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19 司季(Aug.11th)

 8月11日、治験者の一人である、村崎紬が居なくなった。  職員の一人に尋ねると、彼から十分な検証データが取れたから、退所して貰ったという答えが返って来た。  村崎の滞在日数は18日間と、かなり早い方だったと言える。  司季は前日の村崎を振り返ってみる。  20時過ぎの食堂で、一人でスイーツを食べている村崎を見掛けた。  なんとなく気になり、司季は彼の傍へ行ってみたのだった。 「村崎君、またケーキ食べてるんだ。…ところでさ、村崎君って何処から来てるの?やっぱ、新宿?」  問いながら、司季は彼の正面に座った。 「大阪生まれの大阪育ちだけど。」  その答えに、司季は驚いて見せる。 「本当に?全然、関西弁じゃないから、気付かなかった。」 「そりゃあ、イントネーションには気ィ付けてたし!」 「あ、今、関西人っぽかった!」 「わざとやし!」  司季がそこから話を拡げようと口を開いた瞬間、村崎が唐突に話題を変えてきた。 「ねぇ、司季君はさ…Ωって知ってる?」  関西弁は封印され、いつもの村崎の口調になっていた。  Ωという急なワードに司季は戸惑い、Ωに関する記憶を辿る。浮かんできたのは、いかがわしい店の看板だった。 「Ωか。…よく風俗店の名前で見掛けるよな。」  村崎は残念そうに、溜息を吐いて見せた。 「昔は性を売るΩが、沢山いたって話だからね。」 「…Ωって、昔存在してたっていう性別だっけ?」  司季は推測で物を言った。α、βという性別があるのだから、Ωという性別もあるのかも知れないと思ったのだ。 「そうだよ。Ωは唯一、αと番になれる存在なんだ。」  村崎は肯定すると、別の聞き慣れないワードを出してきた。 「ツガイ?…動物みたいな言い方だな。」 「人間だって、動物でしょ?番って言葉、いいと思わない?運命の相手と一生を添い遂げるって、最高だよね。その特権を与えられたのは、αとΩだけなんだよ。」  村崎は夢見るような表情を浮かべた。 「俺は聞いた事ないけど、Ωは存在しているのか?」  村崎は意味深長な笑みを浮かべた後、アメジストのような両目を伏せた。 「昔、Ωは社会に疎まれた存在だったんだって…。でも今は、保護法もあるし、存在しても悪くないと思うんだ。」  村崎はふらりと立ち上がると、フルーツが保存されている、ショーケースの前に移動した。フルーツの皿を物色しながら、そこで立ち眩みを起こしたのか、床に膝を着く。 「おい、大丈夫か?」  司季は思わず駆け寄ったが、彼に触れることを戸惑い、見守った。 「ダメ…。体、熱い…。」  立ち上がれないまま、前屈みになった村崎のズボンは、透明な水分を滲ませていた。 ――こいつ、漏らしてる?  そう見て取れたが、異臭はしない。寧ろ、芳香が広がっていた。  間もなくして、職員が二人走ってきた。監視カメラの通報が届いたのだろう。 「彼、急に倒れたんですけど、…大丈夫ですか?」 「ええ…。ちょっと、熱が高いようですね。医務室へ運びます。」  職員二人に担がれて、村崎は運び出されてしまった。  それが最後に見た村崎の姿と思うと、もっと出来るだけ彼に質問しておけばよかったと、司季は悔いた。 「都積さん、大丈夫ですか?」  トレーニング・ジムの壁際のベンチに座り、頭にタオルを掛けて俯く司季に、明砂が心配そうに声を掛けた。 「ああ、うん。大丈夫だよ。」  明砂が横に座ると、司季は村崎に詳しく聞きそびれた事を、明砂に尋ねる。 「明砂はΩって、聞いた事ある?」 「ああ、ありますよ。学校の友達から、都市伝説みたいな感じで。」  いい返事が返ってきて、司季は心の裡で、「明砂、サイコー!」と叫ぶ。 「Ωは今から…45年くらい前?に絶滅した性別の一種で、繁殖行為に特化した体してる…とか、言ってたかな。」 「繁殖行為に特化って、何?」 「さあ?よく、分かりませんけど…。一番、信じられなかったのが、男もΩ性だった場合、妊娠しちゃうとかで…。発情期のあるΩはフェロモン撒き散らして、周囲の人間を誘惑しまくるらしいって話でした。」 「男が妊娠ね…。」  信じ難いと思った司季の脳裏に、何故か村崎の顔が過った。 ――発情期…?フェロモンを撒き散らす…?  司季の引っ掛かりを他所に、明砂は言葉を続ける。 「あとは…政府がΩを秘かに探してるって話で、インプラント管理法が設立されたのは、Ωを見つけるのが目的だったって噂もあるらしいです。」 「政府が何の為に?…まさか、そこで繁殖行為に特化ってワードが出てくる?」 「多分、そんな感じです。出生率を上げたいって事なんですかね?」  司季は眉根を寄せ、考え込む。 ――そんな噂があったなんて…。村崎はΩを、αと番える存在と言っていた。だとしたら、αが欲しがっているのはαではなくて、そのΩって事が考えられないか?  司季の調査で、ここにいる治験者に申し込み用紙を渡したのが、全員αだという事が判明していた。 ――…つまり、この施設はαの為に、Ωを人工的に作る研究をしている?  司季の頭の中に、半疑問形ではあるが、ひとつの仮説が成り立った。 「明砂、投薬の時、アレ、使ってみた?」  治験薬の危険性を改めて感じた司季は、声のトーンを落として訊いてみた。  「アレ」とは舌に貼る薬剤吸収シートで、昨日、司季はそれを、施設支給のドリンクボトルに30枚ほど入れて、明砂に渡したのだった。そして、その使い方の説明書は、データで渡していた。 「…あ、はい。…いえ、実はまだなんですけど…。」  明砂の答えは歯切れが悪いものだった。 「言っただろ?薬は飲まない方がいいって。…もしもさ、あれがΩ化する薬だったら、明砂はどうする?」  口にすると、Ω化の仮説の信憑性は、薄っぺらに感じられた。 「そんな存在してもない性別を、どうやって作り出すんです?」  明砂にも逆に質問で返され、司季は黙り込む。やはり、俄かに知った都市伝説レベルの存在を、持ち込むのには無理があったようだ。 「…明砂に何かあったら困るんだよ。俺に何かあった時に、明砂にはデータを届けて貰う使命を託してるんだからさ。」  司季は保険のつもりで、調査記録を纏めたデータのコピーと、鏑木探偵事務所の連絡先を記載したデータを、明砂に渡していたのだった。 「分かってますけど、もう少しだけ、自分の体で様子が見たいんです。…あと三日だけ続けたいです。それで何か分かったら、都積さんに報告します。それから飲まないようにするので、了承して下さい!」  後三日で二週間。二週間で退所したという治験者は今の処、居なかった。明砂に懇願され、司季は許す事を決める。 「…三日だな。でも、少しでも違和感を感じたら、薬は飲むな。」  そう約束して、二人は別れた。  その日の夜、ベッドに入った司季は、Ωについての仮説を反芻していた。 ――やっぱり、α化よりもΩ化の方が、しっくりくる。…Ω特有の発情フェロモンは、周囲の人間を誘惑しまくるらしいって言ってたし。  司季は熱くなってきた自身の体に、溜息を吐いた。 ――…最近、俺もムラムラ感がヤバい。きっと、周りのフェロモンに当てられてるんだな…。  ふと、明砂の事が気になった司季は、球形ドローン型監視カメラのイニシアチブを奪い、壁の中を移動させて、明砂の部屋を覗いた。  気晴らしのつもりの司季だったが、明砂が丁度、自慰の真っ最中だった為に、逆に煽られる形になってしまった。  前日、明砂はここ最近の変化として、朝起きるとズボンが濡れていると話してくれた。それに対して、自慰をしないからそうなるのだと、返した司季だったが、まさか今、それが実行されているとは、夢にも思っていなかった。  ベッドに横たわる明砂は、ズボンは穿いておらず、ロングTシャツの下に隠された中で、もどかしそうに擦る作業を行っている。  清純で無垢な印象の明砂が、徐々に乱れ、高まっていく姿に、司季は自身をも昂らせていった。  いつもならコントロール出来る熱も、今は長時間嗅いだフェロモンの影響か、抑えがきかない。 ――明砂、もっと、君の全てを見せて…!  遂に、司季も自身の熱を解放すべく、動き始める。  喘ぐ明砂を見つめながら、司季は明砂の見えない部分を想像した。  明砂の未開発な場所は、司季の小指一本でも拒むだろう。それを少しずつ解し、奥のスイッチを弄ることが出来れば、もうこっちのモノだ。 ――ああ、明砂、可愛い…!  直ぐにでもイキそうになるのを、明砂の状態に合わせてセーブする。  一方的な駆け引きも相まって、やがて、ほぼ同時に達することが出来た。 ――俺、最悪だ…。  その後、司季は今までにない罪悪感を感じたのだった。

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