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第6章:ミステイク⑤

 この人の言動や行動は、本当に理解不能だと思わずにはいられない。 「ん……くぅっ」  これ以上責められないように有坂が歯を食いしばると、ゆっくり顔が離れていった。伏せられていた長い睫が何度か上下してから、じっと見つめられる。 「……ビックリしたやろ?」 「は?」 「いきなりキスされて、びっくりしただろうと聞いとるんやけど?」  言いながら兵藤は躰をちょっとだけ退いて、どこか呆れた表情を浮かべた。 「ビックリ、しました……」 「俺も昨日、飛び上がりそうなほど驚いたけどな。まさか後輩に隙を突かれて、唇を奪われるなんて思いもよらへんし。せやけど――」 「…………」 「あんなん今どきの小学生……いいや、幼稚園児でもできるもんだと思う。いうなれば、お子様のキスや」  兵藤ははーっとため息をつき、格好良く肩をすくめる。  自分が同じことをしても、こんなふうに様にはならないだろう。しかも昨日の失態をこれでもかとバカにされているというのに、格好良さに目を奪われて、羨ましいと思うこと自体おかしい。 「それをお前は今日一日中ずーっと気にした挙句に、総練習を失敗しよって。まんまアホやろ」 「……だって」 (それよりも、さっきされたキスの意味は何なのか――どこで問いただしてやろうか) 「あないなお子様のキスをされたところで、俺は全然感じなかった。ただ気になったのは、隙を突かれたことくらいやな」  鼻であしらう様に笑いながら、有坂を鋭い眼光で射竦める。目力が元々ある人だから、怖さが二割増しに思えた。 「……隙を突いてキスしてしまい、すみませんでした」  有坂が視線を伏せたまま口を開くと顔の横にいきなり、兵藤の片腕が突き立てられた。 「ひっ!?」 「せやから、キスの上書きしたんやで。どうだった?」  すっと近づいてくる顔に目を見張ったら、唐突に握り締められる下半身。 「やっやっ、やめっ!」 「躰はこないに素直だっていうのに、お前の態度は全然可愛くないのな」 「う、ううっ……」  近づいてきた兵藤の顔が有坂の耳元に寄せられた。ふっと笑った感じが吐息に乗って伝わる。 「何ならこのまま、俺の手でイカせてやろうか? 気持ちええことしてやるけど」 (――そんなの冗談じゃない!!)  目を白黒させながら激しく首を横に振りつつ、掴まれている俺自身を救出しようと兵藤の手首を両手で捕まえたら、呆気なく解放された。 「痩せ我慢しなくてもええのに」 「してませんっ! こういうことをするなんて兵藤さんは、やっぱりゲイだったんですね」 「それは違うから……」  さっきまでの威勢はどこへやら、力ない声が耳元で囁かれると顔が真正面に移動し、憂いに満ちた眼差しが注がれる。  どこか辛そうな面差しに言葉を失っていたら、目の前にある形のいい唇が口角を上げて微笑んだ。 「俺の演技に騙されたやろ!」 「はい?」 「先輩として有坂に、やられっ放しになるわけにはいかんから。せやから、ねっこりとお返ししただけや。感じさせることができて、ホンマ良かったわー」  ――たったそれだけのために嫌がる俺に、あんなことをしたっていうのか!? 「酷い……」 「おっかない顔して言ってくれるが、先に手を出したんはお前からなんやで。俺はその上書きを謀ったまでや」 「だからってこんなことをするなんて、あんまりです!」  壁ドンから抜け出すべく、両手で兵藤の躰を思いっきり突き飛ばしてやった。 「おっと! 乱暴やな」  兵藤はその勢いに2、3歩退いて、意味深な笑みをキープしたまま有坂を眺める。 「怒るのは構わんけど上書きしたんやから、今日のような失敗をするんやないで。分かったな?」 「絶対にしませんっ。失礼します!」  目の前にある肩にわざとぶつかって、通り過ぎてやった。床に置きっぱなしなっているカバンを手にして、さっさと会議室を後にした。  必要のない兵藤の上書きに有坂は心底頭にきて、落ち込んでいた気持ちが吹き飛んでいるのを気づかずに、帰路に辿り着いたのだった。

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