19 / 44

3 司季(May 2045~中編~)

 都心から程なく離れた住宅街。そこは街灯の数も多く、夜の一人歩きも問題ないとされている、治安の良い地域だった。  司季と母親が、その一角にある三階建ての一軒家に入っていくのを見届けると、呂津サラーフは一旦、その場を離れた。  そして、夜10時を回った頃、全身、黒ずくめの衣服に着替えたサラーフは、再びその住居を訪れたのだった。  パーカーのフードを被り、外から忍び込める場所を探そうと窺っていると、丁度、司季の父親と思われる、スーツ姿の男性が帰って来た。好都合とばかりに、彼が玄関の扉を開けた瞬間、後ろから、刃渡り13cmほどのサバイバルナイフで、心臓を一突きして殺した。ナイフを抜くと返り血が飛び、サラーフの胸元と顔を少し汚した。  そのまま土足で中へ進むと、リビングのソファでTVを見ながら寛ぐ標的を見つけた。   「おかえり…。」  夫が帰って来たと思い、無防備なまま視線を走らせた司季の母親は、背の高い、黒ずくめの姿に気付いた瞬間、驚いて立ち上がった。 「あんた…。」  司季の母親はサラーフの顔を見て、買い物帰りに遭遇した男だと気が付いたようだった。  黒革の手袋をした彼の手には、サバイバルナイフが握られている。  彼女は速やかにウォッチタイプのデバイスを起動させ、警察への通報を試みたが、サラーフのナイフが、それを阻止した。  デバイスの金具が取れ、床に落ちる。彼女の手首からも、鮮血が流れていた。 「…埋め込み型(インプランタブル)じゃなさそうね。」  サラーフは歪んだ笑みを浮かべると、床に落ちたデバイスを拾い上げた。  彼女はそこで、全てを悟ったような顔になった。 「ひ…人前で怒鳴りつけて、悪かったわ。本当に、ご免なさい…。だから、殺さないで…。」 「私、凄く傷付いたの。…そんな謝罪程度じゃ、許せない。」  怯え、懇願する彼女を、サラーフは冷たく見下ろす。 「お金…。謝罪金を払うわ!…幾ら払ったら、許してくれる?」 「1000万。」  サラーフに即答され、彼女は困惑する。 「そんな大金、無理よ…。」 「そう、それじゃあ…そうね、300万に負けて上げる。」 「…250万だったら、…今すぐ送金できる。」 「250?…まあ、それでいっか。」  サラーフは彼女にデバイスを返した。 「私の言う口座に送金して…。変な真似したら、頸動脈をぶった切るからね!」  ナイフを突きつけられた彼女は、言われるままに、震える手でデバイスを操作した。  サラーフは入金完了の画面を確認すると、デバイスを取り上げ、床に落として踏み潰した。 「…じゃあ、死んでもらおうかな?」 「そんな!話が違う…!」 「だって、あんた、通報するでしょ?」 「…し、しないって約束します。」 「いいえ、絶対にする。…だって私、もう…既に一人殺しちゃってるもの。…あんたの旦那をね。」  愕然となった彼女は、サラーフに背を向けて逃げようとした。しかし足が縺れ、転び掛けた処を、サラーフのナイフに刺されてしまった。  彼女が横座りに倒れると、サラーフは急所を外した場所を、何ヶ所も差し続けた。  彼女が息を引き取った後、サラーフは溜息を吐いて立ち上がった。そして後ろを振り返ると、リビングの入り口付近に佇む、パジャマ姿の司季に気が付いた。彼は無言のまま、涙を流している。 「シキ…!起こしちゃった?ご免ね…。」 「何…してるの?」  サラーフは司季に近付くと、優しく微笑んだ。 「悪魔を退治したの。…シキのママに憑りついてたんだけど、ママは助けられなかった。」 「死んじゃったの?」 「うん…。」  サラーフは司季の瞳を覗き込んだ。 「シキのお目々(めめ)には、もしもしする機械、入ってる?」 「…インプランタブル・デバイスなら、入ってるよ。」  司季から、しっかりした答えが返って来て、サラーフは感心して見せた。 「そう、それ!小さいのに、よく知ってるね。それ、シキは使えるの?」  司季は頷く。 「そう、厄介ね…。」  サラーフは舌打ちし、小さく呟いた。  2030年頃から、時計や眼鏡等のウェアラブル・デバイスから、直接角膜内に装着するインプランタブル・デバイスが主流になった。  そして、司季が生まれた2039年に、全国規模でインプラント管理法なるものが設立された。  その年に出生した子供達は順次、無償で両角膜内にデバイスを埋め込まれ、国に個人情報の一部を管理される事になったのだ。  それ以前に出生した子供や、大人達に関しては、埋め込み型デバイスは任意とされていたが、通信やGPS、拡張現実(AR)機能を無料で提供すると国が謳い、その人口をじわじわと拡げていっていた。 「警察を呼んだら、ダメだからね。」  サラーフは司季にそう告げて玄関へ行くと、そこで俯せに倒れている、父親のウォッチデバイスを外した。そして彼の指を使い、指紋認証でロックを解除すると、ペアレンタルコントロールの画面を開いた。そこから、司季の通信機能をロックし、GPSをオフにする。 「お父さん!!」  司季が父親の遺体に気付き、駆け寄って来た。サラーフはその体を受け止め、阻止する。 「彼も、もう死んでる。…ここは危険だから、私と一緒に行きましょう。」  全身を震わせ、泣き出した司季を抱きかかえると、サラーフは数メートル先に駐車していた軽自動車の後部座席に押し込んだ。  運転席に乗ったサラーフは、エンジンを掛け、車を走らせる。顔の返り血をウェットティッシュで拭き取ると、スピードを上げた。  30分程して、何処かの薄暗いガレージに侵入すると、サラーフはそこで車のエンジンを切った。 「ここ…どこ?」  サラーフに促され、後部座席から降りた司季は、恐る恐る辺りを見回した。  軽自動車一台で一杯になる、そのガレージの床は、割れたガラスやゴミが散乱している。 「私の元彼のタトゥーショップ…だった所よ。」  サラーフはトランクから大きなスーツケースを取り出すと、司季の手首を引いて、ガレージの扉から店の中へ入った。  そこも同様に、ガラスの破片やゴミ等が散乱している。誰かが故意に荒らしたのだろう。  サラーフはスーツケースを床に下ろすと、司季を軽々と抱え上げ、施術用ベッドに座らせた。 「この服、それと靴!…サイズが合ってないでしょう。これ、手袋以外、全部、元彼の物なんだ!」  サラーフは司季の正面で、両手を拡げて説明した。彼が言うように、よく見ると全て小さめで、窮屈そうだった。 「全部、アイツの所為にするの。…シキの両親を殺したのはモフセン・ハーディという男。」  サラーフは血塗れのサバイバルナイフを、パーカーのポケットから取り出した。  司季は自宅で起こった悲劇を、改めて悟った。目の前の男は殺人鬼なのだ。間もなく、自身も刺し殺されるのだろうと思う。  しかし、その予想は外れ、サラーフはナイフを床に捨てた。  それでも、司季の震えは止まらない。これから自分の身に何かが起こると、全身の細胞が察知しているようだった。 「どうして、シキを連れて来たと思う?」  分からずに、シキは首を横に振る。 「シキは優しい子だから、殺さないって、決めてたんだ。…インプラント埋め込まれた子は、厄介なのにね。」  殺されないと分かったシキだったが、依然として震えは止まらなかった。 「…シキのGPS、今はオフってるけど、警察が気付いたら、遠隔でオンにされるよね。だからさ、壊しちゃうね。」  そう言うと、サラーフは持参したスーツケースから、金属製の注射器を二本、取り出した。両方共、針は視認できない。 「私、こう見えてもドクターなんだよ。…闇医者って奴だけどね。」  抵抗出来ない司季の細い首筋に、一本目の注射が行われた。  それは麻酔薬で、司季の体にそれが行き渡ると、サラーフはタトゥー用の長い針を手にした。 「モフセンがやるなら、こうだよね…。」  サラーフは迷いもなくタトゥーニードルで、眠る司季の瞼を両方共、突き刺した。 「これが、司季が生きている証拠、…になるといいけどね。」  そう言って、血の付いたニードルを床に捨てた後、もう一本の注射器の先端を、司季の鼻腔に挿入する。この注射器には、ナノマシンが入っていた。 「ナノマシンで修復するのも有りだけど、それはしない。…シキの綺麗な目は、無くなっちゃうんだよ。」  サラーフはそう呟いた後、黒い布で司季の目に包帯をした。  そして手際よく、使用済みの注射器と、黒革の手袋をビニール袋に入れ、バッグの中に仕舞った。  それから彼は、その場で衣服を脱ぎ始める。  彼の体には、びっしりと黒一色のタトゥーが入っていた。下着で隠されて見えないが、局部に至るまで、それは施されているのだ。  タトゥーは動物だったり、模様だったり、文字だったりと、不規則に彫られている。 それらは全て、モフセンの愛の証として、享受したものだった。    サラーフは持参していた衣服に着替えた後、司季もパジャマを脱がせ、女児の服に着せ替えた。丁寧にウィッグも被せる。  時刻を少し気にした風のサラーフは、眠る司季をスーツケースに入れ、それを手にすると、足早にそこを離れた。

ともだちにシェアしよう!