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第7章:切ない片想い⑥
「有坂くん、君が勝ったらこのふたりからの告白を、大手を振って断る権利をあげよう」
(ふたりの告白を断れる権利――絶対に、手にしなきゃならないものじゃないか)
「そして兵藤くんが勝ったら、う~ん……。本当はふたりきりのデート権をあげようと思ったんだけど、飯島くんが入ってきちゃったからね。3人でデートでもしてもらおうか」
苦笑いして告げられた言葉に、兵藤はうんと嫌そうな顔して飯島を睨んだ。
「何だよ、そんな顔して。3人でもいいだろ、有坂くんとデートができるんだぜ。頑張れよな、うししっ!」
かくて全力でやる気が漲る有坂とものすごくやる気なさげな兵藤が席に着き、セットポジションについた。
(この勝負に勝ったら、告白を断ることができる。何も考えずに思いっきり断れるんだから、間違えないようにしなきゃ。……だけどこの勝負に俺が勝って堂々と断ったら、諦めてくれるんだろうか? 兵藤さんのことだから、余計に闘志を燃やしそうな気がする――『お前のこと、絶対に諦めんで!!』とか何とか言って、迫られた非常に困る。ああ、面倒くさい)
「用意、スタート!」
あるかどうか分からない妄想を打ち消すような声が突然響き渡り、びくっと躰を震わせてしまった。
隣から伝票を素早く捲る音とともに、電卓を叩く音が聞こえてくる。いろいろ考え事をしていた有坂は数秒遅れで伝票を捲り、目に入った数字を慌てて電卓に打ち込んだ。
練習していた伝票よりも桁の小さな数字の羅列に内心安堵しつつ、間違えないよう慎重に数字を叩いていく。捲った瞬間に飛び込んでくる数字を認識すると同時に、瞬時に電卓に打ち込めるようになったので、以前に比べると倍以上のスピードでこなせていた。
最後のページの数字を叩いたあとにイコールを押して算出された答えを、横に置いてある白い紙に急いで書き込み、左手を勢いよく上げた。
「はい、そこまで。兵藤くんと有坂くん同時に手を上げたので、ふたりに各50点差し上げます」
(――出足が悪かったのに、兵藤さんに追いついたのか!?)
有坂は上げていた左腕を下しながら隣にいる兵藤を見たら、柔らかく微笑む眼差しとぶつかった。そんな笑みに思わず魅せられてしまい、どきっとしたのを悟られないようにすべく、俯いてやり過ごす。
「有坂、お前凄いな。俺よりも早く伝票を捲っとる音が聞こえてきて、めっちゃ焦ったで」
「あ、ありがとうございます。スタートが出遅れたので、一生懸命に頑張ってみました」
兵藤に凄いと言われて素直に喜びたいもののステージ上にいるため、それを抑えるのに必死になる。
そんなやり取りをしている間に大平課長が傍にやってきて、背後から採点をはじめた。
「兵藤くんの答えは……むぅっ!? 有坂くんのは――って、ぁあっ!」
妙な声を出し続けるのでどうにも気になり顔を上げたら、足早にその場から移動してステージの中央に立った、大平課長の背中が目に留まる。
「え~結論から先に申しますと、ふたりとも正解を出しておりません。兵藤くんが正解の答えからマイナス1を叩き出し、有坂くんはプラス1の答えを書いておりまして……」
困惑を滲ませた大平課長の発表に、会場から非難するような声がぱらぱら聞こえてきた。
(俺だけじゃなく、兵藤さんまでミスするなんて信じられない。そういや、伝票を捲る俺の音に焦ったって言ってたから、そのせいなのかな)
「結果この勝負は同点により、引き分けになりました。はい、ふたりともこっちに来て、この行方をあたたかく見守ってくれた会場の皆さんに、頭を下げましょう」
大平課長に促される形で立ち上がってステージの中央まで歩いて行くと、飯島が兵藤と有坂の間にいきなり割り込んできた。
「ちょっ、どうしてそこにお前が入るんや? 有坂の後ろにつくか、舞台外に控えればええやろ」
「そんな、偉そうな命令ができる身分じゃねぇだろ。わざとミスりやがって」
「ぁあ!? わざとやないって。俺はな――」
「はいはい、喧嘩はそこまでにしなさい。今回のことは全部、兵藤くんの思いやりが表面化した劇になってしまったんだからね」
目の前で展開される見慣れたふたりの口喧嘩が、大平課長のひとことで見事にぴたりと収まった。
――兵藤さんの思いやりが表面化したって、どういうことなんだ?
ぽかんとした3人を尻目に客席に向き直って姿勢を正し、苦笑いを浮かべる大平課長。
「当初の予定では青山さんをめぐってふたりがバトルするという設定だったのを、青山さんに本命の彼氏ができたことを知った兵藤くんが、自分が関わることによってトラブルになるんじゃないかと予測し、急きょシナリオを変更したんです」
青山さんに本命の彼氏ができた話なんて、初耳なんですけど!
飯島を間に挟んでいたので、ちょっとだけ躰をのけ反らせて後方から兵藤の横顔を盗み見ると、眉根を寄せつつ長いまつ毛を何度も上下させながら、口をぱくぱくする姿がそこにあった。
明らかに態度のおかしい姿を確認してる間にも、大平課長からの説明が続く。
「昨年のシナリオ……兵藤くんのゲイ設定を使って、無理やり有坂くんに迫ったわけなんです。いきなり劇の内容が変わり困惑した有坂くんと、その場を何とかしようとする兵藤くんを助けるべく、友情に溢れる飯島くんが助けに入ってくれたんだよね?」
いきなり問いかけられた飯島は、一瞬微妙な表情を浮かべた。
「俺は、友情なんて溢れちゃ――」
「またまた~! 謙遜するところもさすがだなぁ。お蔭で寸劇が盛り上がった次第です。機転の利く部下に支えられ、他の部署からの応援もあり僕は幸せ者です。会計課はこれからも皆様のお役に立てられるように尽力していく所存ですので、どうぞ宜しくお願い致します」
飯島に口を挟ませない勢いで喋り倒し、にこやかな笑みを浮かべながら客席に向かって頭を下げる。それに倣い慌てて頭を下げると、自動的に幕が下ろされていった。
(――結局は、大平課長の機転で助かったようなものだ)
そう思いながら大平課長を見ると、それまで浮かべていた笑みを消し去り真顔で振り向くなり、兵藤と飯島の襟首を力任せに掴んだ。
「ちょっと来なさい。ふたりに話があります」
二の句を継げさせないようなドスの利いた声で言い放ち、向こう側にある舞台袖に引っ張っていった。
三人の背中を見送ってから傍にある舞台袖から会場の外に出ると、見覚えのある横顔が目に留まる。
宴会場の扉に寄りかかり口元を押さえてつらそうにしている姿に、すかさず声をかけようとしたら、走ってどこかに行ってしまった。迷うことなく、その人の後を追う。
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