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第5章:生意気な後輩

 初めて新人を任されたせいで、肩に力が入ってしまったことは素直に認める。  青山さんは女性だからこそ、ボディタッチをしないように気をつけつつ、会話でうまくコミュニケーションをとった。お蔭で会話のキャッチボールが成立しているので、変に意識することなく良好な関係を続けることができそうだった。  その一方で、態度に問題ありまくりの有坂の対応に困ってしまった。  すべては先輩として、頼りない自分のせいだというのは分かる。そこのところの穴を埋めようとボディタッチで距離感をなくそうとしたり、気を遣って話しかけることが、有坂の中にある苦手意識につながってしまったらしい。 (だったら、どうしたらええというんだろうか。有坂に対して、普通に接するというのが、さっぱり分からん)  そんな悩みを抱えながら次の日、朝礼が終わってから部署の隣にある小会議室へと、新人のふたりを連れて行った。 「噂に聞いとっただろうけど、これが新入社員歓迎会一泊旅行の余興で使う台本や。とりあえず目を通してくれないか」  兵藤はふたりの手元にそれを手渡し、それぞれの顔色を伺うことにした。  手渡した台本を青山はどこかワクワクした様子で読み漁るのに対し、有坂は難しそうな表情をずっとキープしたままそれを読み込む。 「今日はその台本を持ち帰って、セリフや流れを完璧に覚えてくること。明日仕事が終わってから一時間くらいかけて、本読みの練習をするから。旅行まで10日間の猶予しかないから、気合を入れてやっていくようにな」 「はーい。ちなみにこの台本って、兵藤さんが作ったんですか? 私、すごくおいしい役どころなんですけど」  短い台本を読み終えた後、どこか済まなそうな顔して、隣にいる有坂を見た青山。新人研修で仲良くなった関係で、ふたりを恋人設定にしたのだが、兵藤が彼女に好意を寄せたせいで、その関係を脅かす存在として登場することにしていた。 「俺みたいな、頼りない先輩に迫られることになって、迷惑になるかもしれないけど」 「迷惑なんてそんな! 爽やか好青年の有坂くんと、イケメンの兵藤さんに好かれちゃうなんて、他の女子社員の敵になっちゃうかもなぁ。なんて思っ」 「こんな薄い台本に、毎日一時間もかける理由は、果たしてあるのでしょうか?」  いきなり言葉を遮った不機嫌満載の有坂が、タレ目を吊り上げて兵藤を睨んだ。隣にいる青山は、笑顔を凍らせたまま微動だにしない。 (なんやねん、雰囲気最悪やな――) 「念入りに練習する理由は、実際に体験しなければ分からんのやけど。それはお」 「有坂くん、知らないの? この余興に優勝したら、すっごい景品が当たるらしいんだよ。ねっ、兵藤さん?」 (……今年の新人は、人の話を最後まで聞かんヤツばかりなのか。毎度毎度、遮ってくれるなんて、ええ度胸やないか)  対照的な態度をとるふたりの顔を、若干呆れた表情で兵藤は見やり、腰に両手を当てる。 「ま、まぁな。AOグループが保有しとる、福利厚生施設に一泊できる権利が与えられるんや」  目の前で、渋い顔した有坂をどうしようかと考えていたところに、青山が別の角度から話題を提供したので、思いっきりたじろいでしまった。ふたりの新人にまんまと翻弄されている現状に、内心焦りを感じる。  それだけじゃなく、さっきから有坂から放たれている、嫌悪感満載の雰囲気に気圧されっぱなしだった。 「兵藤さん、その福利厚生施設には、天然温泉付きの露天風呂があるって、噂で聞いたんですけど」 「ああ、肌がツルツルになるで。他にもテニスコートやゴルフ場、プールもあるから思う存分に躰を動かすことができる」 「これはもう、何がなんでも優勝を狙わなきゃ! 有坂くんも台本の薄さに、文句を言っちゃダメなんだからね。私達の面倒を見ながらこれを書きあげた兵藤さんを、逆に褒めてあげなくちゃいけないって」 「別に俺は、台本の薄さに文句を言ったんじゃなくて……」  興奮した青山の言葉に、有坂がたじろぎはじめた。しかも何かもの言いたげな顔で、ちらちらと兵藤に視線を飛ばして、どことなく助けを求める様子に、口元がにやけそうになった。 (しょうがない、手を差し伸べてやろうか) 「ええよ、青山さん。台本が薄いのは事実だし、これに対しての練習量がおかしいと思うのは、当然のことだから」  満面の笑みを浮かべて言い放ったら、有坂が途端に面白くなさそうな態度で、ふいっと顔を横に背けた。 (一瞬だけ困った顔が可愛いと思ったけど、これは前言撤回や……) 「噂になるくらいのゴージャスな福利厚生施設に泊まるべく、各部署それぞれが必死になって、余興をすることになる。その雰囲気は得も言われぬものものしい感じがあって、緊張感が半端ない。せやからそれを克服すべく、練習に練習を重ねたいと思っとる」  理路整然と、自分の経験をもとに告げてみたセリフに反応して、微妙な表情の有坂がやっとこっちを見た。 「あの……この後はふたりで、適当にイチャラブしてくれ! ってここに書いてあるんですけど俺、アドリブが苦手なんです」  台本を開いて、その部分を指差しながら告げた有坂に、青山が顎に手を当てて口を開く。 「有坂くん、まずは私と仲良さげにしていればいいと思うよ。アドリブが苦手なら、一緒にセリフを考えようか?」  その言葉にホッとしたのか、有坂の表情が少しだけ和んだように感じた。 (……俺だって有坂が落ち着けるようなことを何かしら言えたはずなのに、新人のふたりを平等に扱わなければならんせいで、気の利いたことが言われへんなんてな)  自分の不甲斐なさに落ち込み、口を引き結んだまま俯いた。 「ねぇ、アドリブが苦手ということは、学芸会で劇をやったときに、セリフがない役をやったりしたんでしょ?」 「まぁね。なるべく目立たない役を選んだよ。立っていればいいだけの兵士の役その5とか、町人Dとか」 「今回は、主役なんだから頑張らないと! そうですよね、兵藤さん」  唐突に投げかけられた青山の声に、兵藤はハッとして、俯かせていた顔を慌てて上げる。 「あ……そ、そうやな。有坂は主役なんやから、しっかり演じてもらわんと」 「しかも私をめぐって、ふたりが競い合う寸劇……。セリフを覚えて演技をするのも大変だけど、速さと正確さを競う伝票の計算勝負をするのも大変そうだよね」  にこやかな笑みを浮かべていた有坂が、青山の言葉で真顔になった。 「安心してくれ。勿論ハンデをやるから」  あらかじめ準備をしていた二十枚一組になっている伝票を三束、上着のポケットからごそごそと取り出して有坂に差し出す。 「当日、これの中のひとつを使うて勝負をする。それまでに、しっかり練習したらええ」 「……そんなの必要ないです」 「あ?」  コイツ最初から勝負を捨てとるんか、それとも……。  兵藤がまじまじと有坂を見つめると、タレ目をちょっとだけ吊り上げながら、こちらを見据える顔がそこにあった。負ける気は毛頭ないといった面持ちに、兵藤の中にある競争心に火がつく。 「ダメだよ、有坂くん。兵藤さんが用意してくれたものを断るなんて」 「……いらない」  完全に拒絶されたので、差し出した伝票を震える手ですごすごと引っ込めた。 「ええ度胸しとるな、お前。そういうの嫌いやないで。みんなの前で正々堂々と勝負して、潔く負ける姿が拝めるかもな」 「あっさりと負けるつもりはありません!」  語気を強めて言い放つ有坂の勝気な瞳に、兵藤の心臓が高鳴って、ゾクゾクしたものを感じずにはいられなかった。こうして誰かと何かを競うのは、楽しくて仕方ない。 「あのぅ、兵藤さん……」  有坂に睨みを利かせる兵藤に遠慮がちに声をかけてきた青山が、どこかを指差す。つられるようにそこを見たら――。 「ゲッ! 見つかった!!」  微妙な扉の隙間を作って、中を覗いていたのだろう。慌てた顔した飯島が扉の前から、脱兎のごとく逃げ出した。会計課の出し物が何をしているか、わざわざ偵察に来たらしい。 「俺はアイツをふん捕まえるから、お前たちはアドリブ部分の打ち合わせをしとき!」 (――アイツ、いつから見とったんや。まずはさっさと捕まえて、全部吐かせてやろうじゃないか!)  顔に比例するような見てくれの悪いフォームで走るから簡単に追いつき、襟首の後ろを掴んで思いっきり引っ張ってやった。 「ぐえぇっ!!」  聞くに堪えない声をあげながら、目の前で顔を引きつらせる。 「何しとったんや、飯島?」 「ひ、兵藤、さん。お顔がすっげぇ怖いっすよぅ。そんな顔していたら、面倒を見ている後輩に嫌われちゃうかも」  飯島の言葉にイラッとしたので、遠心力を使って掴んでいた襟首から手をパッと放す。狙い通り後頭部を壁に打ちつける姿に、自然と笑みが浮かんでしまった。 「いってぇな、もう。全然余裕のない顔を後輩に晒していたヤツとは思えない仕業だぜ、まったく」 「何やて!?」  微笑から一転、眉根を寄せて飯島を見やると、ぶつけた後頭部を撫でさすりながら、憐れむような視線を送ってきた。 「兵藤、お前さ、片想いしたことがないだろ?」 「あ?」 「お前みたいなイケメンに好かれたら、大抵の女は喜んで付き合うだろうけど、今回はちょっと無理そうだよな、実際」  飯島から告げられた言葉の意味がさっぱり分からず、兵藤は眉根を寄せながら首をかしげた。 「あーあ。いつもならやかましいくらいに反発するくせに、無言で肯定するなんて、マジで可哀想だなぁ」 「はっ、飯島みたいな奴に好かれたら、気持ち悪くて堪らんやろうな。好かれてしもたコ、めっちゃ可哀想や」  憐れむように告げられた言葉を応用して兵藤が嫌味を言ったというのに、飯島は太い眉毛を得意げに上げて、ほぉなんて喉の奥から低い声を出した。 「おーおー、威勢のいいこと。百戦錬磨の片想いの達人に向かって、よくもそんな態度がとれるのな」 「百戦錬磨って、そないなもん自慢することでもないやろ」 「いいや、おおありだね。どうせ兵藤は経験したことがなだろ。しかも俺は、片想いから両想いに見事昇格したんだぜ」 (何やて!? こないな顔した奴を好きになる女が、この世の中におるんか――) 「おい、何だよその表情は。絶対に、俺の顔について考えてるだろ。そういう考えをするから、有坂くんに嫌われるっていうのにさ」 「……だって飯島みたいな顔に惚れてまう女が、なんぼなんでもいるとは思えんかったし」 「残念だったな、兵藤。この顔を凌駕するものが、俺にはあるだろうよ?」  薄い胸板を張って得意げな顔されても、飯島が言ってる意味がまったく分からない。 「飯島の顔を凌駕するもの? そんなん決まっとる、性格の悪さや」 「がーっ! お前の口の悪さには負けるぞ。これでもな、男らしくて素敵って言われたんだ!!」  ああ、そうか―― 「ガサツでずぼらなところがあるから、世話のし甲斐があるっていうことなんやろ。なるほどな」  右手人差し指を立てて指摘してやったら、見る間にがっくりとうな垂れながら、無言で頭を叩かれた。力の入っていないパンチは全然痛くない。 (――もしや傷つけてしまったのか!? こんなもので簡単に、飯島が傷つく奴とは思えないけど) 「兵藤、とっとと有坂くんに告白しろ」 「はあ?」  飯島の恋バナから一転、自分のことを言われて頭の中に疑問符が浮かんだ。 「何を言い出すかと思ったら。さっきから言っとるやろ。俺は有坂のことは好きじゃない」  相手は自分の後輩で同性だ。しかも、互いに嫌い合った関係でいる。それなのにどうして飯島は、勘違いをしているのやら。 「振られるのが怖くて告白ができないのか、なっさけねぇの!」 「お前に、そないなことを言われる筋合いはない。それに告白なんてするわけなやろ、俺もアイツも嫌い合うとるんやで。暑苦しい性格が苦手って言われてるし、こっちに来るなっていうオーラが漂っとるし」 「嫌い嫌いも好きのうちって言うのにな。好かれる努力を、今までしたことがないだろ? 兵藤の顔の良さがアダになってるよなぁ」 「そんなん――」  したことが一度もない。好かれる努力って、何をしたらいいんだ? 「暑苦しい性格が苦手って言われたなら、それを直せばいいだけだろ。ちょっとくらい好かれるかもよ」  呆然とした兵藤に気合を入れるように背中を強く叩き、ゲラゲラ笑いながら去って行く。 「待てっ、飯島。どこら辺から覗き見しとったんや?」  上着のポケットに手を突っ込んでる仕草で、このまま喫煙室に直行することが分かった。さっきの会話でやり負かしたことを考えながら、一服するに違いない。 「心配するな、途中からだ。有坂くんに突っ込まれて言葉を失ってる兵藤の背中が、可哀想に思えてならなかった」 「それって、最初の方じゃ――」  声を荒げそうになった瞬間、小汚いフォームで走り出して廊下の角に消えてしまった。 (くそっ! あないな奴にアドバイスされるまでもないことなのに、動揺しまくるなんてカッコ悪い)  飯島に言い負かされたふがいない自分を思い返すと悔しくて堪らず、その場に立ち尽くすしてやり過ごす。沈み切った顔を、後輩たちに見せたくはなかった。

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