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第7章:切ない片想い⑧
「……有坂のそういう思いやりに溢れるところが、好かれる要因なのかもな」
「えっ? やっ、そんな……ことはないと思います、よ」
「俺は愛想笑い浮かべて、何でもやり過ごしてしまうから」
「それでもその笑顔で、随分と救われたんです。新入社員として入ったばかりの不安がいっぱいだった俺には、江口さんの笑顔のお蔭で安心できたんですよ」
気さくに声をかけながら微笑んだ姿に、頼れる先輩だなと安堵したことを思い出した。
「そんなの見せかけだっていうのに。腹ん中じゃ、面倒をかけてくれるなよって思っていたんだぜ」
自嘲気味に笑いながら瞼を伏せて語る横顔に、二の句が継げられない。何かを言うたびに、江口が自ら進んで傷ついていくように感じた。
「他にも大平課長の名前を使えば、大抵のことは乗り切れちゃうしさ。なぁ、あざといだろ?」
「あざといというか、そういうんじゃなくて一種のワザみたいなものかも……」
我ながら全然フォローにならない言葉の連続で、どんどん居心地が悪くなっていく。
「なぁ有坂は何も考えずに、兵藤の隣に並んでいられるか?」
自分の返答を無視して投げつけられる江口からの質問の連続に、頭が追いつかなくなってきた。外したら間違いなく、さっきのように深いため息をつかれるだろう。それだけは、何としても避けたいと思った。
「何も考えずに……は無理だと思います。兵藤さんはいろんな意味で目立つ人なので、隣には並びたくない、です」
ゲイ設定というワケの分からないところもある上に、眉目秀麗な顔の傍にいるだけで勝手に比べられる気がするから。
「俺も同じ。引き立て役にしかならない容姿だから、尚更だけど」
目の前の鏡から有坂に視線を移して苦笑いを浮かべる江口の姿に、胸を撫で下ろした。
「だから逆に目に留まったんだ。アイツの姿がさ――」
ちょっとだけ困った顔で告げられた言葉に、誰だろうと考えつつ首を傾げた。
兵藤に積極的に絡んでいる人物で思い浮かぶのは、まずは大平課長だけど、部下である江口がアイツ呼ばわりするわけがない。だとしたら残るは……。
「飯島さん、ですか?」
名前を告げるなり、あからさまに有坂から視線を外して力なく俯く。
(あれ、外してしまったのか? 他に誰がいたっけ?)
手にしていたハンカチを意味なくニギニギしながら悶々と考え始めたら、江口ははーっと深いため息をついた。
「あのっ、すみません。俺ってばさっきから」
「悪い……お前に八つ当たりして。飯島が有坂に迫る姿を見たら、どうにも感情が抑えられなくてさ」
(それって、江口さんは飯島さんが好きだってこと!? 兵藤さんじゃなくて、飯島さんだったのか)
「あ――いつも兵藤さんと飯島さんがつるんでいるから、仲のいい兵藤さんが好きじゃないっていう……」
「ついでに、お前のことも嫌いだよ。飯島に想いを寄せられてるだけじゃなく、そうやって嬉しそうな顔して俺を見るなんて」
ヤバい。当たってしまったことが嬉しくて、顔に出てしまった。表情を引き締めつつ、飯島さんのことを伝えなければ――。
「それなんですけど、飯島さんは俺を好きじゃないと思いますよ。寸劇の乱入だって兵藤さんを困らせてやろうと、進んで演技をしたものですって。何なら、本人に聞いてみますけど?」
そう提案したら、ぎょっとした顔して激しく首を横に振る。
「頼むから余計なことをしないでくれ。何も喋ってくれるな」
「あ、はい……」
つらそうな顔して泣くほど好きなクセに、必死になって隠す理由はやっぱり、同性の江口が好意を寄せているというのを、知られないようにするためだろう。
「お前だって兵藤にさっき告られて、すごく困っただろ。男が男を好きなんて、そんなの気持ち悪いとしか思えないだろうし」
「確かに困りました。でも気持ち悪いという感情はなくて……。そのぅ」
「そういう感情を抱くのは、相手が兵藤だからだ。アイツに言い寄られて嬉しくないヤツがいるなら、見てみたいかもな」
やっぱり、そういうことになるか。言われてみたら、そうなのかも。これが飯島さんだったら、また違った対応になると思われる――。
「飯島に彼女ができたときは、こんな感情的にならなかったのに……。何かもう、ワケが分からない」
何か慰める言葉を賭けたいのに、どれもこの場には相応しくないものばかりが浮かんでは消えていく。そのせいで有坂の頭の中から、言葉がすべてすり抜けていった。
「……そろそろ会場に戻ったらどうだ。いい結果が待っているかもしれないぞ」
(ここを立ち去れってことだな。それに大人しく従おう)
そう思って姿勢を正し、一礼しようとしたら。
「さっきの寸劇だけじゃなく、会社でこれまで頑張った成果が、きちんと評価されるから。そんな、しょんぼりした顔をするなよ」
唐突に話しかけられてしまって、あたふたするしかない。
「会社でこれまで頑張った成果?」
意味が分からず、首を傾げてオウム返しをした有坂を見て、江口がやっと微笑んだ。
「人事が各部署にいる目の厳しいヤツを選抜して、下準備からいろんなことをチェックさせているんだ。厳しくチェックしないと、ボーナスの査定に響くとか何とか」
「ゲッ! それって部署の先輩にずっと観察され続けて、コッソリ評価されていたってことなんですか?」
「そうだよ。それを元にして、本番の出し物を評価しているわけなんだ。だからありえないアクシデントが起こっても、新人をサポートする社員たちの働きで、一体感が出ていたら大丈夫だったりするから」
うわぁ、それを知っていたら、気が抜けない日々を送っていたかもしれない。あれ? 部署でチェックしている人がいることを、兵藤さんからは何も聞いてはいないな。もしかしてこれって――。
「このことは、トップシークレットだからな。頑張った有坂のご褒美で、教えてやったんだから」
「あ、ありがとうございます。もしかして、チェックしていた目の厳しい人って……」
言い淀みながら江口を指差したら口元に人差し指を当てて、これ以上言うなよとアピールしてきた。
「最初から最後まで、誰にも言うなよ。分かったな?」
口止めの念押しをされたのでこくこくと頷き、踵を返してその場を後にした。
最終的には江口に気を遣わせてしまったけれど、後腐れのない状況で互いに離れることができたのは幸いだったかもしれない。
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