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12 司季(Aug.1st at 9:30 )
治験施設へ赴く当日、司季は探偵事務所所長の一真に、所長室に呼ばれた。
「司季、忘れ物はないか?」
部屋に入ると、上司というより保護者の顔をした一真が出迎えた。
「ないよ。」
黒い大き目のショルダーバッグを、司季は叩いて見せた。それから神妙な顔をして言葉を続ける。
「…あの、勝手に仕事を引き受けて、ご免なさい。」
一真は首を横に振った。
「涼香の医療費を気にしての事なんだろ?…お前に負担を掛けるつもりはなかったのに。兎に角、俺達のサポートは得られないと思って、挑むんだぞ。」
最後は喝を入れられ、司季は探偵事務所を後にした。
朝9時半を過ぎた頃、最寄りの地下鉄駅へ到着した司季は、依頼者である犬童に電話を掛けた。
「お約束通り、これから治験施設へ行ってきます。」
「そうですか。…私は何も出来ませんが、陰ながら無事を祈っています。お気を付けて!」
一瞬だけ苦笑し、通話を切った司季は、到着した地下鉄へと乗り込んだ。時期的に夏休みだからか、若者の姿が多い。
司季は僅か一駅目で降車すると、別の路線に乗り換えた。ここからはカディーラ・ジャパンの専用駅まで、直通の予定だ。
乗車客は多く、最初から座るつもりのなかった司季は、扉付近に身を置いた。
降車予定の駅の三つ手前で、多種多様な数人に混じり、一際目を引く、色白の少年が乗車して来た。その顔は中性的で少女のようでもあるが、すらりと背の高い体躯をしている。薄水色のボーダーTシャツに生成りのシャツを羽織った私服姿だが、まだ高校生だろうと、司季は推測した。
――可愛い子だな。…天使ってイメージ?
司季は自身の考えを悟られないように注意しながら、天使な彼を窺った。途中、捜査用のアイテムで、彼を被写体に試し撮りをする事を思い着く。
司季は胸ポケットに入れていたサングラスタイプのデバイスを起動させると、それを掛けた。
このデバイスは探偵事務所所長の一真が、警察機関に届け出を出しているもので、対象に気付かれる事なく、無音で撮影出来るアプリケーションがインストールされているのだった。
黒塗りのサングラスだが、視界はそんなに暗くはない。軽く調節すると、通常時と同じ色合いになった。
少年を撮影しようと振り返ると、あからさまな勢いで、少年に目を逸らされた。どうやら司季の方を見ていたらしい。
――俺、もしかして…怪しい?
そう思いながら、司季は少年の横顔を撮影する。警告音や派手な音は一切出ずに、無事に撮る事が出来た。写真の状態も悪くない。
写真は自動的に司季の義眼デバイスのSSDに保存され、同時に鏑木探偵事務所ネットワークのサーバーにも保存される。司季は一瞬迷った末、少年の写真を削除しないことにした。
――事務所のみんなには、後で試し撮りって伝えればいいか…。
降車駅に到着した。
そこで下車したのは12名。驚いた事に天使な少年も混じっていた。
――君は治験とか受けるタイプじゃないだろう!
そう心の裡で突っ込んだ後、司季は真剣な面持ちに切り替え、カディーラ専用駅に集まる人々の写真を撮り始めた。治験を無事終えた頃、彼らが、ちゃんと生存しているかを確認する為であった。
カディーラの地下玄関前のシャッターが開き、セキュリティ・ゲートが現れた。自然にそちらへ向けて、列ができ始める。司季は直ぐには並ばずに、写真を撮り続けた。
全部で42人、全員が20歳前後で、内34人が女性だった。男女共に見た目が綺麗な子が多い。
――まるでアイドルのオーディション会場みたいだな…。
溜息を吐きつつ、司季が写真を撮り続けていると、天使な少年がじっとこちらを見つめていた。
明らかに目が合った状態で、改めてシャッターを切る。
――やっぱり俺、怪しい?
そう思った司季だったが、捜査をやめる訳にはいかない。
列に並ぶ少年の視線が、一人だけ後方の司季の方へと逸れているので、司季は微笑んで見せ、あっちむいてほい、と、前方を向くように指先で指示を送った。
少年は操られるように、素直に前方を向いたくれた。その隙に1cmサイズの小型ドローンを飛ばす。
掌に収まるスティックタイプの送信機は、サマージャケットの襟裏に取り付けていた。そこから伸びるプラグコードは、司季の首の後ろにあるジャックに挿し込んであるが、長めの髪に紛れ、気付く者はいない。
この駅のダクト配管図を事前に入手していたので、ドローンを地上に出すルートを確保していた。
1m、2mと距離が離れて行き、18mほど離れた位置で、ドローンから送られた映像から地上を確認する事が出来た。行き交う人々の足元が見え、さらに2mほど上にドローンを上昇させると、カディーラ・ジャパン本社の、全面ガラス張りのような、青空を映す大きなビルが見えた。
視界を戻すと、セキュリティ・ゲートへの列は大分、進んでいた。
司季は一番最後に並び、列の様子を窺う。調度、天使な少年が自動発券機のようなもので簡易検査を終えた処で、ゲート内に入っていく処だった。
ついに司季がゲートを潜る時が来た。
「プレートを一枚お取り下さい。その表面を舐めて、ランプの点いた挿入口に入れて下さい。」
機器から出て来た半透明のカードを受け取り、司季は指示に従った。簡易的な唾液検査だが、ほんの少し緊張する。そして数十秒が経過した後、機器の受け口からタグ付きのアームバンドが出て来た。タグにはBの文字がある。
――グループ分けだな。Aが女子とか…?
適当な予想を立て、それを左手首に装着すると、ゲートに緑のランプが点灯した。それを潜る事が許されたサインのようだった。
ゲートを通過し、矢印のホログラムが流れていく先には、一人乗り用のエレベーターがあった。
乗り込むと、アームバンドのタグに反応したのか、エレベーターは勝手に作動した。更に地下へと降りていく。デバイスで地上のドローンとの距離を確認すると、その数値は異例の速さで増していった。
――おいおい、嘘だろ?…何メートル下まで降りてくんだよ!?
100m以上離れると、ドローンとの通信が切れてしまう為、司季は焦り始める。
既に鏑木探偵事務所ネットワークとは不通になり、通常デバイスによる通信は出来なくなってしまっていた。
僅か数十秒の間に、地上から約60m下、建物でいうと10階分を移動したくらいの距離の位置で、エレベーターは停止した。幸い、ドローンとの通信は切れていないようだ。
――これ、何も知らないと、地下2階に降りたくらいにしか思わないんだろうな…。
エレベーターから出たそこは、駅とは言えないような小さなプラットフォームで、薄闇へ伸びる線路上には、真っ白な一両編成の地下鉄車両が停まっていた。
――治験者を移送する為の、専用地下鉄ってことか。
全く予想してない訳ではなかったが、その深度に驚かされる。
地下鉄は障害物なく進んで行くだろうが、地上のドローンは障害物を避けながら追跡してくる為、等間隔をキープしての並走は難しそうだった。
渋い表情で地下鉄に乗ると、天使な少年と他、4名の青年達が乗車していた。それぞれ微妙な距離間で、横長の座席に座っている。
天使な少年が司季に話し掛けたげな表情をしていたので、司季は敢えて、彼から離れた位置に腰を下ろした。
今は雑談している場合ではない。司季はドローンから送信される映像に集中する。
地下鉄が走り出した。時速およそ70km出ているが、ドローンもなんとか着いて来ている。
――このまま箱根付近まで行くのか…?
シミュレーションマップに切り替えて、ドローンの位置を確認する。方角的には箱根方面へ移動しているようだ。
20分ほど走行して、狛江市内に入った。そして数分後、突然ドローンとの通信が切れてしまった。
――何があった?
ドローンから送信された録画映像を確認するが、特に異常は見られなかった。
――これから先は、時間計測で予測するしか、方法はないな…。
ホームである鏑木探偵事務所にドローンが無事、帰還することを祈り、司季は襟裏の送信機の電源を落とした。
それから間もなくして、白い地下鉄車両は停車した。どう見積もっても、箱根には辿り着いていないと思われる。
――ここで終着?狛江市の何処か…って認識でいいのか?
扉が開いたので、全員がそこで降車した。
出発した場所と同じ雰囲気のプラットフォームへ降り立つと、緑の矢印のホログラムが現れ、6人を誘導する。その先で、今度は大き目のエレベーターが扉を開いて待っており、それに全員が乗り込むと、エレベーターは上昇した。
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