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第15話
子供を外に連れ出した後、それでもあの人はもう一度、別荘に飛び込んだ。
彼女を連れ出すために。
二階へ上がる階段は炎に包まれていた。
あの人は叫んだ、彼女の名前を。
彼女は階段の上まで姿を見せた。
泣いていた。
ただ、泣きながらあの人を見下ろした。
あの人はもう一度彼女の名前を叫んだ。
子供はもう安全だ。
行こう・・・彼女のところに。
彼女と行こう。
そう思った。
でも彼女は目を閉じた。
あの人を見ないために。
あの人を諦めるために。
彼女は愛を閉ざした。
永遠に。
そして、階下の炎の中に自ら身を投げた。
炎は簡単に彼女を包んだ。
長い黒髪か燃え上がるのが見えた。
彼女は踊るように動いた。
ゆっくりとゆっくりと。
あの人は炎の中に入ろうとした。
でも出来なかった。
子供が母親を求めて飛び込んできたから。
そして、子供は炎に包まれて燃える母親の元に叫びながら行こうとしたから。
あの人は子供を引きずり、外へ出ようとするしかなかった。
生きながら焼かれたはずなのに彼女は悲鳴一つあげなかった。
おそらく、身を焼かれることなど、あの人がした裏切りにくらべたら彼女には大した苦痛ではなかったのだろう。
彼女に良く似た息子は、泣きながら叫び続けた。
母親を焼く炎をみつめながら。
彼女は倒れ、動かなくなった。
別荘は焼け落ちていく。
あの人は子供を抱いて外へ飛び出した。
「あの子が僕にだけはつねに本音なのには・・・僕とあの子が共犯者やと思てるからや。母親を裏切った共犯者やて」
あの人の話は終わった。
呆然とするしかなかった。
こんな話・・・。
「・・・絵も描かへん、誰も心に入れなくなってしまったんや、あの子は。ホンマは再婚かて許してないやろ・・・」
あの人は苦しそうやった。
「僕は君のお母さんに会って救われた。救われたんや。毎晩彼女が焼ける夢を見ないですむようになったんや。その夢の何が怖いって・・・」
あの人は泣きそうな笑顔をみせた。
「一緒に焼かれたい、それがどんなに甘いことなくかと考えてしまうことや・・・今生きている現実よりも、炎の中で腕を伸ばしてくる彼女に抱かれて焼かれる夢が大事になってしまうんや」
彼女の愛は甘い。
裏切ってしまってさえ。
永遠に焼きながら抱かれたいと思ってしまう程。
「あの子は君が好きや。でも、好きになりすぎないようにしてるんや。・・・自分が母親のようになるのが怖いんや。あの子は今でも母親を愛しているから。母親が自分を愛したように。そういう愛し方を自分もしてしまうと思っているから。分かったって・・・いつかあの子に、僕が君のお母さんに出会ったような出会いがあれば・・・それだけを願っている」
あの人は言った。
俺は何も言えなかった。
何も言えなかった。
泣きたかった。
アイツの前ではあんなに簡単に出る涙は全く出なかった。
「・・・君は本当にええ子やな」
あの人は優しく言ってくれた。
違う、と思った。
ええ子なんかやないって思った。
俺は思ってしまった。
そういう風に愛してって。
俺だけを愛してって。
アイツか抱えるモノからアイツが抜け出すよりも、俺だけを捕まえて欲しいと思ってしまった。
優しくない。
優しくない。
俺は最低や。
「どうやって母さんはおじさんを助け出したんやろ」
俺は聞いた。
「・・・ほっとけない程一生懸命で、頑張り屋さんやったからねぇ。しかも仕事が出来るわりには抜けてるし。目を離せないでいる内に現実に戻してくれたんやねぇ」
あの人が笑った。
全くロマンチックではなかっただけに、リアルだと思った。
家に帰ると、珍しくアイツがソファで寝ていた。
大きな身体にはソファは狭すぎるだろうに。
ソファに寄りかかって座る。
アイツの手が目の前にあった。
大きな、綺麗な手。
俺を触ってくれる指。
触りたいて思った。
そやけど、アイツが望んでへんやろ、思ったら触れへんかった。
アイツの眠る綺麗な顔を見る。
キスしたい思ったけれど、それも出来へん。
アイツが望んでへんなら。
結局、俺はなんも出来へん。
望んでくれたなら、何でもできる。
何でもする。
でも俺はお前が嫌がることは、何一つ出来へんのや。
「・・・うっ」
思わず泣いてしまった。
俺やないんやろ。
母さんがあの人を悪夢から救い出したようには俺はコイツにしてやれへん。
あの人が言うように・・・誰かかお前を助けてくれるんやろ。
お前が嫌がろうがなんだろうが、関係なしに。
俺やないんや。
思い知らされる。
お前に誰かが現れますように。
お前を助けられるんは、多分、俺とは全然違う人や。
お前を傷つけることも厭わないような、強い人。
俺はあかん。
俺はお前を傷付けることなんか出来へん。
俺が傷付くのは我慢できても。
神様。
神様。
誰かかこの人を助けてくれますように。
そして、自分勝手なお願いですが、それまで俺がこの人のちかくにおるのは許して下さい。
俺は祈ったこともない神様に祈った。
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