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札幌小夜曲

時々、昏い夢を見る。  夢に出てくるのはいつも、以前一緒に暮らしていた男と決まっている。あの男はこの家の主で、自分に触れ、自分が触れていた男だった。  夢の中で男は笑いもせず、自分に触れもしない。ただ異国の暗い路地裏で一人眠っている姿だけが画面の向こうに広がるように視界に映る。その姿に自分は、彼はもう死んだのだという事実を幾度も突き付けられ、この家にはもう帰らないのだという確認をさせられる。  せめてもう一度だけ触れたいと願っても足は一歩も動かない。  ならばせめて、名を呼べば目を開けてくれるだろうかと思っては口を開くも、何故だか一向に声が出てこない。叫びたいのに叫ぶことも出来ない息苦しさに喘ぎ、なんとか息を吸い込んだ瞬間、必ずいつも目が覚める。 「——…、」  開いた眼差しで天井を見上げた郁《いく》は、荒い呼吸をそのままにベッドの上で身を起こした。びっしょりと汗のかいたシャツが背に張り付いて気持ちが悪い。切れ長の双眸ごと掌で顔を覆い、一度深く息を吐き出し、隣を見遣る。  暗闇の中、短い黒髪や鍛えた逞しい肩や背が穏やかに上下している様子が伝わってきた。男二人が眠るには狭いベッドの上、自分を護るようにスペースを陣取った成彬《なりあき》はベッドの縁から落ちない位置を把握している。この男がこうしてこのベッドで眠るようになってから半年以上が経っていた。 「……、」  ああ、この男はちゃんと生きている。  眠る横顔に、今見た夢の昏さがゆっくりと霧散していく。整い始めた呼吸の中、安堵の息を浅く逃した郁がそっと成彬に指を伸ばす。  この男は傍にいる。自分に触れてくれるし、自分が触れられる事が出来る。以前の男のように突然居なくなったりはしない。それは、今の郁にとっての唯一の拠り所だ。——だが。 「…成彬、さん、」  小さく囁く。三十半ばを過ぎた郁よりも幾分か年上である成彬の名を呼び、その職業に相応しい精悍な顔立ちの皮膚に触れるか否かの刹那、込み上げる躊躇いが指を退かせた。 「——…、すまない」  触れられなかった理由は郁の中だけにある。  五指を丸めて呟いた。背で大きく息を吐き、身を横たえる。近い距離にある寝顔を覗けば、その胸板に身を寄せてしまいたくなる。だが、それすら躊躇っては郁は背にした壁との距離を詰めた。避けるように体を並べた成彬の寝顔をせめてもと眺めては安堵と罪悪感に包まれる。すまない。また口の中で呟いて、郁はそっと目を閉じた。  数分前に自分に触れようと伸びた指を引っ込めた男は、やや長い時間を経て再び眠りに落ちたようだった。暗がりの中、控え目な様子で自分に送られていた視線の気配は今は感じられない。寝た振りを決め込むこともなかなか疲れるものだと成彬は淡い息を吐き出した。  隣に眠る郁が身動ぎする気配で既に目は覚めていた。その郁が文字通りに飛び起き、荒い呼吸を吐き出す様を成彬は薄く開いた目で見上げていた。  郁が時折見る夢の内容は知らないまでも、その夢に出てくる人間の正体は察している。——時折、眠りの中でその名を口にしていることは、郁本人ですら知らないだろう。  抱き締めてやることが正解なのだろうか。そう思う一方で、魘され飛び起きる姿を見られたくはないだろうとも思う。もし自分が同じ立場であれば、そんな弱い姿はきっと見られたくはない。——以前自分と同じように隣に眠っていた男を思って見た夢で魘される姿など、今の恋人には見られたくはない。  深い溜め息の後に、未だ切れる呼吸が確かに自分の名を口にした。返事をする代わりにまた瞼を閉ざすと、郁の細い指が成彬に触れようと伸びてくる。  触れることで安心出来るのならそうすれば良いのに。  何かを躊躇った指はそっと成彬から遠ざかった。程なくして小さな謝意が降ってくる。  何に対して謝っているのか。  成彬には想像を巡らせることしか出来ない。  ただ、自分に触れることを躊躇う指先が。身を縮めるようにして口にした謝意が、眠った振りをする成彬の胸の中にひんやりとした風を吹かせる。  再び横たわった郁に寝惚けた振りをして手を伸ばそうとするも、それすら避けるように体が遠ざかっていく。ともすれば、壁にぴたりと寄り添うようにして眠ろうとしているのではないかという位に離れることで出来る空間が虚無を呼び起こす。  こんなに近くにいるというのに、悪夢に魘された体を抱き締めてやることすら拒まれているような気がした。  ——郁が望む腕は、未だに自分のものではないのだろう。  思うことを避けていた思いが去来する。郁の想いの全ては、自分になど傾けられてはいないのだろう。ここにいることは自分の意思だ。難儀な道を選んだものだと内心で苦笑し、成彬もまた再び眠りに向かう度に瞼を落とした。             ■■■  街に漂う秋の匂いが日増しに濃くなっていく。冷えていく澄んだ空気に乗って落ち葉や枯葉の匂いが満ち、空が高く晴れ渡る。やがて来る冬を迎える準備を整えるようにと告げているような秋の空気が成彬は嫌いではない。  この家に頻繁に通い始めた半年前から比べると、放っておくとろくに食事を摂らない——食事自体を忘れる事は無くなったが、郁はこの所ぼんやりしている時間が増えているような気がした。前の男が残していった金で食い繋いではいるらしいが、三十半ばを過ぎた男が日がな家でぼんやりしているのはあまり良い事とは思えない。ぼんやりに拍車をかける要因の寝不足の理由は勿論知っている。あえて触れぬように、口には出さないだけのことだ。  成彬は何かと理由を付けて郁を外に連れ出し、ついでに飯を食わせている。日に当たることは大切だ。  一度捨てられた犬は人に懐くまでに時間がかかるものだろうと腹を据えた成彬は根気よく郁に接している。 「明日非番だからな。外に飯食いに行こうな」 「ん、」  成彬は刑事だ。担当した事件に絡んで郁と知り合った。郁の前の男が暴力団に関わっていたことで担当になった事件の顛末は当然知っているし、郁にも伝えている。本来であればもう郁と接する理由は無いことになるが、この捨て犬のような男に情が移り、やがて惹かれていることを自覚した。 弱った郁から離れず、護るように傍にいることを決めたのは成彬の意思だった。  成彬の柔らかい眼差しと物言いにこくりと頷く郁の姿が好きだった。外に出る際には綺麗にオールバックにまとめる黒髪が今は降り、目に影を作る。ベッドの縁に座る郁の隣に腰を降ろした成彬は、その影に誘われるように顔を覗き込んだ。 「…郁、」  何気なく置かれた手を甲からそっと握り締める。怯えさせぬようにと触れては視線を合わせ、唇を寄せようと鼻先を擦り合わせた。成彬が纏う煙草の香りが郁に触れる。鼻腔を擽る香りに反射的に湧き上がる郁の中の安堵は、不意に脳裏を掠めた別の男の寝顔によって掻き消された。 「…っ、」  すい、と郁の目が逸れた。そしてそこにあった筈の唇が確かに下方へと逃げていく。    ——避けられた。    その事実に軽く瞠目した成彬に気付いた郁は自分の動作を振り返り、我に返ったように目を見開き、慌てて首を左右に振る。成彬の手が握り返された。 「すまない、成彬さん、」 「……いや…、…嫌なら、無理強いしねえけど」  少なからずとも受けたショックを隠せずに、呆然と佇む成彬が握られた指の力に現に戻った。見ると、必死な目をした郁が自分に詫びている。  ——詫びるからには後ろめたいことがあるのだろうと思う。その後ろめたさは何処かで感じてはいるものの、正確には掴みきれない。眉を下げた笑みは苦笑になってしまった。慰めるように返すと、郁はまた首を振って成彬の唇に吸い付いてくる。体温が低い。 「嫌じゃ、ないから」 「郁、」 「…嫌じゃないから、触ってくれ。…成彬、さん」  握ったままの手が郁の太腿へと導かれる。伏せられた目は恥じらいを隠す為なのか、それとも別の何かを隠す為なのかが計れない。寄せた唇は、逃げられることなく重なった。  シャワーから上がると郁はベッドの上で眠りに落ちていた。壁に寄り添うようにして眠る体は、成彬を待っていた末に眠り込んでしまったことを示すように下着だけを身に付けている。夜は随分冷えるようになった。ベッドの足元で丸まっている布団を引き上げ、肩まで覆ってやっても目を覚まさない。濃い情交の疲労故なのか、それとも昼間の寝不足を解消する為なのか、郁はよく眠っているようだった。 「…お前、さ、」  少し伸びた前髪を指先で掬う。脳裏に蘇るのは、セックスの最中ではなく、先程避けられたキスのことだ。 同時に、真夜中のベッドの上での空間を思い出す。  代わりでも構わない、などと思う程度には我ながら自分は寛大だとは思っている。  半年やそこらで同棲していた男を忘れることなど出来ないだろう。そもそも帰ってくる宛のない男を家主のいない家で延々と待ち続けていた男だ。情は厚い。  前の男の代わりになればだとか、寂しさに付け込んだとかではない。郁はおそらく、しばらくの間は前の男と自分の間で揺れるだろう。その事もちゃんと見越している。キスを避けられる事は確かに胸が痛むが、想定内ではある。自分は自分が思っている以上に寛大で図太いらしい。  だが、郁の気持ちのほんの一端も自分には向けられていないことを如実に知るのはやはり堪える。ここにこうしていることは自分のエゴと自己満足で、郁を抱くことも自分の欲求や恋慕を満たす為であり、その上に郁の寂しさを埋める為だと言い訳を被せているような気がしてくる。これではまるで間男と 同じだ。——その上。 「…謝んなよ」  郁の「すまない」をもう何度聴いただろう。眉を下げ、心底申し訳ないというように口にする度に胸が軋む。愛しい男がそんな表情をする様を見たいと思う人間がいるだろうか。謝意と共に向けられる眼差しが、この場にいることは自分本意なのなのだろうかと思ってしまう胸中に追い打ちをかける。   自分がいることで郁にそんな顔をさせるのであれば、それは自分の望むことでは無いのに。  胸にひんやりとした風が吹くような思いに囚われる。まだ汗の引かない体を布団の中に潜り込ませると、眠る郁の体を抱き締めた。  夜中に飛び起きる郁のことも、その後自分を避けるように再び眠りに落ちる郁のことも成彬は気付いている。  だからこそ、逃れられぬように抱き締める。郁の腕が縋るように成彬の背や腰を行き来し、やがて緩い力で抱き着かれた。  眠りの中、郁は誰の名前を口にするだろう。郁はまだ、もう二度と帰ることの無い男を待っているのかもしれない。何処か遠い場所で思っては、逃げない頬に口付けを落とした。           ■■■    一週間程、郁の元へと帰れない日が続いた。  街の規模のわりには普段特筆するような重大事件は多くはない札幌で久々に発生した強盗殺人は冬を前に無事に被疑者を逮捕するに至った。  だがそれは関わっていた刑事達の休息と引き換えである。郁はちゃんと暮らしているだろうか。成彬はデパートの地下で調達した弁当を携え、久方ぶりに郁の家のドアを叩いた。 「郁?」  ここに通うのであれば鍵が無ければ何かと不便だろうからと託されていた合鍵でドアを開ける。程なくしてぱたぱたという音が響いてきた。階段を降りる音に微かな既視感を覚える。以前もこうして間を開けて訪れていた日々があった。あの時郁は、久し ぶりに訪れた自分の顔を見て心底安堵の顔を見せた。一度捨てられた犬は、再び捨てられることを恐れて生きている。 「——…、…おかえり、」  自分を出迎えた郁の相貌が、一瞬だけ強張り、微かな落単の後に安堵の色へと移り変わるのが分かった。    ——誰を待っていたのか。    疲労に埋まる成彬の頭の中、思考は暗い方向へと傾く。おかえりを言いたいのは。郁が、待っているのは。 「…ただいま。…飯、…つうか、」  お前が待っていたのは俺なのか。  その一言を口にしたのなら、この生活はきっと破綻する。直感が既のところで口にすることを避け、代わりの言葉を探った。  成彬が手にする紙袋を受け取ろうとする郁と目を合わせる。さほど変わらない身長差から送られる視線に、不意に胸が詰まった。 「…悪いな、…俺で」 「成彬さん…?」  柄にもない、思ってもいない卑屈さが口を突いた。転がり落ちた言葉に驚いたのは双方で、成彬は軽く目を瞬かせる。それでも、口元が苦い笑みの形に歪んだ。先日胸に吹いた秋風の正体に今気が付いた。あれは、寂しさが吹かせた風だ。 「…お前、まだ待ってんだろ?俺じゃなくて」 「…何…」  わかっている。  情を傾ける相手の情は自分には寄せられてはいない。寝食を共にし、何度身体を交わらせたところで郁の想いは未だ別の場所にある。  ベッドの上、眠る振りをする自分から遠ざかる体も、触れた頬が避けていく感触も、全てはその証拠だろう。同じ想いが欲しいとは思わない。それでも——募る寂しさは、確かに感じていた。 「…お前さ、…俺の顔見てたら…アイツのこと忘れられねえんじゃねえかって」  寂しさは、ちょうど冬が迫る日々のように冷たく胸を埋めていく。  郁とは事件を縁に知り合った。失踪した前の男を探していたのは他でもない自分だ。記憶は嫌でも紐付けられるだろう。自分の顔を見ることで、傷が開いたままならば、きっと、自分は。 「だからさ、…俺もう、ここに来ねえ方が」 「——違う…!」  物静かな男が発した声は、あまり物の無い空間に低く響いた。文字通り肩を弾かれたような心地で顔を上げると、郁が対象的な様子で顔を伏せている。左右に首を振ることでぱさぱさと髪が揺れ、今の叫びと共に噴き出しそうな感情を抑えているように見えた。 「郁、」 「違う。違う。…俺は、」  郁の手に渡った紙袋が傍らのテーブルに静かに置かれた。空になった指がおずおずと成彬の指に伸びる。思わず応じて差し出した指先が、驚く程強い力で握り込まれた。 「…俺は、アンタが好きだ」 「——…」  ぽつ、と落ちた声は繋いだ指の中に吸い込まれていく。自分に言い聞かせるようにしたのかと一瞬疑う成彬を制するようにまた静かに言葉が落ちる。 「成彬さんが、好きだ」 「郁」 「…嘘は言っていない。無理もしていない。成彬さんが好きだ。…アンタを、待っていた」  信じてくれと、祈るような声音が続いた。自分はこんな風にまっすぐに想いを告げられた事があっただろうかと思わず茫然と立ち尽くす成彬の様子を見ることも無く、郁はまた指に力を込める。小さく息を吸い込む気配がした。 「…それなのに、……どうしても、忘れられないんだ」  成彬の肩が小さく揺れた。郁の声音が懺悔するようなものに変わっている。この先に出てくるのは、だから、という一言だろうか。先を読んで想像する成彬の体が急速に冷えていく気配がした。 「忘れようとしても、忘れられない。もういないことも、ここに帰ってこないことも解ってるのに…、俺はどうしても忘れられない。……だから、」  成彬の指が郁の指を握り返す。その力に、郁がようやく顔を上げた。今にも泣き出しそうな目をしていた。 「…だから、…俺はずっと、アンタに申し訳ないと思っている」 「……何…?」  また郁が目を伏せる。軽く唇を噛み、眉を寄せた。そんな顔しないでくれ。成彬の手がそっと郁の頬に触れる。逃げられない頬を冷たい手が撫でると、慈しむような手つきでその指も握り締められた。 「成彬さんは、…優しくしてくれるのに。あの男が帰ってこない時も、…帰ってこない事がわかった時もずっと傍にいてくれた。傍にいて、抱いてくれた。…成彬さんの気持ちは俺に伝わってる。…けど俺は、同じくらいの気持ちを返せていない」  だから申し訳ない。  気持ちが同じではないから、触れることすら躊躇する。  優しさを甘受するだけの自分が許せない。出来ることなら同じ想いを同じ分返したい。一方が傾くだけの想いは歪だ。愛情を注がれ、甘えるだけの自分を卑しく思う。好きなのに、等しい形を返せない。だから、一緒にいることが——苦しい。 「…アンタを好きになって、…あの男も好きなままなんて、…ただの我儘だ」 「——なんだ、」  口の中で呟いたつもりの声が唇から零れた。恐る恐る顔を上げた郁に、成彬が眉を垂れて苦笑した。繋いだ指を引き寄せ、体を郁へと傾ける。頬に触れていた手で頭を抱き、肩口へと寄せた。成彬のトレンチコートが郁のシャツとスラックスを包み込む。微かに残る外気と、郁の体温が重なりあった。 「成彬、さん」 「なんだ…。…俺は…俺はてっきり、お前がアイツだけを好きなんだと思ってたんだよ」  ——その胸の中を占める幾ばくかも、自分が入り込む余地はないのだと思っていた。  避ける唇も、遠ざかる体も、全てもう戻らない男のもののままであると思っていた。だが、郁の想いの幾分かは自分にちゃんと傾けられているらしい。それならば、自分は待っていれば済むことだ。はじめから全てを欲しいなどとは思っていない。時折吹く冷たい風に耐え抜いたた頃、やがて暖かい風が吹くだろう。 「いいんだよ。別に。だって俺は、」 「……」 「…俺は、アイツ待ってるお前の事好きになったんだ。だから、いいんだよ」  ぽんぽんと背を叩く。郁が何かを飲み込み、肩口に額を押し付ける。空いていた片手が成彬の背に回った。 「そりゃずっと俺の片思いなら…、…寂しいけどな、寂しいのはお前も同じだろ」  たかが半年だ。半年で鞍替え出来るほど情の薄い男ではないことは承知している。それでも自分はここに来ることを選んでいる。待つその姿に、寂しげに佇む目に絆され、惹かれたのだ。 形は異なっても、胸に宿る寂しさは互いに持っている。 「それより、俺はお前に謝られる方が寂しいよ」 「……そう、なのか」  初めて聞いた、という声音だった。成彬の手が再び郁の頬に触れる。額を上げた郁と視線が重なり、広がる熱に目を細めた。 「もう謝んな。謝んなくていいから」 「……すまな、——…」  言うそばから謝意を口にしようとした郁がはっとして口を噤む。何を言うことか正しいのかわからないと言いたげな目が困ったように成彬を見詰める。この何処か頼りない眼差しに惹かれたのだと思い出しては、瞳を覗き込むようにキスをした。 「お前さあ、」  ベッドの上、互いに半裸の状態で緩い力を込めて抱き合っている。安心し切ったように成彬の胸板に顔を埋める郁の髪を撫でつつ、思い出したように口を開いた。 「ん、」 「…夜中、目覚ました後に俺から遠い所で寝直すのやめろよ」  知っていたのか、と郁の目が小さく見開かれる。その様子に成彬は知らないとでも思っていたのかと眉根を下げて笑う。離すまい、というよりも離してやるまいとするようにまた郁の体を抱き締めた。 「怖い夢見んだろ。まだ、」 「……」 「…だから、傍にいてえんだよ。お前の」  ——だから、そういう時にこそ自分を求めてほしいのに。  悪夢に魘され目が覚めても、自分は隣にいる。手を伸ばせば届く距離にいるのだから、身を寄せれば良いことなのに。  口にしようとすれば気恥しさが邪魔をする。言葉足らずの成彬の腕の中、郁が少し迷いながらも浅く頷く。 「……遠くで寝られるのって、…寂しいんだぞ。結構」  自分は、思っていた以上に寂しがる質《たち》らしい。  そしてきっと、思っている以上に、この男に惚れている。  照れを隠して呟く成彬を、郁が驚いたように見上げている。その目に気恥しさが募っては、見るなと小さな悪態を付いて郁の頭を抱え込む。  温もりが成彬の体に回る。寂しがり同士が分け合う温もりは、間もなく訪れる冬を越す為の源になるだろうか。少しだけ重なった温もりを携えて、同じ季節を刻む事が出来るだろうか。穏やかな晩秋に重なった想いが、小さな温もりのように互いの胸に宿っていた。

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