11 / 30

君といるのは たのしくて。

最寄りの駅の構内まで肩を並べて歩いた。改札を抜け、会社のある方面のホームへと爪先を向けた雨宮に河田がきょとんとした目を向ける。河田の長い足の先は雨宮とは逆の方向に行こうとしていた。 「?なんだよ」 「いや…今日は直帰で良いって言われてるのになって」 雨宮は真面目だなあと感心したように目を細める河田に今度は雨宮が目を瞬かせた。初耳だと言いたげな怪訝な表情に気が付いた河田は軽く首を傾けては視線を上向かせる。 「さっき出る前に課長が言ってたよ。プレゼン終わるのは夕方頃だろうし今日は直帰で良いぞって」 やはり初耳だ、というよりも雨宮も確かに一緒にに聞いていた筈なのだが全く記憶に無い。少なからず緊張でもしていたのだろうかと思えば視線が無意識に俯いた。その様子を見た河田が雨宮へと歩み寄り、高い位置からぽんぽんと背を叩く。 「ーーだからさ、呑みに行こうよ」 「…なんで…」 「お疲れ様会しようよ。雨宮」 相変わらず人の良さそうな顔が雨宮を見下ろす。返事を聞くより先に、河田は会社とは逆の方向に向かう電車のホームへと歩き出してしまった。 適当に飛び込んだ居酒屋は午後五時半を回った頃から急に混みあってきた。自分達の周りの席はいつの間にか似たような会社員達で埋まり、四時頃から呑んでいる雨宮と河田は店の隅で向かい合い、賑やかな空気の中でだらだらと枝豆を齧っている。 「ーー俺さぁ」 雨宮は上機嫌そうに相貌を緩めてジョッキを握った。中ジョッキばかりをもう何杯注文しただろう。春の花見でさえこんな風に酔ってはいなかったと河田は思う。 「河田と絶対仲良くなれないと思ったんだよな」 紅潮した目元が照れたようにも見える。ほろ酔い気味の雨宮が冷めた焼き鳥を持ち上げて食む。一方の河田もまた雨宮と同じくらいには呑んでいると思うが全く酔っていない。昔から酒には強かった。 「ええ?なんで…」 少し大袈裟に驚いた河田をちらりと見やった雨宮が拗ねたように唇を尖らせる。普段比較的大人しげで、ともすれば感情の起伏が薄い印象のある雨宮がコロコロと表情を変える様を見ることは、新鮮だった。 「だってさ、なんていうんだろ。良い奴そうだったから」 「そうかな」 そうだよ、と雨宮が焼き鳥のネギをさり気なく皿の上に避けている。どうやら肉だけを食いたいらしいと察しては河田の箸が捨て置かれたネギへと伸びるも、雨宮はそれを視線で追うだけで咎めることはない。 「良い奴過ぎる奴…っていうか感じが良すぎる奴って逆に胡散臭いなって。信用出来ない」 「酷いなあ」 河田はやはり大仰に苦笑して見せる。その姿に雨宮が喉を鳴らして笑う。してやったり、といった表情がどこか悪ガキを彷彿とさせた。人差し指で頬を搔き、ううんと小さく唸った河田がおもむろにテーブルに腕を載せる。姿勢をやや前傾させ、雨宮の顔を覗き込んだ。 「じゃあさ、今は?」 「今?」 「今は?まだ仲良くなれない?」 上背のある河田の穏やかな眼差しが雨宮の目を捉える。柔らかな声音で寄越される問い掛けに、雨宮が軽く眉を寄せるも、半分酔っている状態では頭は上手くは回らないだろう。やはり大袈裟に悩むような素振りを見せ、へらりと口元を緩めた。 「半分」 「半分」 「半分だけ、信用出来る」 二人で大きなヤマを越えてもなお半分。 悪童のような目をした雨宮に河田は身を引いて背もたれに背を預ける。そっか。小さく呟いて清潔そうに整えられた髪を搔いた。 「雨宮。家どこ?」 通りに出て捕まえたタクシーに乗り込むなり雨宮は船を漕ぎ始めてしまった。やはり飲みすぎだろう。本格的に眠る前に住所を聞かなければと河田は横から伺う。 「んー…、」 困り顔で急かす運転手が二人を振り返っている。とりあえず出してくださいと告げては河田もまた眉を下げた。雨宮の肩を揺すってみると、心地よさそうに頬を緩めてうとうとと眠りに落ちようとしている。 「お客さん。どっちに向かいます?」 「えー…」 とりあえず自宅の住所を告げてみたものの、隣で眠る男をどうしたものかと腕を組む。車の振動に身を任せた雨宮の身体がゆらゆらと揺れ、小柄な肩がとん、と河田の肩へと凭れかかってきた。 シートの上に落ちた雨宮の指が河田の指に触れている。その人差し指の先一つで熱くなる場所があることなど、雨宮は知る由もないだろう。 得た半分を大切にして次へと進むのか。 残ったもう半分を永久に得られないものへと変えてしまうのか。 入社式の時から積み上げられてきた理性は崩れるか否かの瀬戸際に立たされていることに気が付いた。 「……半分だけの男の前で酔って寝ちゃダメだよ。雨宮」 《良い奴》の印象などいらない。 《仲良く》なんてならなくていい。ーーそんな温い地点を一足飛びに越えてしまいたい。 車は自宅へと向かっている。 人差し指から伝わる脈の数が、理性の根元を着々と崩していくような感覚を覚えた。

ともだちにシェアしよう!