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6 司季(Jul.29th at 13:28)
――とある研究施設の調査ね…。
一人きりで依頼人と話すのは初めてだったが、司季は放置された鬱憤を晴らすべく、独断で会ってみる事にした。
「それじゃ、エリ2 、 ゲスト用にセキュリティーを一時的に解除して、彼にエレベーターに乗るように伝えて。」
司季はAIに指示を出した。
鏑木探偵事務所のAIはエリサが監修しており、エリ2の愛称で親しまれている。司季は偶に「エリサ2号」と呼ぶこともあったが、それに対してもAIは、戸惑いも見せずに対応してくれるのだった。
エレベーターが五階へ到着するのをモニターで確認すると、司季は玄関扉付近のロビーで依頼人を待った。
司季の雰囲気がクールダウンし、人懐こさが姿を潜めた。営業スマイル用に口角だけは上がっている。
「ゲスト様、到着しました。」
エリ2の声に、司季はドアマンの如く、スチールドアを開けた。依頼人は思いの外、背が高く、司季の視線が上を向く。司季の身長は170cm台後半なので、彼は180cmを軽く超えた身長という事になる。
「わ!私はカディーラ・ジャパンに務めております、犬童 公亮 と申します!すみません、アポなしで!」
緊張感で体を固くして、依頼人、犬童は深々とお辞儀をした。背は高いが腰は低い。
顔を上げた彼は、茹で上がったように赤面しており、玉の汗が額に浮かんでいた。
司季は取り敢えずロビーで話を聞こうと、コーナーソファへ彼を誘導した。彼を端に座らせると、自身も対局の位置に腰を下ろした。
「カディーラって、大手製薬会社ですよね?まさか、ご自身の会社の研究施設を調べろっていう、ご依頼ですか?」
犬童は額の汗をハンカチで拭いながら、恐縮した様子で頷く。
「そ、そうなんです。幾つかある内のひとつなんですが、そこで行われている臨床試験について、調べて頂きたいのです。」
「治験って奴ですか?投薬試験を一般人、雇ってやるっていう…。」
自分が勤める会社の研究を、探偵に調べさせようとする彼の意図に、司季は疑問を抱いた。
「ええ。実はその治験中に、被験者の不審死があったという噂があって…。それから間もなくして、その施設の職員だった私の同期の者が、不慮の事故死を遂げたのです。」
犬童は汗を拭き終わったハンカチを、強く握りしめた。
「事故死…?研究施設で、ですか?」
「いいえ、交通事故死です。原因は彼が車の自動運転を解除して、自身で運転した際に起こした衝突事故だったのですが…。彼はそんな事をする人間ではなかった…!」
司季は秘かにデバイスを起動して、自動運転解除による交通死亡事故を確認する。それらしき記事は、直ぐに見つかった。
記事によると、今月初め頃に自動運転指定区域で、その交通事故は起きていた。珍しい事件だと思うが、大々的なニュースにはならなかったようだ。
「亡くなったのは、林 浩成 さん、30歳の会社員…?」
「そう、その事件です!今、検索されたんですね?…会社の圧力が掛かったのか、あまり報道されなかったので、ご存知なかったでしょう?」
「ええ、今、初めて知りました。」
「私は彼が、…施設内で起きた不審死に、関与していたのだと思っています。」
「それで自殺したのかも知れないと…?」
司季の予想を、犬童は再び覆す。
「いいえ。彼は事故死する前日、思い詰めた声で、私に連絡をくれました。直接、会って、話したい事があると言って…。直ぐにでも会えば良かったのですが、私はその頃、出張中で…。そして、会えないままに、彼は死んでしまった。」
犬童は汗を拭いたハンカチで、今度は涙を拭った。そして彼の見解を言い放つ。
「…治験で起きた不審死について、内部告発しようとした彼を、誰かが事故に見せ掛けて殺したのではないかと、私は思っています。」
自動運転のシステムをクラッキングすれば、それは可能だろうと思い、司季は頷いてみせる。
「警察に働きかければ、クラッキングの痕跡は見つける事が出来ますよ。」
「それが、車が大破していて、デバイス類も全滅だったらしくて…。でも、もし、デバイスの記録を見れたとしても、会社側がやったという証明には、ならないでしょう。」
司季の提案は、犬童の意図する処に、そぐわなかったらしかった。
――この依頼って、アレか…?アレなのか…?
司季は犬童の依頼内容を具体的に予測し、心裡で渋い顔をした。
「…その治験の内容を、あなた自身で調べる事は出来ないのですか?」
司季の問に、犬童は首を横に振る。
「勿論、こちらへ来る前に、私自身で色々調べてみました。ですが、私はMR…、営業職のようなもので、部外者でもありますし、その治験施設への立ち入りは出来ませんでした。そこの施設だけ、妙にセキュリティが高いのです。でも、後日、林からメール便を受け取りました。恐らくですが、自身に何かあった場合、自動的に配達されるように手配していたのだと思われます。…それが、これです。」
犬童が鞄からA4サイズ用の白い封筒を取り出し、司季に渡した。中身を確認すると、走り書きしたメモ用紙と、写真がクリップで留められた用紙が一枚出て来た。
一見、普通の用紙のようなそれは、電子ペーパーと言われるのもで、会社名のロゴがムービーとなって変化している。そこを軽く指先で触れると、文書が現れた。
写真は二枚あり、一枚は20代前半の女性の写真、もう一枚はピンクのフィルム製剤の写真だった。
「手書きのメモには、その写真の女性の名前と住所が書かれていて、まさかと思って確かめてみたのですが、…彼女は亡くなっていました。」
写真と手書きメモを見る司季に、犬童が説明した。
「印南 咲枝 さん、25歳。この女性が治験で亡くなった可能性がある、という事ですよね?」
「…と、思うのですが、彼女が治験を受けたという記録はないと、関係者に言われました。」
「死因は?」
「それは印南さんの親御さんから直接伺ったのですが、旅行先での事故死、若しくは自殺らしいです。…箱根の旅館の浴槽で、睡眠導入剤を飲み、溺死していたという事でした。因みに、睡眠導入剤はうちの製品ではありませんでした。」
司季は治験の募集要項の文書に、視線を移した。
期間は参加した日から約一ヶ月。機能向上の為のサプリメントの臨床試験とある。日当は一万円。なかなかの高額アルバイトだ。
「機能向上って、なんか漠然としていますね。」
「そ、そうですよね。私もそう思って、研究施設の関係者に問い合わせてみたのですが、個人のレベルを引き上げる為のサプリメントだと説明を受けました。」
司季はカディーラ・ジャパン製薬会社の、治験募集を検索してみた。幾つか出て来たが、電子ペーパーにある内容のものは見つからなかった。
「…ネットでの募集は、していないみたいですね。」
「ええ、このペーパーでのみ、募集を知る事が出来るみたいで…。因みに、これが出回っているルートは不明です。」
――この人の依頼ってのは、…やっぱり、アレなんだよな。
司季は電子ペーパーに溜息を落とすと、半ば確信したように口にする。
「…これって、潜入捜査のご依頼ですか?」
「…はい、実は、そうなります。」
司季の予想を、犬童は覆さなかった。そこでも、「いいえ」と言って欲しかったと、司季は微苦笑する。
――一ヶ月は長期戦だな。途中退場も有りなら、考えていい話かも…?纏まった金額は請求できるし、探偵ってバレなきゃ、この治験のバイト代も貰えるんだよな…?
司季が電子ペーパーを見つめ、あれこれ悩んで迷っていると、それを悟られたのか、犬童が焦り始めた。
「あの、料金でしたら、通常の二倍、いや、三倍お支払いします!」
その態度に、司季はその背景を察する。
「は?…ああ、うち以外も行かれました?」
「はい、全て断られました…。」
予想通りの答えが返ってきて、司季は再度、頭を悩ませた。
――三倍はあんまりだけど、二倍なら特別料金ってことで、請求出来るかも…?
涼香の月に掛かる高額な医療費を考えると、引き受けた方がいい気がしてきた。
――ここで雑用してるより、マシか…。
司季は思い切って独断で決意する。
「分かりました。お引き受けしますよ。」
「え?…あの、いいんですか!?…ああ、有難うございます。」
断られるのを予想していた犬童は驚き、そして深々とお辞儀をした。
「それじゃあ、中でIDの提示をお願いします。」
司季は立ち上がると、犬童を中の応接室へと通した。
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