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13 司季(Aug.1st at 10:07 )

 誰一人、口を開かず、静寂を守るようにして、6名は治験施設内部へと運ばれた。  扉が開くと、濃紺の制服を着た30代前後の男性が、にこやかに司季達を出迎えた。  初めて遭遇する会社側の人間に応対されると、司季は掛けていたサングラスを外し、胸ポケットへ仕舞った。  エレベーターを出た先は、三方を白い壁、一方を白いシャッターに囲まれた閉塞的な玄関で、広くて無機質な空間だった。 「荷物をチェックさせて頂いた後、宿泊スペースへご案内しますね。」  玄関にはX線CTスキャンの装置があり、手荷物や衣類のポケット等の簡易検査が行われた。 「ウェアラブル・デバイス機器をお持ちの方もいらっしゃるようですが、ここでは通常、使用出来なくなっておりますので、ご了承下さい。」  検査を終えた後、職員は司季をメインに捉えて、そう言った。特に没収される物はなく、人知れず胸を撫で下ろした司季だった。  白いシャッターがゆっくりと上がって行く。  そこは広々としたロビーで、長椅子が数脚並ぶ、大病院の待合室のような雰囲気だった。その長椅子には白いロングTシャツに、白いズボンを穿いた治験者が数人座っており、こちらを振り返った。  それ以上のリアクションはなく、職員も特に言及しないまま、ロビーを進んだ。 ――監視カメラは見当たらないな…。  そう疑問を抱いた司季は、義眼デバイスの熱源反応をスキャンするアプリケーションを立ち上げた。その瞬間、ぎょっとする。  白い壁の中を自由に移動する球体の熱源反応を、複数確認したからだった。 ――球体ドローンタイプの監視カメラか。それにしても、この数、一人一体って事なのか?  その球体は、人が動くと一緒に移動している。司季の勘は当たっているようだった。  職員が司季の注意を引くように、咳払いをした。 「このロビーを挟んで左側が宿泊スペース、右側には食堂、図書室やジム、大浴場といった公室スペースとなっています。」  職員は左側へと進んで行く。それに着いて行くと、宿泊スペースへ通じる扉付近に、このフロアの見取り図が設置されていた。  建物の全貌は分からないが、この見取り図で建物内の広さは把握出来そうだった。 「施設内の扉はタグに反応して開きます。なので、タグの装着を忘れないようにして下さい。」  宿泊スペースへ通じる扉が開いた。  扉が小刻みに点在しているのが見え、入室前から部屋の狭さを予想させられた。 「部屋は一人一部屋となります。宛てられた部屋のワードローブにある衣類に着替え、連絡があるまで待機して下さい。その間、ここでの生活のマニュアルを、視聴してもらいます。」  部屋は全部で20部屋あり、職員が新規6名を空き部屋に割り振っていく。  司季は2号室、天使な少年は12号室と、通路を挟んだ、対局の位置に割り当てられてしまった。  部屋の中は予想通り、キャビンタイプの4畳ほどしかない小さな個室だった。  窓は無い。玄関もロビーにも扉が無かったことから、ここも地下で間違いないだろうと司季は推測する。  扉を閉め、司季が一人になると、小さな薄い羽を忙しく動かした、20cmくらいの妖精のようなキャラクターが壁に現れた。それはプロジェクターにより、壁に映し出されたもので、それを行っているのが、球体ドローン型の監視カメラなのだと司季は気付いた。 「おまえ、こういう事も出来るんだな。」  思わず、見えない相手に話し掛けてしまった司季だった。 「こちらに着替えが入っております。」  妖精が指し示した場所は、壁とは少し素材が違う白い扉だった。それは据付のワードローブで、中も衣類込みで白一色だった。  司季は空いたスペースにショルダーバッグを置き、着替えを始めようと、服を脱ぎ始めた。そこへ妖精が説明しに来る。 「支給品はTシャツ、ズボン、ルームシューズです。下着はありませんので、直接ズボンをお穿き下さい。」 ――下着無しだと!?  着替え終わった司季は、ロビーで見かけた先輩治験者のような、白一色のスタイルになった。ズボンは意外にフィット感が良く、ロングTシャツの為、股間もそんなに気にならなかった。  着て来た服を丁寧にワードローブに仕舞うと、黒いバッグと黒系の衣類が、異質な物のように目立つのが分かった。 ――ここじゃ、白以外の物は目立ってしまうんだな。…ポケットも無いし、下手にアイテムは持ち歩けないって事か。  この施設が白を基調としている意味を、司季は何となく感じ取る。 「ここって、全部白いのか?」  ワードローブの扉を閉め、司季は何気に妖精に訊いてみた。 「それではマニュアルをご覧下さい。」  妖精の言葉に、無視されたのかと思った司季だったが、会話は出来ない仕様になっているようだと踏む。  一人寝用の狭いベッドに腰を掛けると、目の前のワードローブの扉に映像が映し出された。  写真や文字が映し出され、妖精がそれを読み上げ、説明していくといった流れだ。  司季は義眼デバイスで録画しようと、カメラを起動させたが、カメラモードにした途端、映像はただの光になり、撮影出来なかった。 ――なるほどね…。  司季はAR機能でキーボードを出し、文書で記録する事にした。  最初にグループ分けの説明がされる。  今日、新たに加わった6名を含め、現在、このフロアには15名の被験者がいるとの事だった。それを5名ずつの3グループに分けて、担当の職員が一人、二交代制で付き、投薬、検査、カウンセリングを行うという。  グループ分けは部屋割りに準じたもので、司季が該当するのは1号室から5号室までの、aグループとなった。  続いて、一日の主なスケジュールについての説明が行われる。  投薬は一日三回、食事の前に行われ、毎朝9時から10分程度のテスト、そして22時に唾液検査を行うというのが、重要な項目だった。  それ以外は自由にしていいらしく、図書室やトレーニングジム、談話室等の利用を薦めてきた。 「投薬は本日、11時30分より行われます。それまで此方で待機して下さいね。」  マニュアルの再生を終えた妖精は、投薬時間を予告した後、姿を消した。 ――最初の投薬まで、あと30分か…。  司季はワードローブの扉を開け、バッグからトランプの箱をひとつ取り出した。  この箱の中身は、実はトランプではない。  この中にはバイオメディカルドクターの鴻嶋に用意して貰った、フィルムタイプの投薬を摂取しない為の秘策が入っているのだ。  しかし、それを使うにも、監視カメラが邪魔だった。  司季がどんなに死角に入ろうとしても、壁の中を自由に行き来する球体ドローン型のカメラが、回り込んで来る。 ――こいつ、ハッキング出来ないかな?  忌々し気に思った司季は、義眼デバイス内のアプリケーションを探った。エリサが作った強制ペアリング装置を、ダメ元で起動させる。ネットに繋がっていなくても、近距離でのハックが可能になるシステムだ。 『ペアリング出来る機器が、近くにありません。』  予想通りのメッセージが出た。しかし、諦めずに数回アプリケーションは動作させると、間もなくして、 『KCDKzr02と、ペアリングが完了しました。』  と、メッセージが出た。 ――出来ちゃった。  司季はアプリケーションの機能で、監視カメラドローンの内部を探る。カメラの映像を受信してみると、白い壁を透過して、対象を見ている事が分かった。  監視カメラはAIが動かしているが、ペアリングしてみると主導権を譲ってくれて、自由に移動させる事が可能となった。  嬉しさの余り、隣の部屋を除いたり、動かせる範囲を探っていた司季だったが、12号室の天使な少年の部屋を覗き見た辺りで、義眼が熱を持ったことに気付き、慌てて監視カメラを呼び戻した。結構な負荷が掛かってしまうと実感する。  義眼の熱が脳にダメージを与える前に、一旦使用を中止した。 ――なんでも必要最低限だな…。  クールダウンした後、司季は再度監視カメラを乗っ取り、そっぽを向かせた。その隙にトランプの箱から半透明のカードを取り出すと、洗面台の鏡で確認しながら舌に貼り付けた。  特殊素材で出来たそのカードは、じわりと司季の赤い舌に馴染み、一体化すると、全く見えなくなった。  司季は監視カメラのペアリングを解く。  それから数分後に、再び妖精が姿を現した。 「間もなく、お薬の時間です。職員が来るのを待って下さい。」  その言葉通り、間もなくして扉がノックされた。扉を開けると、濃紺の制服を纏っている職員に、外へ出るように言われた。彼は先程の案内人とは別人で、20代半ばといった見た目の、快活そうな青年だった。 「お着替え、終わられてますね!それでは、お薬を飲んで頂きます!」  司季は不安そうな顔で問う。 「あの、その前に質問が…。」 「なんでしょう?」 「機能向上する薬って、PED(運動能力強化薬物)みたいなものですか?」  よくある質問なのか、職員の男は声を立てずに笑った。 「スポーツ選手用のドーピングとは違いますよ。薬の成分は詳しくは話せないのですが、体に有害な物は一切入っておりません。安心して、どうぞ!」 ――全然、安心できないけど。  司季が納得した振りをすると、フィルム製剤が手渡された。  それを職員がじっと見守る中、司季は薄ピンク色の、3cm四方のフィルムを舌に貼り付けて見せる。  瞬時に、それが溶けたのを確認した職員は、左手首のウォッチタイプのデバイスを操作した。 「では、食堂にて昼食をどうぞ。その後は夕方の投薬の時間まで、ご自由にお過ごし下さい。」  そう言うと、職員は司季を解放し、四つ先の扉へ向かった。そこをノックするタイミングで、司季は自室へ戻り、監視カメラのペアリングをオンにする。追跡型監視カメラが長時間無人の画面なのは、よろしくないので、司季は自身の後ろ姿を少しだけフレームインさせる事にした。  ワードローブの中のショルダーバッグからペンケースを取り出す。その中から白いペンを一本、選ぶと、その蓋を開けた。  それから、自身の舌の横を軽く引っ掻き、フィルム製剤を吸収させた特殊材の膜を剥がした。膜は巻かれて小さな筒状になり、それをそのまま、白いペンの中に入れる。  白いペンの蓋を閉めた処で、監視カメラのペアリングを解除した。 ――これで薬の成分解析が出来る。  数分後、ペンが何回か点滅し解析が終わった事を告げた。司季は髪の内側に隠れるように留めていた、ヘアピン型プラグコードを取り出し、素早く片方をペン先に、もう片方を首の後ろに挿す。  このプラグコードはカメラには映りにくい素材なので、比較的堂々と行った。  司季はペン型の薬剤解析装置の出した結果を、自身のデバイスに落とし込んだ。  内蔵された薬学辞典で調べると、ドーピングの薬である、アナボリックステロイドのような物質は入っていなかった。しかし、ゴナドトロピンという性腺刺激ホルモンに似た物質があり、辞書が注意するように促して来た。 ――一番近いのが…不妊治療薬?  司季は首を傾げる。  しかし、幾つか辞典に乗っていない成分もあり、何か特殊な薬剤で間違いないと、司季は結論付けた。

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