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14 司季(Aug.1st at 21:45 )

 治験初日、中々の情報量を得た司季は、一旦、宿泊スペースの宛がわれた部屋に、戻ることを考えた。  時刻は21時半を過ぎた処で、司季は談話室を出て、ロビーを通り、宿泊スペースへ通じる扉を開けようとした。そこで、一人の治験者に声を掛けられる。 「ねぇ、どこ行くの?」  彼は司季と同じaグループで、村崎(むらさき)(つむぐ)という22歳の青年だった。男にしては妙に色っぽく、耽美系の雰囲気が滲み出ている。 「一旦、部屋に帰ろうかなって思って…。」  司季の答えに、村崎は目を丸くする。 「もう直ぐ検査の時間だから、aグループはロビーに集合して待ってるようにって、ちびキャラが言ってたでしょ。初日から、言う事聞かないつもり?」 「え?…あ、うっかりしてた。」  村崎の言う「ちびキャラ」とは、壁の中を行き来している追跡型監視カメラが出す、メッセージ用のホログラムで、投薬や検査の前に必ず現れて、報せてくれるのだった。  司季が調度、監視カメラをペアリングで操っていたタイミングだったからだろう。司季にメッセージは発信されていなかった。 「声掛けてくれて、有難う。」  礼を言うと、村崎は嬉しそうに微笑んだ。 「まあ、僕はここの先輩だからね。…何でも聞いてよ。」 「何でも?」  村崎が誘導し、長椅子に司季と並んで腰かける。何でも聞いていいと言われた司季は、チャンスとばかりに質問を切り出す。 「村崎君…だったよね。君はどうして、この治験に参加したの?」 「あ、早速?…僕はね、ちょっと前までホストをしてたんだけど、ある人に出会っちゃって、プロポーズされて、…その流れでここへ来たんだよね。」  薄っすらと顔を赤らめながら話す村崎の内容に、司季は首を傾げた。 「プロポーズされた流れでの治験って、どういうこと?」 「え?ああ、ちょっと複雑な背景があって…。」  村崎は急に口籠り始めた。司季は怪しむ。 「纏まった結婚資金を要求されたとか?君、彼女に騙されてない?」 「彼女じゃなくて、彼だけどね。…騙されてはいないから!変な推測はしないでね!」 「じゃあ、彼はどんな人?」 「僕より5歳年上の不動産王。男前で、優しくて、Hも凄いんだ。この上ない人って感じだよ。」 「もしかして、αだったりする?」 「…そうだよ。」  司季が次の問を口にしようとした時、aグループの他の3名がやって来て挨拶をした。 「もう直ぐ、検査ですね。」  治験者の中で最年長と思われる、アスリート系の青年が言った。彼は31歳という事だったが、引き締まった美しい肉体をしており、実年齢よりも若く見えた。  後の2名は司季と一緒にここへ来た者で、19歳と20歳の大学生コンビだった。二人共、気が合ったのか、ずっと一緒に行動をしているようだった。 「検査って、本当に唾液検査だけですか?」  19歳の小動物のような雰囲気のある彼が、誰にとはなく訊いた。それに村崎が答える。 「唾液検査だけだよ。プレートを舐めて、おしまい。」 「…それだったら、あのカディーラ本社のセキュリティ・ゲートにあった、自動検査機を置いて、セルフにしたらいいのに。」  司季がそう言うと、背後から言葉が返って来た。 「不正をされては、困るからですよ。」  その場の全員がはっとして、声のする方に視線を向けた。そこには無表情で感情が分かり難いタイプの、40歳前後の職員が立っていた。  アンドロイドのような雰囲気を持った彼が、司季達グループの午後の担当職員だった。常に無表情で仕事に徹し、監視カメラのように治験者達を見張っている。 「皆さん、全員揃っていますね。それでは検査を始めます。プレートを一枚、取って下さい。」  職員の手にした10cm四方の立方体が、半透明のプレートを各面から一枚ずつ出してきた。  一人ずつ、職員の見守る中、そのプレートを舐め、立方体のそれぞれ違う面に返却する。それで検査は終了した。 「就寝時間は決まっておりませんし、公共の部屋の施錠も致しませんが、余り夜更かしはしないように。朝、寝坊されては困りますからね。」  そう言い残して、職員の男はロビーから直通の、カウンセリング室の扉へ向かい、そこへ入った。  それを見送ってから、村崎が提案する。 「みんな、お風呂まだだよね?これから、一緒に大浴場に行かない?」  顔を見合わせた大学生2人は、直ぐに賛同した。しかしアスリート系の青年は、まだジムでトレーニングをすると言い、司季もこれから図書室へ行く用があるからと言って断った。  アスリート系の青年がジムへ、村崎達3人は着替えを取りに宿泊スペースへ行くのを見届け、司季はロビー横のトイレに入った。個室が八つもあり、幾つかある施設内のトイレの内で、ここが一番大きい。  今、利用者は居ないようだった。  個室の中に入ると、壁の中を通り、監視カメラも付いて来る。  最初は最悪だと思った司季だったが、監視カメラの内部のログを探ると、施設職員にその映像をリアルタイムで送り続けているわけではないという事が分かった。録画をし、監視対象が何か問題行動を起こした時のみ、職員、又は研究員に通報するシステムなのだ。  この司季専用監視カメラとのペアリングは、捜査に光明をもたらしていた。  監視カメラが捉えた映像を、スクリーンショットという形で、誰にも気付かれずに保存する事が出来たからだ。  これで治験者一人一人の顔も、施設内の写真も、取り放題となったというわけだ。  しかし、監視カメラとのペアリングは、思いの外、司季の義眼デバイスに負担を掛け、長時間の使用は危ぶまれた。  適当に時間を潰して個室から出ると、数秒差で一人の職員が出て来た。30代後半といった見た目だが、話し掛け易そうな、温和な雰囲気をしている。 「職員の方も、こちらのトイレを使用されるんですね。職員専用って、ないんですか?」  司季が質問すると、職員は笑顔を見せてくれた。 「ありますよ。でも、トイレはこっちのを使ってしまうかな…。」  司季はロビーにあった、このフロアの見取り図を思い出す。 「見取り図には、職員用の部屋って乗ってなかったですよね?」 「君達が入れない場所に、ありますからね。回廊がぐるっとあったでしょ?それを出た処に、私達の休憩室があるんですよ。」  司季は「なるほど」と、その言葉を記憶する。職員から口の軽さを感じ、司季は質問を続ける。 「遅くまで大変ですね。…ここに寝泊まりされてるんですか?」 「二交代制だし、普通かな。…私はあと一時間したら、今日は帰りますよ。」 「宿直も交代制なんですね?」 「そうです。午後担当の一人が、宿直する事になってます。」  彼のレスポンスがいい為、司季は事件についても訊いてみる事にした。 「あの、この前、ここの職員の方が、交通事故死されたんですよね。確か、林さんっていう…。」  職員は手を洗いながら、一瞬、首を傾げた。 「職員?…ああ、それは確か、研究員の人かな。私達職員は研究員の方達と、直接の遣り取りを滅多にする事がないんだ。通夜に行った者は周りにはいないし、交通事故死の話は、噂の域だったな。」  濃紺の制服の職員は、基本、治験者のお世話係で、研究員とはデータを送信するといった、ネットワーク上の遣り取りしかないのだろう。 「今、君のグループの午後担当の盛澤(もりさわ)さんなら、林さんって人?知ってるかも知れないけど、噂話の詮索とか、彼は基本、答えない人だからね。…それじゃ、お先に。」 ――確かに、そんな感じだ。  司季は投薬や唾液検査の際の、アンドロイドのような担当職員を思い出し、困ったように微苦笑した。  職員が出て行った後、司季もロビーへ出ると、見取り図を再度確認した。  回廊へ出る扉は幾つかあるようだが、全て治験者のタグでは開錠されない扉だった。  司季は一旦、宿泊スペースへ戻り、宛がわれた2号室の中に入った。  一人寝用の狭いベッドに座ると、不意に眠気に襲われた。耐え切れず横になる。  本当は今日得た情報を整理する為に、一旦戻って来たのだが、一人になると疲労感が司季を怠惰にさせた。 ――明日にするか…。  そう思いながらも、鏑木探偵事務所に報告していない事を司季は気にした。 『電波は何処にでも飛んでる。それをキャッチさえすれば、いいって話よ。』   エリサの言葉を思い出すと、横になったまま、電波を自動的にキャッチするアプリケーションを起動させた。  すると暫くして、司季の義眼デバイスに異変が起こった。急激に発熱し始めたのだ。 ――ヤバい!!…フル稼働した!  司季はアプリケーションを強制終了した。  義眼デバイスは脳神経とも直結されている為、脳にも負担を与える。そして42度以上の発熱は、脳細胞にダメージを与え、最悪、死滅させてしまうのだ。  司季は飛び起きると、部屋のコントロールパネルで部屋の温度を、最低まで下げた。  冷気を鼻からゆっくり吸う。それを何度も繰り返した。  脳内を冷やすのに、氷や冷却シートで、額や後頭部を冷やしても、余り効果を得られない。  脳を冷却するには、冷たい空気を鼻から吸う。これが一番手っ取り早い方法なのだ。  司季は鏑木探偵事務所に、連絡を入れる事を諦めた。

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