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第5章:生意気な後輩――②
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こうした空回りの毎日を送っている内に、新入社員一泊旅行まであと三日に迫った。
仕事だけじゃなく、劇の練習でも接触しているのにも関わらず、気難しい有坂との距離は縮まらないままだった。
最近の恒例となっている、就業時間後におこなっている寸劇の練習をきちんと終え、新人のふたりと別れてから喫煙室へと足を運んだ。
(青山さんとはうまいこといっとるのに、有坂については最初からあまり好かれなかったせいで、仲良くすることができん。今更一生懸命になったところで、どうにもならへんのかもしれんな)
そんな諦めに似た気持ちが、兵藤の胸の中を支配した。ゆえに煙草が美味しくないこと、この上ない。
他にも喫煙者がいたため、何度もため息をつくのは場の空気を良くしないだろうと、長い煙草をさっさと灰皿に押し付けて、腰を上げたときだった。
飯島が喫煙室の扉から顔だけ入れて、こっちに来いと手招きする。
ロンリーブルー真っ只中で一番逢いたくない人物だからこそ、兵藤は迷惑顔を決め込んだのに、なぜだか嬉しそうな表情を浮かべた。
(……キモッ。一体、何だというのやろう?)
わざとらしく重い躰を引きずるよう歩いて、喫煙室の外に出てみせる。
「兵藤、そんなイケてない顔をしていたら、有坂くんに嫌われるぜ」
「不細工なヤツに、顔のことをとやかく言われたくないわ。放っておいてくれ」
「まぁまぁ。そんなにツンケンするなって」
宥めるように肩に触れてきた手を叩き落とし、飯島の躰に体当たりして帰ろうとしたら、左腕を掴まれてしまった。
「ぁあ?」
「いいもん見つけたんだ。ついて来いよ、絶対に損はさせないから」
食ってかかろうとする兵藤をものともせずに、妙にテンションの高い飯島が、フロアの一番奥にある小会議室へと強引に引っ張った。
「この中に有坂くんがいるんだ」
「えっ!?」
帰ったんじゃなかったのか!?
「机に向かって、一生懸命に何かをやってるらしくてさ。隠れて仕事してるのって、すげぇ偉いのな」
その言葉に首を傾げるしかない。隠れて居残りするような仕事を、兵藤は与えていなかった。見られたくない何かをやっていることで、思いあたることと言えば――。
「らしくない兵藤を見るのは、俺はもうたくさんなんだ。腹をくくって告って来い!!」
言いうや否やいきなり扉を開け放ち、考え込んでいた兵藤の背中を飯島は思いっきり押して中に突っ込むと、目にもとまらぬ速さで中に閉じ込めた。
「ひっ兵藤さん!?」
思いっきり上ずった有坂の声を聞きながら慌てて扉に飛びついたのに、飯島が外から押えているのか、まったくビクともしなかった。
(なんやねんアイツ、こんなときに力技を駆使しよって……)
諦めて兵藤がその場から振り返ると、机の上の物を隠すような姿勢の有坂と、ばっちり目が合った。
「……こないなところで、何をやっとるんや?」
有坂に近づいたらもっと嫌がられるのが分かったので、躰を小さくしながら恐るおそる訊ねてみる。
「兵藤さんこそ、どうしてここに来たんですか?」
「それは……飯島のヤツから、お前がここにおるって聞いたんや。ほんで、何をやっとるのかなぁと思って」
兵藤の言葉に、有坂は渋々机から躰を退けた。そこにあったのは、ボロボロに使い古された伝票と電卓のセットが置かれていた。これって――。
「お前、俺が仕事で渡した一番ややこい伝票使うて、寸劇でやる対決の練習しとったのか……」
隠れる理由を口にした途端に、有坂の頬がぶわっと赤くなった。
「ぶ、無様に負けるより、ちょっとでもいいから兵藤さんと対等な対決ができた方が、その場が盛り上がるでしょうし、優勝する材料になれたらいいなと思ったり……。えっと」
しどろもどろに喋る目の前の顔が、更に赤く染まっていく。耳の先まで赤くしている様子を見て、兵藤は笑いを噛みしめるのに必死になった。
「それならあのとき、素直に本番でやる伝票を貰えばよかったのに」
「それだと、俺が油断するかもしれないです。それに甘んじて、絶対に間違える恐れがあったものですから。難しいので練習した方が、きっと腕を上げるでしょ!」
(アカン。コイツ妙なところで一生懸命に頑張るなんて、めっちゃ可愛いやないか――)
「そういうことなんで兵藤さん、俺の邪魔をしないでくださいっ」
顔を横に背けて、早く出て行ってくれと言わんばかりの態度をとった有坂に、兵藤はふと考えた。
(折角ふたりきりでいるというのに、すごすごと退散するのは癪に障る。青山さんと会話をするように、何としてでも会話を盛り上げてやろうじゃないか!)
「あの、さ。邪魔になるのは重々承知しとるんやけど、ちょっと聞きたいことがあって」
――コイツが食いつきそうなネタ、はよ考えな……。
「……何ですか?」
「あの……えっと、な――」
迷惑そうに睨んでくるのが、兵藤の思考を更に妨げていった。
「何か、言いにくいことなんでしょうか?」
(おう、言いにくいに決まっとる。俺が何かを言ったら、必ず反発してくるからな)
「そこまで言いにくいことでもないんやけど。ほら、アレ」
「あれ?」
首を傾げた有坂の顔で、あることが閃いた。兵藤は満面の笑みを浮かべて、自分の顔に指を差してみる。
「お前が使うてる洗顔フォーム、どこのメーカーのものなのかなって」
「はぁ?」
「他の新入社員に比べて、お前の肌の調子が一番良さそうに見えたもんやから。有坂が使うてるものは、何かなぁと思ったんだ」
正直、洗顔フォームなんてものに違いがあるものなのか全然分からないけれど、共通の話題がないだけに、無理やりにでも自分からこうして作っていかなければならなかった。
兵藤の言葉を聞いた数秒後、有坂はちょっとだけ眉根を寄せて、机の上にあるものを手早く片付けはじめた。
「お前、練習するんじゃなかったのか?」
いきなりの行動に恐るおそる声をかけたら、躰を貫くような鋭い視線を兵藤に飛ばしながらカバンを手にし、つかつかと靴音を立ててやって来る。
「あんな質問をされたら、何を使っているのかを教えなければいけませんよね。行きますよ!!」
「あ?」
「すぐ傍にある、ドラッグストアにですよ。口頭で教えても間違って買ってしまったら、元も子もありませんから」
つんと顔を背けたと思ったら、有坂はひとりでさっさと会議室から出て行ってしまった。
兵藤の苦し紛れの言葉に動いた後輩の後を追うべく、右手に小さくガッツポーズを作りながら、慌てて後を追ったのだった。
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