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第13話

 アイツのお母さんは絵を描いた。  画家とかそういうのではなく、ただひたすら絵を描いているような人だったと。  「誰に見せるつもりもないみたいやった。僕に見せてくれるようになったんも、付き合って5年、結婚する前や。人には心を許さん人やった」  あの人が笑った。  この人は頑張ったんやなぁと思った。  心に入れて貰えるまで。  でも、こんな誰にも取り繕うことなく飛び込んでいけるような人なら・・・そんなことも可能性なのかもしれない。  俺は自分の仮面も外せないのに。  羨ましく思った。  綺麗な人だったそうだ。   アイツに似ているんならそうだろう。  真っ黒な髪、真っ黒な瞳。  無口で、誰にも心を明かさない。  「誰にも見せてくれへんその心の奥には、深い愛情があるんやと、僕は思ってた。だから諦めへんかったよ。この通り、僕は冴えん男やし、外見的には彼女とは全く釣り合わなかったけど」  高校生で出会い、そこからひたすら付きまとった、とあの人は笑う。  邪険にされても、追い払われても、ニコニコ彼女を好きだと言い続けたと。  「今ならストーカーって言われるねぇ」  あの人は笑う。  スゴい。  俺はアイツに酷いこと言われたらもう立ち直れない 。  「根負けだよね。・・・彼女は僕を信じてくれたんだよね。そこからは幸せだったよ」  あの人は遠い昔を思い出し、目を細めた。  「・・・あんな風に愛されることはもうないだろうね。彼女は全部をくれたんだ、誰にも触れさせなかった心の全部を」  あの人は悲しげに言った。  幸せだった。  あの人が言う。  「確かにエキセントリックなところはあったし、次に何するか全くわからへんところはあって、嘘と裏切りが大嫌いな人やった、でも、本当に愛されていると毎日思った」  彼女の眼差しが、声が、触れる指先が、愛を伝えてきた。  静かに、人を拒絶していた彼女は、一度受け入れてくれたならば、本当に愛してくれた。  彼女が描いてるものを見せてくれた時、その心を全て教えてくれたことを知った。  「それは彼女の世界やった。そこは彼女が作った彼女だけの世界やった」  彼女は違う世界を自分の中につくりこんでいたのだ、とあの人は言った。  見たことのない生き物、見たことのない植物。  奇妙で美しい世界を彼女は作り、そこで彼女は生きていた。  「こちらの世界が本当の私」  彼女はそう言って笑った。  そして、彼女はその世界の中に、その日からあの人も描きいれるようになった。  それがどれほど深い愛なのかは、あの人にはわかった。  彼女は最初から世界など必要としていなかった。  彼女の中に世界はあった。  だけど、初めて彼女は、自分の中にはなかったものを自分の中にとりこんだ。   「キスして貰うのに3年や、僕の頑張りわかる?」  あの人の言葉に僕は反省した。  僕は我慢が足りないのかも。  でも、僕は無理。  僕はアイツに拒否されたら消えてしまう。  「・・・図太いんや。僕は」  あの人は笑った。  結婚して子供が生まれてからも、幸せだった。  静かで愛情深い妻と、妻に良く似た美しい子供。  美しい母子が、鉛筆を握って、仲良く絵を描いている光景の美しさは忘れられないとあの人は言った。  言葉のいらない親子だった。  二人は目と目、そして描く行為でお互いを伝えあっていた。  「描くのはいつも彼らの心の中やった」  あの人は思い出すようにつぶやく。  美しい息子も母に似て、自分の中に独自の世界を創り出していた。  美しいイマジネーション。  夢のような世界。   何十色ものクレヨンはあの人が買ってきた。  たまに親子は一緒に世界をつくりあげた。  おおきな模造紙、部屋いっぱいに広げて、笑いながら親子がクレヨンで絵を描いていた姿をあの人は忘れられない、と言った。  「絶対に僕のことも描いてくれたんやで、あの二人」  それを嬉しそうに語るこの人は本当にアイツとその母親を愛していたんだと思う。  「幸せやったよ、多少普通の家族とは違っていたかもしれへんけどね」  あの人は微笑む。  息子は母親よりは外交的で、少なくとも上手くやっていくことはできた。  友達も作ったし、普通の遊びもした。  母親とは違い、友達をその心に受け入れもした。   幼い少年が自分の絵の中に親しいお友達を描いていたことからも、それは確かだった。  母親の深さと、父親の共感力。  少年はどちらもを受け継ぎ受け入れ、育っていった。  少年は母親のように絵を人に見せないこともなく、その才能は幼少の頃から認められていた。  幸せだった。  幸せだった。  少年が12才の時、母親の病が発覚するまでは。  

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