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17 司季(Aug.5th at 9:30)

 図書室を出た明砂は司季の手首を掴んだまま、白く長い廊下を、ロビーのある方向へ進んで行く。その後頭部には本人が気付いていないであろう、外はねの寝癖が付いており、アホ毛のように軽快に動いていた。 ――本当に、この子、可愛いな…。  司季は思わず緩みそうになった顔を、引き締める努力をする。 ――何処に連れて行く気だ?…談話室?違うのか。…ロビー?  司季が予想を立てていると、明砂がちらりと振り返り、問い掛けてくる。 「ここに居る皆に、何かを訊いて回ってるみたいですね?」 ――この子は俺に、何か感じてるようだな。  そう思った司季は、言葉を選ぶ必要があると警戒する。 「ああ、そうなんだ。…いざ応募して来てみたら、急に不安になってね。」 「不安…?都積さんは何か違う気がします。」  なるべく不安そうな顔をしたつもりの司季だったが、敢え無く否定されてしまった。  明砂はロビーの手前で立ち止まり、そこで司季と向かい合った。どうやら、ここで尋問されるらしい。司季は覚悟を決めて、壁に凭れ掛かった。 「実は警察関係者で、潜入捜査中…とかなんじゃないですか?」  声を潜めて明砂に問われ、驚いた司季は、思わず笑ってしまった。 「俺が?…日本の警察って、潜入捜査はやらないんじゃなかったっけ?」  そう返すと、明砂は余裕に満ちた笑みを見せてきた。そして人差し指を立てて言い放つ。 「じゃあ、然るべき処に雇われた探偵ですね!」  然るべき処ではないが、一応、正解だ。しかし、当たっているとは言えない司季は、誤魔化すしかないと考える。   「天使君、なんか嬉しそうだね…。」 「なんですか?天使君って…。」  あからさまに、明砂が嫌そうな反応を見せた。 「君のあだ名。名前知らない時に、第一印象から付けてたんだ。…よく言われない?」 「い…言われた事なんかないですよ。そんなあだ名、やめて下さい。」  嫌な思い出でもあるのか、強く拒否された。普通に考えて、高校生の男子に天使など、気恥ずかしい限りなのは、なんとなく理解出来た司季だった。 「都積さん、最初に会った地下鉄の駅で、その場に居た、治験参加者の写真を撮ってたでしょう?そして、そのデータを通信出来なくなる前に、小っちゃなドローンに転送して、誰かへ送った。違いますか?」  明砂の推理が続き、司季は首を傾げて見せた。 ――まだ続けるんだ…。これは、ある程度、話を聞いてやらないと終わらないかな。もう少し、付き合ってやるか。俺も彼に訊かなきゃならない事があるしね…。それにしても、よくあのドローンに気付いたな…。  小型ドローンの用途は違っていたが、彼の推察は、ほぼ当たっていた。しかし、惚けるしかない。 「写真を?…撮影してたら、普通、まるわかりだよね?俺が撮影してる音が、君には聞こえたとでも言うのか?」 「いいえ。…だから警察関係者、若しくは、そこに雇われた探偵なのかなって思ったんです。彼らは捜査中に限り、無音で通知もなく、写真が撮れるんですよね?」 ――盗聴アプリの存在か…。最近、リアリティ重視の小説やドラマでも、このネタ使われてるからな…。  取り敢えず、司季は頷いてみせる。 「そんなの、あったね。…だけど、俺は違うよ。俺はただの…自称ジャーナリストって奴さ。そういうの、沢山居るだろう?ブロガーに毛が生えたようなのがさ。俺もその一人だよ。」  そう誤魔化してみると、明砂は夢を壊された子供のような顔をした。これは信じてくれたと、司季は手応えを感じる。 「ここの事を記事にすると、訴えられますよ。」 「治験について書くだけだよ。薬の事と会社名を伏せれば、ギリギリOKだろ?」  明砂は首を横に振る。それはOKではないという意味ではなかった。 「もう、探偵だって、本当の事言って下さいよ。絶対、誰にも言いませんから!認めてくれたら、何でも協力します。」  司季は壁際に追い込まれ、自白を強要、というより懇願された。 「何でも?…探偵だって言ったら、協力してくれるの?」 「…します!」  何でもしてくれるのは、有難いと思った司季だった。  男の子に迫られているような、このシチュエーションに、司季ははっとすると、監視カメラの警告を警戒した。  司季は苦笑すると、壁際から抜け出し、ロビーの長椅子まで移動した。  カウンセリング室でのテストも終了し、今は誰もいない。  二人で長椅子に並んで座ると、司季は明砂の様子を窺いながら切り出した。 「仮に俺が探偵だったとして、証明できるものは何もない。それでも、探偵だって言って欲しい?」  明砂の瞳が輝く。 「はい、証明なんかいらないです。僕の勘は当たってますから。…それで、何を調べてるんですか?」 「捜査内容を軽々しく口にする探偵が、いると思うかい?」 「僕をここだけの助手にして下さい。…そしたら、いいでしょう?」 「天使君、いや、ご免。高峰君って、変わった子だね。」  会話から、まるで探偵ごっこの中の駆け引きのようだと思い、司季は本気の笑いを洩らしてしまった。  明砂は赤面した頬に、両手を宛てる。 「今、読んでる小説の主人公の探偵が、都積さんのイメージにぴったり過ぎて、思わずこんな風に…。」  明砂の事を可愛いと思う司季は、彼を利用したいが、巻き込みたくはないと考えた。 「あのさ、知らない方がいい事ってあるだろう?…潜入捜査が必要な治験って思ったら、怖くならないか?」 「…確かに。…もしかして、死亡事故があってたりとか?」 「いや、大丈夫だよ。それは無いから…。」  鋭いな、と思いつつ、司季は考える。 ――依頼内容は教えずに、探偵ごっこレベルの事をさせるくらいなら、問題ないのかな…。  明砂が司季に向ける視線は熱く、憧れや尊敬が混じっている。見た処、素直でいい子そうなので、言う事は聞いてくれそうだ。  ふと明砂に視線を戻すと、落ち着かなくなった彼の態度に気が付いた。 ――もしかして、死亡事故を気にしてる?  それをマズイと思った司季は、明砂の肩を叩いた。 「だから大丈夫だって!…あのさ、君がこの治験に参加した経緯を、教えてくれる?」  それを機に、司季は本来の自分の仕事に取り掛かった。  少し間があったが、明砂は口を開く。 「父が六月に再婚したんです。それで、新婚の二人きりにしてあげようって思って…。でも、長期間、家を空ける方法も分からなくて…。そしたら、幼馴染がここのバイトを教えてくれたんです。ちょっと不安だったけど、応募してみました。」 「幼馴染がね…。その子の名前、訊いてもいい?」 「ああ、えぇっと、光嶌怜っていいます。」 「ミツシマ…レイね。」  明砂から聞いた情報を、司季は義眼デバイス内に記録した。その際に、宙でキーボードを打つ仕草をしてしまい、勘のいい明砂が、それに気付いたようだった。 「デバイス、使えるんですか?」  後で口止めすればいいかと思い、司季は肯定する。 「俺のはね。ネットに繋がらなくても、使える機能が幾つかあるんだ。」 「へぇ、凄い…。内部ストレージを拡張してるんですか?」  明砂の視線は、司季の目の奥に向けられているようだった。その視線を受け止めた司季は、悪戯心を擽られる。思わせ振りに、ぐっと顔を近付けてみた。 「両目共、義眼なんだ。それを利用して、コンピューターを埋め込んである。パーソナル・コンピューターって奴を、二台持ち歩いているのと同じなんだよ。保存容量にも困る事はない。」  恥ずかしがって退くのではないかと予想していたが、それを裏切り、明砂は司季の義眼を、食い入るように見つめてきた。  司季は説明を続けてみる。 「外側はね、iPS細胞を利用して、バイオプリンターで作ってあるんだよ。…この事は誰にも内緒だからね。」  司季が囁くように言うと、明砂の目がふいに半分閉じかけた。長い睫毛が揺れている。  明砂の睫毛は目尻側が特に長く、それが彼の絶妙なタレ目感を助長してるのだと、司季は気付いた。 ――この子、まさか、キスを待ってるのか?  顔を近付けたままでいると、監視カメラが発するアラートである妖精のようなキャラクターが、近くの壁に現れる。少し早い出現だと訝った司季は、自身の前科を思い出した。 「二人は何をしているのですか?」  不意な問い掛けに明砂は驚き、立ち上がった。そして妖精に返答する。 「…あの、話しているだけです!」  その様子を見て、司季はまた、笑いを誘われた。 「そいつと会話は出来ないよ。」 「そうでした。…今の話、聞かれてたんでしょうか?」 「いや、それは大丈夫。…治験者同士でいちゃついたり、性行為をしたりするのは禁止だから、警告されたんだよ。」 「せ…!?」  純情極まりない明砂の尻を、軽く叩いた司季は、ゆっくりと立ち上がった。 「一旦、解散しようか。」 「え?それじゃあ、午後にでも…!」  明砂は追い縋るように、司季の前に立ち塞がった。  司季は少し考えてから、彼を利用する事を決意する。 「…明日の午後でいいかな?それまでに、あの眼鏡の子の、ここへ来た経緯を訊いて来てよ。俺は嫌われちゃったみたいだからさ。…明日の午後、君の都合がいい時に、俺を見つけて。」  そう言うと、明砂は嬉しそうに頷いた。彼から受ける憧れの眼差しは、正直、心地良い。  司季は先に歩き出すと、談話室へ入った。明砂は着いて来ず、そこで胸を撫で下ろした司季だった。

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