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第3章:懇篤(コントク)な先輩――
午前中を使って一日の仕事の流れを、兵藤から丁寧に教えてもらえた。有坂は青山と一緒にそれらを覚えるべくメモをとったり、分かりにくい部分については質問したりと、新人らしく振舞った。
「三時のお茶出しをふたりで配り歩くなんて、面白い発想だよね」
現在ビルの最上階にある社員食堂で、青山と向かい合わせに座り『今日のお昼ごはん』という、日替わりメニューに有坂は箸をつけていた。
「ひとりでする仕事なのに、あえてふたりでやらせることによって、早く会計課に馴染ませようっていう考えかもしれないな」
飯島のところから戻った後は、兵藤の態度も普通になったので、変にビビることなく過ごせたのだが――。
「……よく分かったな。そういう読みは仕事で生かされるから、思う存分に使うといい」
「うっ!?」
音もなく現れた兵藤が、有坂の隣に社食のトレーを置いて、颯爽と座り込んだ。驚いた拍子で、口の中に入っていた焼き魚を噛まずに、ゴクンと飲み込んでしまった。
(息抜きする暇も与えないつもりなのか、この人は――)
「お疲れ様です。兵藤さんの選んだ社食って、ここで人気ナンバーワンの物ですか?」
焼き魚を丸飲みしたせいで、すっかり声をかけるタイミングを損ね、目を白黒させながら麦茶をすする自分とは対照的に、積極的に話しかける青山の笑顔がまぶしく見えた。
「そうそう、唐揚げデラックス弁当な。1コだけどお裾分けどうぞ」
「わぁ、ありがとうございますぅ」
「有坂にも分けてあげるな。どうぞ」
「……どうも」
(無駄にテンションが高いというか、暑苦しいというか――この人、正直苦手だ……)
「唐揚げ、苦手だったのか?」
その声にハッとして横を向くと、食い入るように見つめる兵藤の視線があった。
「や、苦手じゃないです。すみません、あのちょっとしか残ってないのですが、ここから何かひとつ取ってください!」
内心慌てふためいた有坂は、その視線をやり過ごすべく、微妙な物だけが残ってる社食のトレーを兵藤の目の前にずいっと差し出した。そんなご機嫌伺いした有坂の顔を見てから、難しい表情で目の前に視線を移す。
「じゃあ……これ貰うな。いただきます!」
兵藤は箸を使わずにミニトマトを手で摘み、そのままパクッと頬張った。
それが苦手だった有坂は、内心安堵のため息をつきつつ、綺麗な形をした唇に引き込まれるようにして食べられる、真っ赤なミニトマトの行方を思わず眺めてしまった。
「……もしかして好きなものだったから、とっておいた物だったりするのか?」
「へっ!?」
「だって何や、物ほしそうな顔しとるから」
物ほしそうな顔って――それってまるで……。
「違っ、そんなんじゃなくってですね。トマトが苦手だったので、食べてもらえてラッキーなんて考えてしまっただけでして、けっして変な意味はなく!!」
「変な意味?」
(ガーッ! 言いワケすればするほど、話が違う方向にいってしまう。頬が熱くなっているということは、顔が赤くなっているのかもしれない……)
赤い顔を見られないようにトレーを持ったまま、有坂がじりじりと正面を向いた。
「私も有坂くんに倣って、兵藤さんにお裾分けしようっと。卵焼き一切れしか残ってなかったんですが、どうぞ!」
変なことで赤面して、あわあわしまくっている有坂を無視して、青山は兵藤に向かって話しかけた。
「ええのか!? 実は卵焼きが好物なんや」
「私もなんです。それで最後まで残しておいてたんですけど、二切れついてたうちの一切れは食べることができたので、遠慮せずにどうぞ頂いちゃってください」
卵焼きが載っている小皿を青山が差し出したら、兵藤は箸を使って一気にそれを食す。自分があげたミニトマトを食べたときと違って、すごく美味しそうな表情に、胸の奥がチクリと痛んだ。
社食のトレーに残っているもので、まともに手をつけられるのは、ミニトマトと漬物くらいしかなかった。
(もしかして、両方とも苦手だった可能性がある。だから難しい顔をしていたのかも。何だか、最悪な新人っていうレッテルを貼られそう)
そんなことを考え、顔を曇らせつつご飯を口にしたときだった。
「ふふっ。有坂くんとふたり揃って、兵藤さんの取り合いしてるみたいで面白い」
唐突な青山の発言に、有坂はご飯を吹き出しそうになり、慌てふためきながら左手で口元を覆った。
これ以上の失態は、どうにかして避けなければならないと強く思った。ここで突っ込まれたら、また変なことを言い出しそうな自分がいた。
「オカンを取り合う、姉弟みたいな感じに見えなくもないな」
唐揚げを頬張りながらニコニコして言う兵藤に、社食を食べ終えた青山が首を横に振った。
「オカンじゃなくて、恋人っていうのはどうでしょう?」
(恋人って、あのぅ……。俺、そういう趣味はないんだけど!)
なぁんていうことを言いたかったのだけれど、とりあえず無視して、残っている社食を食べ尽すことに専念した。この件に関して、自分の存在を感じさせないことにより、話題から外れないかなぁという作戦を、ちゃかり実行してみたのである。
口を挟むと、どうしても印象深くなるから尚更――。
「恋人ねぇ。俺はやめとき。どちらかというと、コイツがええって」
(人知れず作戦を実行しているのに、わざわざ引き合いに出すなんて、この人は何を考えてるんだ!?)
しかもアピールするためなのか、馴れなれしく肩をバシバシ叩くことをした、ウザいにもほどがある兵藤に、有坂は心底うんざりした。
「え~っ、どうしてですかぁ?」
しかしながら兵藤が引き合いに出した自分のアピールよりも、青山のアピールの方が上だった。出逢い頭の質問から、それが始まっている。
「俺の家系は残念ながら、ハゲる傾向にあるんや。考えてみてくれ、この顔でハゲたときのことを。最悪だと思わへんか? それを考えたら、有坂が絶対いいに決まっとる。童顔はいくつになっても若々しく見えるし、たとえハゲたとしても可愛らしいやろ」
説得力がない兵藤の言葉に、青山が吹き出してカラカラ笑い始めた。ウケたことが嬉しかったのだろう、兵藤もつられるように声を立てて笑う。
しかしふたりとは対照的に、有坂は真顔のままでいた。本当はもっと憮然としていたかった。だけどあからさまに態度が悪かった場合、兵藤に突っ込まれると考えたから、必死に我慢するしかない。
(勝手に彼氏候補にさせられた揚げ句に勝手にハゲにされ、可愛らしいなんて言われて、のん気に笑えるほどできた人間じゃないんですけど!)
有坂は苛立ちながら残っていた味噌汁を飲み干し、器をトレーに置いて何の気なしに横を向いたら、真剣な眼差しの兵藤の瞳とぶつかった。
「……有坂、お前ってさ――」
「はい?」
食い入るように有坂の顔を見つめて、更に顔を近づけてくる。あまりにも近いので、顎を引いて距離をとった。
「俺に比べて前髪、めっちゃ薄くないか?」
いきなり、何を言い出すんだ――。
「もしかして既にうっすらと、ハゲが進行しとるんやないか?」
「してません! ウチの家系はハゲませんので!!」
目の前のやり取りを見て、青山はお腹を抱えて笑いだす。いじられキャラじゃないのに、兵藤のせいでさっきから酷い目に遭ってる気がした。
「そういえばお前の髪、すっごく柔らかそうだもんな」
どこか不思議そうな表情を浮かべて、兵藤が勝手に前髪を触り始めた。
「ああ、そうか。俺と違ぉて一本一本が細いから、薄く見えてただけか。許してな」
告げられた言葉は、兵藤の素直な感想だったのかもしれない。だけど、うっすらとハゲが進行してるなんて言われた手前、有坂の腹の虫が収まらなかった。
「別にいいですよ。でも羨ましいですねぇ、兵藤さんの髪質」
無理やり笑顔を作りながら、右手でわしゃわしゃと兵藤の髪に触れてやる。セットしているであろう髪形を、ここぞとばかりに崩してやれと考えた。
「一本一本が針金のように太くて、すっごくしっかりしている上に、髪の量も多いですし。これなら、ヘルメットが要らないですね」
見た目は茶色くて柔らかそうに見えるのに、自分の手で触れてみるとごわごわしていて、どこか傷んでいるように感じた。
傷んでいるのが分かったので、恐るおそる頭から手を引っ込めると、長いまつげを伏せながら、あからさまに有坂から視線を逸らす。しかも崩したつもりの髪形はまったく変化がなかったのに、目の前にいる兵藤は頬を染めて、口元を片手で覆っていた。
何で赤くなってるの、この人――。
「す、済みませんでした。兵藤さんの髪の毛に触ってしまって。ハゲが進行したら、俺のせいにしてくださいね。アハハ……」
「別に謝らなくてもええ。こうやって誰かに、頭を撫でられるのが久しぶりでな。なんや、照れくさくなってしもただけやから」
「照れてる兵藤さん、可愛いですぅ」
兵藤の態度に二の句が継げられずにいたら、青山が絶妙なタイミングで割って入ってきた。
(多分この人とふたりきりになったら、絶対に会話が続かないと思われる。青山さんのお蔭で、随分と助けられているな――)
そんなことを考えたせいだろうか。昼休みが終わる前にトイレに行くからと、青山は一足先に食堂を出て行ってしまったせいで、兵藤とふたりきりでエレベーターに乗ることになってしまった。
真顔をキープしたままの自分と、微妙な笑みを浮かべる兵藤を乗せて、エレベーターは会計課のあるフロアに向かうと思ったのに――。
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