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11 司季(Jul.31th at 17:25)

 翌日に、大手製薬会社であるカディーラ・ジャパンの治験施設へ赴く予定の司季は、入念な準備を行っていた。  死亡事故があったかも知れないという事実を、調べる為の潜入捜査なので、本来なら施設職員として潜り込むのが妥当なのだが、介入する隙は見当たらず、治験モニターとして潜入する事となった。 「お勧めの道具は色々あるけど、司季ちゃんは歩くコンピューターだからね。必要最低限でいっか…。」  依頼のあった日から三日目の今日は、サイバー捜査担当のエリサも出社しており、色々と準備を手伝ってくれている。司季は彼女と一緒に事務所を出て、階段室横にある部屋に向かった。  通常の会社が倉庫として使用しているであろうその部屋は、エリサの秘密道具保管庫、及び工作ルームで、事務所よりも高いセキュリティ対策がなされている。  部屋に入ると、エリサは無数にあるロッカーを漁り、中央にある作業台に幾つかのアイテムを並べた。それを興味深げに司季は眺める。ぱっと見、文房具やアクセサリー等の普通のアイテムばかりだ。  エリサは再びロッカーへ戻り、何かを探しながら、溜息混じりに司季に話し掛ける。 「なんか面倒な仕事引き受けたね。…相手が二倍払うって言ってんなら、払って貰えば?」 「通常料金で請求すること!…って、小暮さんに言われた。」 「野郎は堅物だからね。…カディーラのアメリカ本社は知ってる?昔、兵器作ってたんだってよ。」 「でも、カディーラ・ジャパンは独立してて、今は別の会社なんだろう?」 「そんなの、表向きかも知れないじゃない?…結局、治験施設の場所を突き止める事は出来なかったし、治験経験者も見つけられなかった。…怪しい限りだわ。」 「時間が足りなかったんだよ。せめて後二日あればさ…。」 「どうかな?…まあ、私が継続して調べるけどさ。所在地に関しては、…これは移動しながら、ルートを記憶するしかなさそうだね。」  エリサの意見に、司季は腕を組み、難しい顔をする。 「GPSはオフになるし、移動車の窓が塞がれてたら、把握は出来ない。せいぜい移動速度と時間から割り出した距離を半径にして、マップに円を描いて、その範囲を調べるしかないんじゃないかな。」 「諦めるのは早いよ、お客さん!」  急にエリサは商人モードに突入した。そして新たに持って来たアイテムを、作業台の上に置く。それは1cmほどのドローンと、掌の内にすっぽりと収まる大きさのスティックタイプの送信機だった。 「この小型ドローン、動画伝送システムが実装されてて、この子が見た景色を、この送信機(プロポ)で録画出来るという、超優れもの!今なら、特別に同型ドローンをもう一台、お付けします!」  エリサは得意気に、隠し持っていた小型ドローンを並べるように置いた。 「所謂、ラジコンだよね。操縦とか難しそうだけど、オートモードとかあるの?」 「あるに決まってるでしょ!これはお互いの信号をキャッチして、並走するのに特化してるの。障害物がある環境で、100mまで離れての並走可能。プロポはプラグ接続可能で、司季ちゃんに直接、映像をお届けする事が出来ます!」  早速、試してみようと、司季は薄茶の長めの髪を留めていたヘアピンを外した。その両端を引っ張ると、1mほどのプラグ付きのコードのようになった。  プラグのひとつをプロポに挿し、もう片方を自身の首の後ろにあるジャックに挿し入れた。  このジャックはインプランタブル・デバイス第三世代になってから、必要不可欠とされた技術のひとつで、司季は義眼デバイスになった時に、メンテナンスの際に便利だからという理由で取り付けられたのだった。    AR機能として、プロポの操作機能が司季の目の前に表示された。  適当に設定すると、一台の小型ドローンが司季の周りを飛び始めた。小さな羽音がし、黒い虫が飛んでいるように感じられ、司季は眉を顰める。 「これ、人に殺されない?」 「大丈夫。…その辺は上手く躱すし、殺虫剤掛けられても死なないから。」  エリサが飛び回るドローンを叩き落そうとすると、ドローンは自動的に逃げ回った。 「了解。」 「あと、もしもドローンがプロポを見失った場合は、自動的に此処に帰って来る設定になってるから。…じゃ、次。」  エリサが次に示したのは、二種類のスプレー缶だった。  司季はプラグを抜き、ドローンを適当に片付けた。 「これ、なんだと思う?」 「殺虫剤じゃなさそうだね。睡眠ガス?」 「残念、不正解!…正解はヘアカラーでした。ひとつがベースカラーで、その後に、もうひとつを髪にスプレーすると、AIに人として認識されなくなる、という代物だ!」 「もしかして、アレ?複数の色彩で、AIの物体検出ニューラルネットワークを阻害するっていう…。」 「大正解!流石、司季ちゃん。監視カメラはAIが搭載されてるから、追跡されたくない時に使うといいよ。人の目は騙せないけどね。…そんな感じで、これも早速、試してみよう。」 「え?七色の髪とかになったら、嫌なんですけど!」 「…大丈夫だよ、多分。」  含み笑いのエリサは、強制的に使い捨ての防護用コートを司季に羽織らせた。そして回転スツールに座らせると、ブルーのスプレー缶で、司季の髪を染め始めた。彼の薄茶の髪は、みるみるダークブルーへと変わっていく。 「…思いの外、落ち着いた色合いだ。」  鏡で確認した司季は、ほっと胸を撫で下ろした。 「安心するのは、まだ早い!…と、思うけど?」  ベースカラーが乾いた5分後、もうひとつのメタリック・グリーンのスプレー缶が、司季の髪に振り掛けられた。 「わぁ!思いの外、コーラルピンクだね!」 「え!?俺には水色…?とかに見えるけど…。」 「ああ、人によって、見え方が違うんだね。」  エリサはまた、含み笑いをする。 「これ、AIは騙せても、対人だと、逆に目立たない?」 「今時、デザイナーズ・チャイルドの子とか、色んな髪の色の子いるから、大丈夫だよ。…それじゃあ、エリ2に確認してみよう!…エリ2、司季ちゃんは何処にいる?」  鏑木探偵事務所のAI、エリ2に、エリサが質問した。 「先程までいらっしゃいましたが、今は見当たりません。」 「よし!」  その答えにガッツポーズを決めたエリサが、司季を指して、更に質問する。 「じゃあ、これは何だと思う?」 「物、ですね。浮遊する物体のようです。」  その答えに、思わず二人は同時に吹き出した。その後、司季は不安を洩らす。 「これ、顔認証とかもダメになる?」 「AIが管理してるんならね。でも、大丈夫。それ、水洗いで落ちるから。ベースカラーの方は一ヶ月くらい持つから、髪はダークブルーのままだけどね。…AIの監視を避けたい時だけに使えば、問題ないでしょう?」  エリサはメタリック・グリーンのスプレー缶に、市販品に見えるようなラベルを貼り、司季に手渡した。 「これ作ったのって、実家のお兄さん?」  司季の問に、エリサの顔が少しだけ曇った。 「…そうだよ。」  エリサは12歳の時に家出をして、そのまま一度も帰っていないらしく、実家の話をされるのが嫌いなようだった。  所長の一真の話では、彼女の実家はヤクザという組織を営んでいるという事だった。  彼女には三つ年上の、インテリヤクザな兄がいて、彼が現組長なのだという。彼は違法なアイテムやアプリケーションを作り出す天才で、警察の取り締まりを掻い潜り、商売をしているらしかった。  実家には寄り付かないエリサだったが、その兄にだけは心を開いており、偶に彼からアイテムを仕入れてくる。 「…所長達が追ってる失踪事件ってさ、その実家のお兄さんが絡んでない?」 「兄は絡んでいない。…兄が作ったアイテムは絡んでるかも知れないけど、アイテム使用目的までは、管理してないって。」  違法なアイテムは作った本人より、悪用した本人が悪いという事になっている。事件捜査に使用する警察官も存在する為、グレー・ゾーンの領域とされているのだった。  エリサは話題を逸らすように、別のアイテムを紹介した。作業台の上の筒状のペンケースを開けて見せる。中には、ぎっしりとペンが詰まっていた。 「これはペンと見せかけて、…白は薬剤の検査用、ステンレス製のが麻酔剤、赤は簡易版のDNA鑑定装置。各五本ずつ入ってるから。」  使い方の説明が書かれた文書ファイルが、司季のデバイスに送信された。 「あとは…アプリを何種類かインストールしたら終わり。ネットに勝手に繋がる奴とかね!」 「ネットは使えないって話だけど?」 「電波は何処にでも飛んでる。それをキャッチさえすれば、いいって話よ。」  エリサがウインクして見せる。相変わらずのすっぴんだが、そこそこ可愛く見えた。  所長の一真と小暮の定期連絡があった以外は、アポイントメントも来客もなく、いつの間にか就業時間を迎えた。  給湯室でお湯を出し、髪を洗った司季に、エリサがタオルを渡した。 「ね、今日、彼氏のとこ行くの?」 「彼氏じゃねぇよ。」  エリサの問に、司季は即答した。タオルで髪を拭き、エリサから目を逸らす。 「…って、言ってもさ、もう5年以上、関係持ってるんでしょ?」 「関係って、ただの医者と患者だよ。」  そう誤魔化した司季だったが、鴻嶋との関係がエリサにバレていると、薄々と気付いていたので、特に強く反論する事はしなかった。 「…司季ちゃんが無理してないならいいけどさ。一応、心配してるんだからね。」 「うん、有難う。」  素直に礼を言った司季は、エリサを残して外へ出る。  少しだけ心に痛みを走らせ、これから鴻嶋に会いに行こうとする司季だった。

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