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16 司季(Aug.5th at 8:30)

 治験五日目の今日も、司季は治験者一人一人から情報を集めていた。  今日はcグループに振り分けられた5人から、話を聞くつもりだった。  司季は食堂で朝食を食べ終えた後、一人でゆっくりとコーヒーを飲む、cグループの青年を見掛けると、声を掛けてみた。にこやかに返され、司季は彼の正面の席に座ってみる。  土橋(つちはし)と名乗った、少し恥ずかしがり屋の彼は26歳で、会社員という事だった。 「…会社員なのに、治験なんて受けて、大丈夫なんですか?」 「実は…上司命令なんですよ。」  その答えに、司季は面食らう。 「機能向上を求めて…ですか?そんなの、パワハラじゃないですか。」  それに対しては、気弱な笑みが返ってきた。 「僕の上司は…凄く優しい人ですよ。僕の事、凄く気に掛けてくれて…。ここを勧めたのも、僕に頑張って欲しいからなんだと思います。」  更に二点ほど質問した後、司季は秘かにデバイスを起動させ、メモを取った。 ――みんな、誰かに勧められて…って形ばかりだな。…だからなのか、あの申し込み用紙の出処を誰も知らない。  9時を過ぎた頃、司季は土橋と二人で、毎朝恒例のテストを受ける為に、カウンセリング室直通の扉があるロビーへと向かった。そこにはcグループの一人とbグループの一人が、並んで長椅子に腰掛けていた。  bグループの青年は昨日、話を聞いたばかりの葛西(かさい)という大学生で、司季を見ると、笑顔で挨拶してきた。 「都積さん、もうテスト始まってますよ。」 「知ってる。でも、5人ずつしか受けられないから、どうせ待機だろう?」  司季がまだ話した事のないcグループの青年に、ちらりと視線を走らせると、葛西が紹介してくる。 「この子は宇佐美(うさみ)君で、俺と同じ大学の同級生です。…学部が違うんで、面識は無かったんですけどね。なんと、叔父さんがカディーラの社員らしいです!な?」  葛西に同意を求められ、宇佐美はおずおずと頷いた。  司季はカディーラの社員という言葉に、キラリと目を光らせた。 「それじゃ、君は叔父さんに勧められて、ここへ来たの?」  司季が問うと、彼は小声で経緯を説明する。 「正確には叔父の友人が。彼もカディーラの人で、何回か会って話すうちに親しくなって…。何かバイトがしたいって言ったら、ここを紹介してくれました。」 「叔父さんと、その友人はカディーラの研究員?」  司季は質問を続ける。 「そう…ですけど。この施設の研究員ではないです。」 「そっか…。叔父さん達に、機能向上って何か訊いてみた?」 「ああ、一応。…言葉そのままだよって言われました。一時的にIQが上がったりとか…?」  宇佐美の答えは最後、疑問形になり、彼なりの解釈の域のようだった。 「そう言えばさ、先月の初め頃、カディーラの研究員の人が交通事故死したってニュース聞いた?」  司季はダメ元で話を振った。  宇佐美と葛西は首を横に振ったが、土橋は見た気がすると言った。 「…確か自動運転解除による事故死でしたよね?でも、あまり報道されなくて…。噂では中国の産業スパイが、捕まる前に自殺したとか、言われてませんでしたっけ?」 「そうなの?それは初耳だ…!」  司季が驚いて見せたタイミングで、テストを終えた治験者の一人が、カウンセリング室の中に入るように伝えて来た。  4人はテストを受ける為、カウンセリング室に向かった。  カウンセリング室の中は広く、扉は四ヶ所にある。ひとつは今、入って来たロビーに通じる扉、ひとつは隣の談話室へ通じる扉、もうひとつは中に設けられた医務室への扉。そしてもうひとつの扉が、回廊へ出られる扉なのだった。職員の休憩室は、この部屋の近くではないかと、司季は睨んでいる。  5人揃った処で、5台の横並びにされた机に着いた。机の周りはパーテーションに囲まれており、相談等は一切出来ないようになっている。  席に着くと、机上モニターの画面がONになり、説明もなくテストは開始された。  モニターには4、5枚の写真やイラスト、図形が表示され、それを1枚タッチすると、次の映像に切り替わるという流れで、それが10分間、続くのだった。  ここでテストを受けるのが四回目の司季は、一度試したかった方法でテストを受けた。それは出て来た写真を、複数の指で同時押しをする事だった。  悪戯心を持ちながら、実際にやってみた司季だったが、すんなり進み、エラーにはならなかった。 ――このテストって、機能向上の成果を調べてますっていう、ただの演出で、本当は意味が無いんじゃないか?  司季は全面的に疑念を抱いた。 「どうでした?」  テスト終わりに、司季が土橋に問うと、彼は少しだけ首を傾げてみせた。 「僕は一週間目になるけど、いつもと変わらない…かな?」  そこへ葛西と宇佐美も加わってきた。 「俺はいつもより、早いスピードで出来ましたよ!」 「早いから、どうなのって気はするけどね。」  一旦、ロビーへ出ると、葛西がこれから何をするか、口に出して迷い始めた。 「学生なんだし、図書室で勉強したら?」  司季が提案すると、葛西が唇を尖らせた。 「えぇ!?俺を一人にしないで下さいよ。…そんなワケで、みんなで図書室へ行きましょう!」  宇佐美と土橋が賛同し、少し迷った司季だったが、宇佐美とだけ、もう少し話したかったので、それに付き合う事にした。 「都積さんは…俺の想像ですけど、駆け出しの俳優とか、モデルやってるって感じです。」  廊下を歩きながら、葛西が司季の印象を述べた。 「え?俳優?…俺はそんなんじゃないよ。俺はね、世話になってる人の奥さんが難病になって、それの手助けにならないかと思って、割のいい、このバイトに参加したんだ。」 「そうなんですか?…顔だけじゃなくて、心まで男前なんですね!」  神妙な面持ちになった司季に、葛西が感涙して見せた。そんな葛西に宇佐美が問う。 「そう言えば、葛西君はどういう経緯で、この治験に参加したか聞いてなかったな。教えてよ。」 「そうだっけ?俺の場合は…学部の先輩がこのバイトをしたいって言ってて、一緒に参加しようって誘われたんだ。でも、いざ申し込んでみたら、先輩がαで不採用になって、俺だけになってしまったという…。」 「申し込みの内容、ちゃんと読んでないからだよ。…っていうか、その先輩に嵌められてない?」  昨日、葛西に話を聞いていた司季も、同様に感じていた。 「いや、だってαとかβとかの性別って、普段、考えたりしないだろ?そもそも、それって何なのって感じだし。先輩も一切、αなんて口にしないからさ。先輩も、うっかりしてたって言ってたし。」 「うっかり忘れる?…αって、そんな感じじゃないと思うんだけどな。どう思います?土橋さん。」  宇佐美が土橋に話を振ると、彼は苦笑してみせた。 「優秀なβもいれば、少し抜けてるαもいるのかもね。」 「そうそう、先輩は少し抜けた人なんだよ。…たまに計算かなって思う時もあるけど、基本、抜けてる。」  葛西がそう言った処で、図書室へ辿り着いた。  司季が図書室を訪れたのは、今日で二度目だった。  初めて訪れた時、ここは真っ白な壁に囲まれた中に、机と椅子が点在する無機質な空間だった。しかし、アクセス権限のメッセージがデバイスに表示され、それを了承すると、沢山の蔵書に囲まれた、バーチャル・リアリティな図書館内に変わった。  二度目の今日は、最初から本の詰まった棚に囲まれている。本はAR機能で閲覧可能だった。  ふと、視線を感じた司季は、初日に一緒になった「天使な少年」がいる事に気付いた。彼は黒縁の眼鏡を掛けた少年の傍で、一緒に勉強しているようだった。 「何しようかな?」 「勉強でしょ?」  ここへ来ても迷っている葛西に宇佐美が突っ込んだ。 「僕は映画でも鑑賞しようかな。」 「じゃ、俺も!」  土橋の意向に葛西が乗っかり、宇佐美もそれに続いた。  司季は二時間も潰せないと思い、他に約束があったと言って、辞退した。  その足で、天使な少年と眼鏡の少年の傍へ赴く。 「二人共、勉強中なのかな?…まだ学生だよね?」  司季は警戒されないように笑顔を浮かべ、話し掛けてみると、天使な少年の顔はぱっと輝き、眼鏡の少年の顔は明らかに強張った。気を取り直して、天使な少年の方に話し掛ける。 「君は…参加初日に一緒だった子だ。」 「あ、はい!」  食い気味に元気な返事をした彼は、直ぐに声のトーンを落とした。 「…高峰(たかみね)明砂(あきさ)、高校生です!」 「俺は都積。社会人だよ。そっちの彼は…大学生かな…?」  司季は名字だけ名乗ると、眼鏡の少年の機嫌を取る為に、予想より上に見立ててみた。しかし、彼のとげとげしさ増すばかりで、冷たい一言が発せられる。 「今、忙しいんで…。雑談するなら、他所でやってくれます?」 ――この子の眼鏡、ウェアラブル・デバイスだよな。ちょっと気になる…。  とげとげしさに動じない司季は、質問を続ける。 「ご免、ちょっとだけ!その眼鏡で通信してるの?」 「…してますけど、ちゃんと許可は取ってありますよ。」 「ちょっと、見せて貰ってもいい?」  司季は強硬手段に出た。眼鏡を有無を言わさず、取り上げたのだ。 「え、あ!勝手に…!」  司季は眼鏡を掛けると、アクセス先を確認した。 「ふうん、大学のサーバーに繋がってるんだ。…受信のみ出来るんだったね。君って薬学部なの?」 「そうですよ。もう、返して下さい!」  顔が紅潮し、今にも爆発しそうになっている彼を見兼ね、司季は眼鏡を返した。受け取った彼は、直ぐにそれを掛け、少しだけ落ち着きを取り戻した。 「治験(これ)に参加したら、なんかメリットがあるとか?」  司季は質問を続ける。 「…定期的にあるテストが、幾つか免除になるくらいですよ。」  不機嫌ではあるが、眼鏡の彼は答えてくれるようだった。司季は気を良くする。 「じゃあ、自分の意志で応募したの?」 「そう…ですけど…。」 「誰かに勧められたわけじゃなくて?」 「あなた、何なんですか?これ以上、邪魔しないでもらっていいですか!?」  遂に眼鏡少年の怒りが爆発したようだった。  不意に立ち上がった天使な少年、高峰明砂が、司季の手首を掴んできた。 「都積さん、僕と二人でお話しましょう。こっちへ…。」  明砂はその手首を引っ張り、司季は図書室の外へ連れ出されたのだった。

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