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9 司季(Jul.29th at 18:21)

 鏑木探偵事務所を出た司季は、一旦、自宅である崎戸宅へ帰ることにした。  崎戸家は鏑木探偵事務所から徒歩、10分圏内の場所に建つ、23階建てマンションの12階にある。  マンションは一階に和食レストランと無人ストアを併用しており、司季はエレベーターに乗る前に、無人ストアに立ち寄ることにした。 ――涼香さん、何か欲しい物ないかな?  義眼デバイス内にインストールしている、涼香のバイタルチェック管理のアプリケーションを立ち上げ、彼女の状態を確認する。彼女は今、眠っているようだった。  司季は何も買わずにストアを出ると、マンションの地下駐車場へ向かうことにした。  涼香が寝ていた為、帰宅するのをやめにしたのだった。  階段を降りる途中、涼香専用の介護ロボットに電話をする。 「司季さん、お疲れ様です。」 「今日、夕食は外で済ませて来るって、涼香さんに伝えてくれる?」 「涼香さんは今、お休み中です。」 「知ってる。…彼女が起きて、俺の事を気にしたら、そう伝えて。」 「了解です。」  通話を終えた頃、司季は地下駐車場に辿り着いた。  マンションの住居者の車が、百台近く並んでいる中、司季が一台の中型バイクに近付くと、自動的にエンジンが掛かった。バイクの顔認証システムが働いたのだ。  座席シートを持ち上げ、中からフルフェイスのヘルメットを取り出すと、それを装着し、シートを戻して跨った。  バイクのデバイスを操作して、目的地を履歴から設定すると、自動運転で走り始める。  ビルが立ち並ぶ景観が途切れない道程を、5分程走ると、目的地である鴻嶋バイオメディカル・クリニックに辿り着いた。白い円柱型の建物で、窓の数から推測すると5階建てであるが、内部は螺旋状に作られており、多少複雑な造りの建造物となっている。  車が数台停まっている駐車場の、バイク専用と書かれた範囲に駐車すると、司季は掛かりつけ医である鴻嶋にメールを送る。 『病院の駐車場に到着した。予定より早くて、ご免。』  直ぐ様、返事が届く。 『夜って言ってたから、てっきり20時以降だと思ってたよ。部屋で待ってろ。』 ――そのつもりだったけどさ…。  司季はヘルメットを外し、バイクに収納すると、病院の裏口に回った。そして裏口入って直ぐの、最大3人乗りの、小さなエレベーターで地下室へ降りた。  セキュリティーは全て、司季の顔認証で解除出来ている。  照明が控えめな地下室で、最初に目に飛び込んでくるのは、キングサイズのベッドだ。そしてその傍の壁には、手錠付きの鎖が設置されている。ソフトな拷問部屋とも受け取れるそこは、司季がこれから会う男、鴻嶋帝人(ていと)の趣味が詰まった彼の私室なのだった。  司季は勝手知ったる部屋といった雰囲気で闊歩し、部屋の隅の小型冷蔵庫から、チアパック入りの清涼飲料水をひとつ手に取り、それで喉を潤した。  それから、作業台と見られる白いテーブルの傍の、ゆったりとしたビジネスチェアに腰を掛けると、そこで司季は彼を待つことにした。  作業台の上には32インチのモニターがあり、軽く触れると節電モードが解除され、一枚の写真データが表示された。  そこに写っているのは、30代前半といった印象の、口元に小さな黒子のある、派手で整った目鼻立ちをした男性で、その顔には赤いペンで、何やら落書きがしてある。 ――鴻嶋さん、またメンテナンスするつもりなんだ…。  司季は呆れた笑みを洩らす。  その写真は現在の鴻嶋で、司季の言うメンテナンスとは、整形を意味していた。  鴻嶋は整形マニアなのだ。  彼は18歳の時に最初に目と鼻を整形してから、あらゆる場所に手を加えていったらしかった。  彼は整形の事を公けにはしていないが、隠してもいないようで、整形について質問をすると、ちゃんと答えてくれる。しかし、元の顔だけは絶対に見せてはくれないのだった。  過去、好奇心から司季は、彼の本来の顔を調べた事があった。  残念ながら、彼の過去の写真を見つけることは出来なかったが、彼の両親の写真は入手することが出来た。それを利用して、二人の子供の顔を作成するというアプリケーションに掛け、出来上がった顔を18歳くらいまで成長させてみると、不細工という訳ではなかったが、目も唇の厚みも、今の顔の半分くらいしかない、とても地味な顔の少年が現れた。その顔の信憑性は80%という口コミだった。  その時、司季はデータ上のその顔の、左下の口元に小さな黒子を描き足し、鼻で笑った後、それからそのデータを消去したのだった。 ――あの時は体の関係を持つ上で、本当の顔を知らなきゃ、フェアじゃないって思ったんだよな…。  司季はそう思いながら、ベッドに視線を移した。  今日の午前中、そこで司季は鴻嶋を手錠で拘束し、情事を行った。 ――ギブ&テイクはセックスが絡めば、所詮ウリなんだってコトを、なんで俺は気付かなかったんだろう。いや、分かってて、気付かない振りをしたんだ…。  司季は椅子に深く沈み込む。  地下で停まっていたエレベーターが、上階へと呼ばれ、移動する音が聞こえた。  間もなく、彼がここへやって来る。

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