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第4章:無骨な先輩――③

***  新人の有坂たちは午後3時のお茶くみを終えてから、コピーとりや自社の領収書に社名の入ったハンコ押しなど、いろんな雑務に手をつけた。だけど途中から、兵藤が昨年手掛けたという年末の書類をやってみろという指示を頂き、請求書の伝票を見ながら、パソコンと格闘することになった。  どうして、それをやらせたのか――『これ苦労したんだよな』と言いながら手渡された伝票を、何気なくパラパラめくって確認してみる。その内容に、有坂は顔をしかめる。量もさることながら、記載されてる数字の並びがとてもよく似たものばかりだった。 「1,545の次に1,454とか、1,339と1,939……。タイプミスをしろと言わんばかりの、数字の羅列の山じゃないか」  ぶつぶつ文句を言いつつ、就業時間の3分前に終わらせた有坂は、兵藤のデスクに視線を飛ばした。いつからいなかったのだろうか、パソコンの電源を落とした状態で席が空いていた。  隣にいる青山を見ると、もう少しで終える感じの伝票の厚さだった。この感じは多分、就業時間と同時に終えるだろうと予測する。  一応見直しをしながら、兵藤が戻ってくるのを待っていたのだが、就業の終了を知らせるメロディが鳴り終えても戻ってくる気配すらなかったので、渋々腰をあげることにした。 「ちょっと、兵藤さんを捜しに行ってみるよ。青山さんはどうする?」  有坂の予想通りに、就業時間終了と共に打ち込みを終えた青山が、げんなりした顔で有坂を見上げた。 「最後の方ちょっとだけ見直しをしたいから、捜すの頼んでいい? 実は六時半から、頼まれ合コンに出なきゃならなくて」  さすがは肉食系女子。初出勤のその日に、合コンなんて――。 「分かった。なるべく急いで捜してみるよ」  こうして小走りで部署を勢いよく出たが有坂は立ち止まり、ふと考える。 「行先はトイレと給湯室に……ってあれ?」  何の気なしに右を向いたら、突き当たりにある、透明なガラスで仕切られた喫煙室の中の人影に目に留まった。よく見ると、中にある椅子に腰かけた兵藤が、誰かと話をしているようだった。 (指導している後輩を放置して、自分は優雅にタバコを吸いに行くなんて、随分といいご身分だな!)  就業時間がとっくに過ぎてるのにと思いながら、怒りにまかせて喫煙室に向かう。引き戸を音を立てて開けたのに、熱心に話し込んでいるのか、ふたりは有坂の存在に気がつかない様子だった。  中に入って認識したその人は、今朝逢ったばかりの飯島だったからこそ、何かイヤな予感が胸の中に渦巻く――。 「違うんや。俺はただ、負けたくないだけなんだ。恋とは全然違う」 「負けたくないって、誰と何を競ってるんだ? 話を聞いてるだけで、頭が痛くなってきたぞ。お前の神経、間違いなくプッツンしてるって」 (何だよ……。ふたり揃って、恋バナで盛り上がっていたのか? くだらない!)  しかしながら先輩に意見する生意気な後輩と思われないように、有坂は怒りをなんとか隠し、何事もなかったように話しかけてみようと口を開いた。 「あのぅ、お話しているところすみません、兵藤さん」 「ひゃっ!?」  長いまつ毛を何度も上下に動かし、焦った顔の兵藤が有坂を見た。 「兵藤ぉ、なんっちゅー変な声を出すんだ。気持ち悪いな、マジで。ここまでコイツを捜しに来たのか、新人っ」 (兵藤の次に、この人にも絡まれたくない。絶対に面倒くさそうな人だ。見るからに暑苦しいし、ねちっこく絡まれそう……) 「……有坂です。今朝はどうも」 「おーっ、せっかくフェガーくんのことで盛り上がりかけたのに、バカな誰かのせいで台無しになったよな。どうだ、これから一緒に呑みに行かねぇか?」  言いながら、今朝のように飯島が有坂の肩に腕を回し、断りにくい雰囲気をわざわざ作る。それに困り果てて、頼りにしている先輩に視線を飛ばしてみた。  兵藤は、有坂の目の前に設置してる椅子に腰かけたまま、とても渋い顔をしていた。そんな表情をしていたので、これは自分で対処しなきゃならないなと思ったときだった。  大きな椅子からギシッと音がしたと思ったら、乾いた靴音を立てて近付いてくる。その表情は飯島さんに対して怒っていた、今朝よりも上に見えた。  まさに鬼のような形相――。  そんな怒りまくりの態度を兵藤は露わにし、有坂の肩に回っていた腕を、力任せに叩き落とした。 「いった! いきなり何するんだ兵藤っ」 「何回も言わせんなアホ! コイツは俺のもんや言うてるやろ!!」  腰に手を当てて言い切った兵藤を、飯島は一瞬だけ呆けた顔して見つめた。だが数秒後、いきなり目をキラキラさせる。 「はは~ん、なるほどねぇ。やっと分かった。オッサンから若い男に、鞍替えしたっていうことなんだ、ふぅん」 (一体このふたり、何の言い合いしているんだろう。会話がぶっ飛びすぎて理解不能だ)  言い表せない何かを有坂は肌で感じて、ひどく困惑した。そんな自分を何故だかふたりは、黙ったまましげしげと眺める。 (――もしかしてこれは、意見を求められているのだろうか?) 「あ、有坂、その……」  困った有坂を見かねて、兵藤が口を開いたのだが、青山から早く帰りたいと頼まれている手前、自分がさっさと幕を引かなければならない。 「飯島さん、すみません。また今度お誘いください。今日は兵藤さんに用があるので、ご一緒できません」  会計課の先輩である兵藤の名前を盾にして、キッチリお断りしてみた。 「ちょっ、兵藤に用事って、もしかしてアレか!?」 (どうして用事に食いついてきたんだ。この人の思考が、さっぱり分からない。しかもアレって何だろう?)  早く戻りたいのに、面倒くさい人だなと思いつつ質問に答えようと声を出しかけたら、兵藤が無言で飯島の頭を振りかぶって叩いた。 「いった! 本気で叩きやがったな」 「悪いな、有坂。わざわざ捜してくれて。課題終わったんやろ?」  飯島の扱いについて、同じように面倒くさいと考えたのか、喚きだす声をしっかり無視して、喫煙室から有坂の背中を強引に押し出した。  ワケの分からないやり取りから無事に解放されたので、ハーッと安堵のため息をつき、兵藤と並んで会計課に向かって歩く。 「兵藤さん、就業時間はとっくに過ぎてるんですけど」  後輩として先輩には、しっかりしてもらいたい一心で有坂は告げた。 「ゴメンな。飯島が何や、いちゃもんつけてきて……」 (おいおい、いい加減にしてくれよ!) 「何を言ってるんです。ふたりして、恋バナで盛り上がっていたじゃないですか。そういうのは、仕事が終わってからお願いします」 「違っ、俺は――」  どこか切羽詰まった顔して、有坂の肩に手を置く。飯島といい兵藤といい、さっきから馴れ馴れしく接することに、眉をうんと顰めてみせる。 「すみませんが放してください。俺は兵藤さんのものじゃないんですから」 「す、済まない……」  兵藤の手と顔を睨むように見たら、慌ててそれを背中に隠して、バツの悪そうな顔して俯く。長いまつ毛が影を作って、悲壮感を更に色濃くする様子に、有坂はウウッと焦った。 (後輩にちょっと睨まれたくらいで、そこまで落ち込まなくてもいいのに)  相手は先輩だから、気を遣うのは当たり前のことなれど、いちいちこうして過剰に反応されることを回避しようと、必死になって話題を探す。  目の前でしょんぼりと首を垂れている兵藤を見て、やっとそれに気がついた。 「今日、このあとお時間ありますか?」 「じ、かんって、何や?」  兵藤は怪訝な顔して、有坂の質問を質問で返す。想定内の反応でよかったと、内心ほっとした。 「お暇なら、俺の家に来てほしいと思いまして。確かめたいことがあるんです」 「……そうか。でも悪いな、今日はちょっと用事があって」 「分かりました。兵藤さんがお暇なときに、遠慮せずに遊びに来てくださいね」  思いっきり気を遣いながら、部署に歩を進めた有坂。だけれど兵藤は何故だか暫く、その場から動かなかった。 「兵藤さん、早くしてくださいっ」 「わ、悪い……」 (――ったく、しっかりしてほしいのに、難しい顔して反応するなんてさ。本当に面倒くさい人……)  その後、兵藤に課題をチェックしてもらってから、この日は難なく帰宅できたのだった。

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