12 / 44
第4章:無骨な先輩――
教育係である兵藤との距離をとるのが、かなり難しい――外見は男の有坂が憧れてしまうくらいのイケメンだが、ちょっとだけ一言多い上に、世話好きで暑苦しい一面もある。
自分が苦手としている兵藤の暑苦しい性格については、ずっとその状態じゃなければ耐えられるかなぁと考えた。
しかしながらショックだったのは、ふたりきりのエレベーターでよしよしと抱きしめられている最中に、扉が音もなくいきなり開き、偶然というか最悪というか、どこかの部署の女子社員が抱き合ってる姿を見て、軽く悲鳴をあげたことだった。
フロアに響いたその声に、有坂は顔面蒼白で固まる。そんな自分とは対照的に、落ち着き払った兵藤は有坂の躰からぱっと手を放すなり、エレベーターから出るように手首を掴んで勢いよく引っ張った。
女子社員が「す、すみませんっ」と顔を真っ赤にして頭を下げたら、すれ違いざまに彼女の肩を叩き、耳元でゴニョゴニョと何かを囁いたので、有坂はここぞとばかりに耳をダンボにして拝聴した。
『……ちゅうことで、これは俺たちふたりだけのヒミツな』
(わざわざ女子社員の顔を覗き込んで笑顔を振りまくとか、確信犯にもほどがあるだろ! 何がふたりだけのヒミツな、だ。俺を入れたら三人になるだろうよ。しかも自分の容姿を武器に口止めするなんて、タチの悪いタラシみたいじゃないか――俺のせいで、誤解させることをしちゃったのに……)
兵藤は複雑な心境を抱えた有坂を引っ張ったまま、廊下の奥にある非常階段まで連れ歩く。
「エレベーターは暫く動かんから、階段で部署まで行くぞ。たった十数階、余裕やろ?」
「はい。あの……手、放してください」
「済まんな、つい」
階段を下りかけた兵藤がハッとした顔で、有坂を見上げる。その視線に堪えられなくて、横を向いてやりすごした。
「…………」
「…………」
互いに口を開くことなく、ひたすら階段を駆け下りていく。耳に聞こえてくるのは非常階段に乾いた靴音が反響した音のみで、居心地の悪さを表しているみたいだった。
そんな雰囲気を肌で感じていると、目の前にいる兵藤の動きが止まった。必然的に一緒になって、有坂も立ち止まる。
「あのさ有坂って俺のこと、どう思っとるんだろうか?」
「はい?」
前を向いてなされた質問の意味は、有坂が兵藤にとっていた態度の悪さから、そういうことを訊ねたのが想像ついた。どこか緊張感を含んだ声が、それを示している。
どう答えたらいいか困っていると、さっきよりもゆっくりな足取りで階段を下り始めた。微妙な表情で、その後ろをとぼとぼとついて行くしかなかった。
(どうしよう……。上手い言葉が見つからないけど、とにかく何か答えなきゃ)
兵藤について取り繕う言葉じゃなく、自分の気持ちをまとめるために、必死になって考えた。
「……兵藤さんについては、その」
「俺は有坂のことを何ていうか……、まんま嫉妬しとる対象やって言ったら、ビックリするだろうか」
「ビックリというか、どうしてって思いますけど。嫉妬される覚えが、まったくありませんから」
「そうやろうな。俺が勝手に嫉妬しとるだけやし」
肩を上下に揺すりながら、後方にいる有坂を見た兵藤の笑顔は、どこかサッパリした感じに見えた。笑うと印象的な目がなくなって、心の底から笑ってるように感じられる。そのお蔭で、さっきまで漂っていた殺伐とした雰囲気が一掃した。
(すごい人だ。笑顔ひとつでその場の雰囲気を、こんなふうに和ませられるなんて――)
「俺は本音を言ったぞ。お前もちゃんと言ってくれ、先輩後輩っていうのを気にせんと」
(こういうのって先に言った方が勝ちだ――ズルいよ、兵藤さん)
「えっと……兵藤さんの顔は好きですが、暑苦しい性格は苦手です。こっちに来るなレベルで」
有坂のセリフを合図にしたようにピタリとその場で立ち止まり、片手で口元を押さえて振り返る。顔半分が手で覆われているのだが、隠しきれていない頬の部分が若干赤くなっているのが分かった。
「俺の顔が好きとか、ワケが分からん」
「だってすごく整ってて、見るからにカッコイイじゃないですか」
「……自分の顔、あまり好きやない。今まであったトラブルの元になっとるし」
チッと舌打ちして、さっきと同じように階段を下りていく兵藤の背中に、有坂はペロッと舌を出した。モテるのをさりげなくアピールされて、腹が立たないヤツがいたら、見てやりたいと思った。
「誰だって、自分の顔は好きじゃないと思いますよ。俺も自分の顔に、コンプレックス持ってますし」
「コンプレックス? どこがイヤなんや?」
何を言ってるんだお前はという表情を、ありありと浮かべながら兵藤が振り返った。
「……目尻がダラしなく垂れ下がっているのが、すっごくイヤなんです」
「アホだな有坂。内面からにじみ出る人の良さを、そのタレ目が表しとるっちゅうのに。むしろ、それが嫉妬の対象になっとるくらいやで」
そんなものに嫉妬している兵藤が全然分からないと思った瞬間、有坂の顔に向かって細長い腕が伸ばされ、両手の指先を使って目尻をグリグリする。
数段下からじっと見つめる兵藤の顔は、どこか意地悪そうな笑みを浮かべていた。しかも容赦なく押してしてくるので、かなり痛い。
「痛っ、何やってるんですか?」
「有坂が自分の顔を好きになれるように、もっと目尻を下げてやろうと思って。下がるとこまで下がったら、いい加減に諦めがつくやろ?」
「諦めって……。これ以上顔が崩れてモテなくなったら、どうしてくれるんですかっ!」
「そんときはしょうがないから、俺が付きおぅたる。彼女作る気ないし、仲良く友達付き合いしよ」
(――仲良く友達付き合いだと!? そんなの冗談じゃない!)
「俺、言いましたよね。暑苦しい人が苦手だって。だから友達付き合いはできませんっ」
有坂は負けじと兵藤の顔を両手で掴み、親指を使って目尻をここぞとばかりに上げてやった。
「うおっ! 何するんや、お前は!?」
「何ってお返しですよ。兵藤さんの顔がもっともっとイケメンになるように、目尻を上げてるんです」
「あ? そないなもんする必要ない! 止めてくれ、痛いぞ!」
「だったら先に、兵藤さんが俺の顔から手を引いてくださいよ。こっちだって痛いんです!」
傍から見たら、非常におかしい場面だろう。先輩後輩が競うように、互いの目尻を上げたり下げたりしている姿は――しかも止めてくれと頼んだのに、お互いこの状態をキープする。
「有坂から放せよ」
「兵藤さんは先輩なんだから、後輩としてお手本が見たいなぁ。ということで放してください」
「何や、それは卑怯な――」
兵藤が何か言いかけた瞬間、有坂のスーツに入れてたスマホが、バイブで震えだした。
「兵藤さんもしかして、部署からの呼び出しでしょうか?」
「俺のも鳴っとるからな。戻って来ないことを心配して、連絡してくれたのかも」
同じタイミングで手を放し、いそいそとスマホに出た。結局ここでの決着は、引き分けということになった。
ともだちにシェアしよう!