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2 累(Past days~2054~)
――αか…。
大学からの帰り道、累は頭を悩ませながら、ふらふらと歩いていた。
追試を終え、夏休みに突入するというのに、全く気分が晴れなかった。
熱い陽射しから逃れるように、累は地下道へ降りて行く。空調は効いているが、人混みの熱気が時折、感じられた。
地下街の何処にも寄らずに、累は地下鉄に乗った。
席には座れなかったが、ゆったりとした状況で立つことが出来た。
そんな中、累は過去の記憶を蘇らせていく。
――αなんて、出会った事がないって、言う人が殆んどなのに…。
過去、累は三人のαに翻弄され、傷付いた事があった。
その所為で累は、αの存在に対して、過敏に反応してしまうのだった。
αという性因子を持って生まれた人間は、通常、自己申告をしない為、世の中の人々は、αを意識しないで生きていくのが大多数だ。
世界のトップに立つ人間がαだと噂されても、身近な人物に対して、α性じゃないかと勘繰ったりする者は少ない。しかし、累は経験上、常に優秀な人物を見掛けると、αじゃないかと猜疑の目を向けてしまうのだった。
――今までに出会ったαは、皆、俺を裏切って、遠くへ行ってしまった…。
累が最初に出会ったαは、早瀬 万葉 という幼馴染の少女だった。
2048年の9月、小学校の入学式で万葉に初めて出会い、実は同じ団地内に住んでいるという事を知り、仲良くなった。
初めて会った時の万葉は、髪も長く、女の子らしい恰好をしていたが、成長する毎に中性的になっていき、五年生になる頃には、ショートヘアにパンツスタイルという少年のような恰好を好むようになっていた。
そんな彼女に戸惑いを感じた累だったが、どんな姿をしても美しく思え、好きだという気持ちの方が大きくなっていった。
六年生の初め頃、バスケットボール部で活躍していた万葉は、多くの女子生徒に人気があった。中には憧憬を通り越して、恋愛対象として彼女を見る女子もいるようだった。
そんな折、友人の一人が、累に噂を運んできた。
「万葉がさ、バスケ部の後輩とキスしてたって。」
「…それって、女の子と?」
「そうそう。」
「誰か、見てたの?」
「…らしいよ。万葉ファンの誰かが見たんだって。詳しい話は知らないけど…。」
「ただの噂じゃないか!」
そこで怒ってみせた累だったが、胸を締め付けるような不安を感じた。
10階建ての自宅団地まで一人で帰ってきた累は、敷地内にある公園のベンチに座り、万葉の帰りを待つことにした。
夕暮れ時になり、クラブ活動を終えた万葉は、団地のセキュリティ・ゲート前で数人の友人と別れ、一人ゲートを潜った。
足早に歩き出した彼女は、ふと、公園の方に視線を走らせ、ベンチに座る累に気付くと、一旦、足を留めた。それから、彼のもとへ駆け寄っていく。
「どうしたの?部屋、入れないの?」
学校帰りのままの姿を問われた累は、首を横に振る。
「万葉ちゃんを待ってたんだ。」
「そうなんだ。…何か用?」
万葉が隣に腰掛けると、累は思い切って口を開いた。
「…万葉ちゃんが、バスケ部の後輩とキスしてたって聞いたんだ。それ、本当なのかな?」
それを聞いた万葉は、面食らったような顔をして見せた。
「私が?後輩と?…誰だろう?…ハッチとかかなぁ?」
万葉は首を傾げて考えている。
「…したの?」
「してないよ!今、考えてたのは、そんな噂を言い出しそうな子、誰かなって事。」
それを聞いて、ほっとしている累の手首に、万葉の手が重ねられた。
「ねぇ、ちょっと来て。」
万葉は立ち上がると、累の手を引き、歩き出した。
引き摺られるようにして万葉の後を行く累は、自分よりも5cmほど高い、すらりとした彼女の体躯を、眩しそうに見つめた。
万葉は累を連れて、団地の壁面と高い塀の間の、狭い路地へと足を運んだ。
角度的に夕日が当たらず、通りからも死角になっている場所だ。そこで二人は、近い距離で向かい合う。
「女の子同士でキスって、どう思う?」
万葉が軽く身を屈めて、累に囁いた。
「…変だと思う。」
累は小さな声で、否定的な答えを返した。
「そう。…じゃあ、私が累君にキスするのは、どう思う?」
「え…?」
驚きのあまり、累の中から、返答する言葉が全て消えてしまった。
「分からないよね?…答えを知る為には、試してみるしかないと思わない?」
万葉に更に近付かれると、激しく脈打つ鼓動の中、累は頷いてしまっていた。
僅かに触れるだけのキス。
万葉からは、汗拭きシートの爽やかな香りがした。
「どうだった…?」
「…変だとは…思わなかった。」
「何、それ!」
軽く吹き出した万葉だったが、直ぐに真顔を作り出した。
「…私がキスしたいのは、累君だけだよ。」
累は嬉しさで一杯になる。
その瞬間、初恋を自覚し、両想いである事を知ったのだった。
「うん、俺も。…俺も万葉ちゃんが好きだ。」
しかし、先程のキスを客観的に思い浮かべると、男女逆転なシチュエーションで、理想とは程遠かったと思われた。累は不意に自身を失くす。
「…でもさ、俺、こんなんだよ。一緒にいても、弟にしか見られた事ないしさ…。」
万葉は静かに首を横に振る。
「少なくとも、私は累君を弟だなんて、思った事ないよ。」
二人はそこで、再度、唇を重ねた。先程よりも、少し長めのキスは、お互いの気持ちを確かめるのに、十分なものだった。
それから二人は、付き合ってることを公表せず、密やかに紡ぐ時間を大切に過ごした。
二人きりになった時だけ、手を繋ぐ。そして時折、触れるだけのキスをする。それだけで累は満たされ、幸せを感じた。
――このまま、万葉ちゃんと、結婚してしまうかも知れない。
累がそう思い始めた矢先、転落を感じさせるような出来事が起こった。
万葉が突然、別れを告げてきたのだ。
六年生が終わる夏休み、その終盤に差し掛かる頃の事だった。
「私ね、9月から、東京にある中学に進学するんだ。」
万葉の部屋で、一緒に宿題をしている時、急にそう切り出された。
累は予期せぬ言葉に、一瞬、言葉を詰まらせた。
「…ど、どうして?…お父さんの仕事の関係?」
「違うよ。…累君だから本当の事話すけど、私、αだったんだ。」
聞き慣れない言葉に、累は眉を顰めた。
「何?αって…。」
「知らないよね。…私も知らなかったんだけど、性別の一種でね。遺伝子にそのマークが現れると、優遇されるんだって。」
「どうして?」
「希少種で、優秀な人材になるから?」
疑問形で返された所為か、累は納得できなかった。
「誰にαって言われたの?」
その問に、万葉は自身の瞳を指示した。
「私達は生まれた時から、目の中にインプランタブル・デバイスが入れられているでしょう?その中に健康管理アプリがあって、体調に変化があると教えてくれるよね。それと同じ感じで、アプリが教えてくれたの。…私達の性別は、インプラント管理法の対象でもあるから、情報は直ぐに政府に伝わって、αは然るべき場所で教育を受けるべきだって、連絡があったんだ。」
「それが東京の学校なの?」
「うん。αの子達が集められてるんだって。」
「…万葉ちゃん、一人で行くの?」
「家族みんなで行くんだ。…両親とも喜んじゃってね。今、東京行きの準備に大奮闘中。」
その言葉が終わらない内に、累は涙を零し始めた。
「…万葉ちゃんと…会えなくなるの…嫌だ…!」
対して、万葉はドライに返す。
「大袈裟だなぁ。…ネットで繋がってれば、大丈夫だよ。いつだって話せるし、顔だって見られる。」
「でも手を繋いだり、…キスは出来なくなるよ。」
「それは…仕方ないよ。…それが耐えられないなら、私達、終わりなんじゃない?」
何処か冷めた目で見られ、累は唐突に恋の終わりを感じた。
「…こんな終わりが来るなんて、思ってなかった。」
累は涙を一時的に仕舞い込むと、立ち上がり、それ以上は何も言わずに万葉の部屋を出た。
万葉が旅立つ日、結局、見送りをしなかった累は、届いたメールも無視し、その後、彼女とは音信普通になった。
これが、累にとってのαとの最初の苦い別れだった。
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