芸能界に入る切っ掛けとかは、なかったんですか?」 「ないよ。…あんな世界、興味ないし。」  褒められた筈なのに、都積の顔は曇ってしまった。  芸能界に興味がないというよりかは、嫌悪感を抱いているようだと明砂は感じ取る。瞬時に話題を変えなければと、思考を巡らせた。 「…そう言えば、参加者って、女の子が多かったですよね?じゃあ、人工的なαを作るって見解、間違ってます?」  明砂から別の問を受け、都積の口角が上がる。機嫌を取り戻したようだ。 「あれ?明砂は若いのに、男尊女卑的な思考の持ち主なの?…あの日の女の子の参加者が、たまたま多かっただけかも知れないし。可能性の全否定は出来ないよ。」  明砂は慌てて言い訳をする。 「いや、そうじゃなくて、孕ませ率の問題ですよ。」  男尊女卑的な思考など、自分は持ち得ていないと自負していたので、指摘されて明砂はショックを受けていた。そんな明砂に、都積は更に衝撃的な発言をする。 「明砂は知らないのか?…αの女性は射精出来るんだよ。つまり、αの女性なら、妊娠させる側になれるって事。…αの精子の量って、男女共に凄いらしいよ。」 「え…!?」  明砂が固まってしまった隙に、都積は首のプラグを抜いて回収した。 「…っていう、都市伝説だけどね。…それじゃ、今日はこの辺で。」  そう言うと都積は立ち上がり、明砂を残して立ち去ってしまった。

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