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黒檀色の手摺に掴まりながら1階へと駆け降りる。
「遅刻するよ!」
そう保さんがキッチンから声を掛けるから、俺は大きな声で返事をする。
「もう準備出来たよ!」
制服のネクタイを慌てて絞めながら、食卓に着く。
目玉焼き、ソーセージ、食パン、サラダ、ヨーグルト…絵に描いた様なその朝食が嬉しい。
ここで暮らし始めた当初、家庭の味を…と頑張る保さんに色々とある意味凄い物を食べさせられはしたが、今ではそれもいい思い出だった。
「三者面談、3時半からだよね」
「仕事忙しいなら別にいいよ。大した進路じゃないから」
そう言うと、保さんは直ぐに膨れる。
その顔が見たくて、わざと言ったりもするんだけど…
「大事な進路じゃないか!」
そうだけど…傍で本人以上に熱くなられると、ちょっと冷静になってしまう自分は変わってるのだろうか?
「楷くんも大人になったなぁ!年とる筈だよね」
そう年寄り臭い事を言うが、保さんは全然変わってなかった。
柔らかな白髪混じりの髪も、笑うと皺の寄る優しい目もずっと変わらない。
逆に俺は背が伸びて、以前より少しだけ肉付きがよくなった。
…だから、もう二人であのベッドに寝るのは窮屈になってきていた。
俺がここに来たあの日、ぎこちなく笑い返した俺に、保さんは頭を撫でたいと言い出した。
頷く事は簡単だったけれど、伸ばされた手を払い除けないようにじっと我慢するのは、予想以上の苦行だった。
ぼさぼさの頭を撫で、手が離れる。
眉間に皺を寄せ、固く目を瞑った俺に、
「ありがとう」
と保さんは言ってくれた。
「頭を撫でさせてくれて、ありがとう」
ありがとう…ありがとう…
一日で、こんなに沢山言われた日はなかった。
胸にありがとう…がコトリと音を立ててはまる度に、何かを達成したかの様な充足感が溢れ出す。
「……ぅっ………く……」
「え!?な、なんで?」
何故か泣いてしまった俺に、保さんは大慌てだった。
「そんなに嫌だったのかい?ごめんよ…」
俺の知ってる誰よりも大人に見えた保さんが、子供の様に狼狽える姿に、笑う。
「あっ…いい笑顔だね」
言われても、分からない。
鏡の中のぎょろっとした目が笑っても、おかしなだけだろうに…
でも、くすぐったくて…むず痒い気分になる。
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