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第3話
「あの人は好きや。そう言う意味やない」
低い声。
アイツの声が言っていた。
先ほどまでの暖かな声ではなく、その声には苦痛が滲んでいた。
二人が揉めていて、それが俺達親子と関係あるのはすぐにわかった。
俺はかけようとした声を飲み込み、様子を窺う。
タイミングを間違えてはいけない。
これは、この親子の問題や。
「・・・父さんはもう、死んだ母さんを愛してへんの?」
切なくなるような痛みがその声にはあった。
ああ、こんな声も出すんや。
空気を読まなくてもいい相手には。
傷ついたような目でソイツはあの人を見ていた。
大人びた上手くふるまえる優等生ではなく、
年相応の少年がそこにいた。
俺は羨ましいと思った。
俺は言えない。
母さんにはこんな風には言えない。
「・・・あの人を今は愛してる」
あの人は母さんを選んだ。
それは嬉しかった。
母さんを選んでくれたことは。
でも、アイツの顔に浮かんだ悲壮さは俺の胸に刺さった。
「・・・そんなんなんか」
ぽつりとつぶやかれた言葉に何故か俺が傷ついた。
「そんなん、なんか」
ポロリと綺麗な顔に一筋流れる涙を俺は見てしまった。
諦めたような声にも、眼差しにも、覚えがあった。
俺もどこかで、仕方ないと諦めてきたから。
でも、俺は泣けない。
こんな風には泣けない。
「・・・またゆっくり話合おう」
あの人が宥めるように言った。
「ええ、もう別に・・・」
あいつは静かに言った。
その意味も分かった。
願いがかなわないなら、そっと諦めるしかないのだ。
ワガママなんて言えないから。
俺が苦しい。
アイツの痛みが苦しい。
あの人が困っているのもわかった。
そして、アイツがもう会話を止めたいと思っているのも。
今が声をかけるタイミングだった。
「携帯忘れてるで!!」
俺は明るく声をかけた。
二人は慌てて振り返り、そして、互いにホッとしているのも見て取れてしまった。
こういうのは、多分、お互い大事に思い合ってても・・・納得出来るものではないのだ。
一瞬で戻る和やかな空気。
アイツはそっと涙を拭き取っていた。
上手な笑顔に悲しくなった。
何事もなかったように結婚までの日々は過ぎていった。
引っ越し先を決めて、もうすぐ引っ越し。
そして、入籍。
どんどん進んで行く。
もう来週や。
何度か全員で顔を合わせた。
綺麗な顔でアイツは笑う。
俺と楽しげに話し、母さんを気遣う。
俺は忘れてない。
思い出してしまうアイツの泣き顔は俺を苦しめた。
わかるからだ。
分かってしまうからだ。
でも、母さんの幸せを考えてしまう。
母さんは一生懸命だった。
天涯孤独な母さんがたった一人で俺を育てるのは大変だったのを俺は知っている。
くたくたに疲れて、でも俺の前では笑って。
でも、父さんの名前を呼びながら泣いていた夜があったことを俺は知っている。
母さんが泣ける場所がやっと出来た。
あの人なら、母さんを抱きしめてくれる。
だから、だから。
でも、でも。
アイツの涙をなかったことにも出来へんかった。
悩んだ。
悩んだ。
上手くやるためには、見たことは忘れるべきだったし、そんな人の繊細な部分に踏み込むべきではないんや。
そうやけど。
そうやけど。
俺はアイツの泣き顔が頭から離れへんかった。
こんなん、踏み込むべきやない。
そんなんしたら上手くやられへんなる。
そう思ったんやけど。
つい・・・。
踏み込んでしもうた。
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