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第14話

 「進行性の病気やった、わかった時にはもう余命ひと月と言われたよ」  あの人は苦しげに言った。  助からない。   そう告げられた時、美しい彼女は顔色一つかえなかった。  「僕が悪い・・・。彼女は最初から言っていたんや。自分は自分以外を持ってはいけない人間なんやって」  初めて好きだと告げた日、美しく人は珍しく感情を露わにした。  「私はあかん。私は誰かを好きになったらあかん」  黒い瞳を潤ませ、震わせて彼女は言った。  天涯孤独で良かったと。  愛する人達かもつ亡くなって良かったと。  美しい彼女は言った。  「あなたはええ人やね。・・・私はあかん、だからこそ、あかん」  そう言った。   その意味をあの人は良くわかっていなかった。  美しい彼女にとって誰かを愛すると言うことかどういう意味なのかを。  なのに、彼女の心に入り込み、彼女を手に入れた。  「愛してる。ずっとずっと一緒、ずっとずっとおるからね。愛するってことは心も身体もずっとその人のもんや、ってことやねんよ」  幼い息子に向かってささやく彼女の言葉を微笑ましく聞いてしまっていた。  あの人はあの人は、わかっていなかった。  「私はあなたを裏切らへん。だから、あなたも私を裏切らんといて。あなたとこの子だけが、この世界に私が存在する意味やから」  そう言っていた彼女の言葉の意味が。  そして今、彼女は愛する者を残して去ろうとしていた。  それがどんな意味なのかを、あの人はわかっていなかった。  取り乱す夫に比べて、美しい妻は冷静に見えた。  「残された日を大切に」  医者からは、そうとしかいわれなかった。  だから、冷静な妻の言う通り、妻の別荘に向かった。  美しい山中にある別荘。  流れる大きな川がすぐ側にあった。  金持ちで、妻を顧みることなく、事故で亡くなった妻の両親が遺したものだった。   彼女は育ててくれた死んだ祖母以外は愛していなかったから両親の死をなんとも思っていなかったけれど。  そこで、あの人は家族3人最後の日まで過ごすつもりだった。  妻の考えは違っていたけれど。   妻の行動は早かった。  そこに来て3日目のことだった。  和やかな夕食。  息子は珍しくソファでそのままねむってしまっている。  母親の近づく死を懸命に受け入れ、必死で微笑む息子か痛ましかった。  年の割には小さな身体を抱きかかえ、部屋に運んでやろうとしたその時だった。  めまいかした。  慌てて息子をソファに戻す。  ぐるぐると部屋が回る。  強烈な目眩がし始めた。  妻を呼ぶ。  身体がおかしい。  自分まで倒れたなら、この子はどうなってしまうのか。  助けを求めてもらわないと。  閉じそうになるまぶたを必死で開ける。  妻の姿より先に、何かか焦げる臭いに気がついた。  ・・・燃えてる、何が?    「大丈夫、煙で死ぬの方が早いから苦しんだりせぇへんよ」  優しい優しい声がした。  それは愛しい妻の、美しい彼女の声だった。   「私のお薬、ご飯にいれたんや。怖ないように。なぁ、あなたは私と来てくれるやろ?」  妻は床に倒れたその人の胸に寄り添うように寝転がった。  必死で目を開け、妻を見つめる。  その美しい黒い瞳には狂気などなかった。  ただ、溢れるような愛情があった。  「あなたとこの子かおらんとこなんか、絶対に行かへん。そんなん嫌や。ずっとずっと一緒や」  白い指が、あの人の頬を撫でた。  いつもの愛撫。  優しい優しい、良く知っている美しい彼女の指。  その声は甘い。  「みんなで行こうな、私を愛してるんやろ?」  当然のように彼女は言った。   「愛する人がおらん世界は寂しい、そんな思いはあなたにもこの子にもさせたない」   彼女は優しく言った。  愛する祖母が死ぬ時、一緒に死のうとした彼女にそれを禁じたのは知っていた。  それがどれほど辛かったかは聞いていた。  優しい彼女はそんな思いをあの人にも、愛しい子供にもさせたくなかったのだ。   「それとも、あなたは新しく愛する人を作って・・・私の場所をその人で埋めるん?、そんなわけないやろ?だって私だけなんやろ」  幸せそうに彼女は言った。  信じきっていた。  あの人を。  あの人はやっと理解した。  これは彼女の愛だ。  彼女にとっては愛だ。    「彼女を置いて逃げた。子供だけは殺すわけにはいかなかつた」  あの人が遠い目をして言った。  彼女を突き飛ばした。  信じ切っていた彼女を。  子供を抱きあげた。  とにかく、まずは子供を。  泣いていた。  一緒に行きたかったからだ。  驚いたように自分を見上げる彼女の目が悲しかったからだ。  彼女の黒い目は、本当に驚いていた。  あの人がそんなことをするなんて思いもしなかったからだ。  そして、あの人は悟った。  もしも、病気になったのかあの人だったとしたら、彼女は一緒に死んでくれたのだ。  何の迷いもなく。  彼女は死でさえ引き離せない程にあの人を愛していたのだ。  でも、子供を殺せなかった。  子供を置いても行けなかった。  一緒に行きたかった。  彼女との死はあまりにも甘い誘惑だった。  「・・・何で?」  彼女は呟いた。  静かな声だった。  ただ本当に不思議そうな。  永遠に耳に残る声。  そんな彼女を置いて走った。  目眩がした、身体はふらついた。  子供はそれほど薬が効いていなかったのか、男の腕の中で目覚めてしまった。  子供は、母親を探し、そして床に崩れるように座りこんだ母親を見つけてしまつた。   「お母さん!」  子供は叫んだ。  その瞬間、彼女が泣いた。  自分から全てが失われたことを悟った者の泣き声だった。  痛ましい程に切ない嗚咽の声だった。  「お母さん、お母さん!!」   子供は悲鳴をあげて暴れた。  母親の側に行くために。  それを必死で抱える。  燃えている一階をそれでもあの人は子供を抱えて走った。  彼女の泣き声を聞きながら。  

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