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第9章:優しい先輩

 あれから兵藤さんとは、一定の距離を保って接している。先輩風を吹かせてウザいときもあるけれど、それもいつの間にか慣れてしまって、適当にあしらうことができるようになった。  それと同時に、会計課での仕事もかなりこなせるようになり、兵藤さんのチェックが入らないようになったことで、大平課長に書類をスムーズに提出することが増え、仕事が早くこなせることに繋がった。 「青山さん、新しい領収書の束を渡しに営業部に行って来るけど、なにか用事ない?」  有坂が社名が押印済みの束になった領収書を手に立ち上がると、隣の席の青山が眠そうな顔で見上げる。 「冷たいコーヒー買ってきてほしいな。今日はずっと眠気がとれなくて」  そう言って、小銭の入った財布を手渡す。 「青山さんがいつも飲んでるメーカーのものでOK?」 「うん、お願い……」  あくびをかみ殺しながら頼まれたので、急いで席を立ち、部署を出て行こうとしたら。 「あ、有坂?」  唐突に兵藤が声をかけた。そのことに驚きながら振り返ると、なにか言いたげな顔して、左手をあげる。なんだろうと思いながら、兵藤のデスクに足を運んだ。 「営業部に行くんやろ? なんか嫌なこと言われたりしたら、遠慮せずに俺に言いや」  まぶたを伏せながら兵藤に告げられたセリフの意味がわかりかねて、「嫌なこと?」と静かな声で呟いた。 「えっとほら、寸劇のせいでおまえ誤解されとるから。そういう目で見られてるの、実際俺も知っとるし」 「ああ、別に。日が経てば、みんな忘れるんじゃないですか」 「悪かったな。俺のせいで、有坂が嫌な思いをすることないのに」  珍しく気落ちしている兵藤を見て、思いっきり面食らった。いつもはウザいくらいに先輩風を吹かして絡んでくるのに、今日に限っては微妙なラインを引き、しおらしくしている様子に、困り果てるしかない。 「兵藤さんが俺のことなんて、気にしなくてもいいのに……」 「気にするに決まってるやろ。俺はおまえの教育係で、ちゃんと面倒見なきゃいけない立場なんやから」  いつもなら自信満々な顔でなんでも口にする兵藤が、俯いたまま喋ることに、なんとも言えない気持ちになった。 「兵藤さんは仕事面についての教育係なのに、俺のプライベートなことにまで首を突っ込まなくてもいいと思います」 「さっきも言ったやろ、俺のせいで有坂がほかの社員に誤解されとるのを、黙って見過ごすことができひんって」  膝に置いた両手を握りしめて、自分の言葉を否定する兵藤を見ているだけで、次第にイライラが募っていく。 「だからな、有坂」 「わかりました。営業部でなにか言われたら、兵藤さんに報告すればいいんですよね。じゃあ行ってきます」  このままでは互いにぶつかってしまうことを、これまでのやり取りで経験済みだったゆえに、なにか言いかけた兵藤のセリフをあえてぶった切り、さっさと部署を出て行くことにした。 「ちょっ!」 「きちんと報告しますので、兵藤さんはここでおとなしく待っていてください」  背中を向けたまま立ち止まり、苛立ちまじりのセリフを大きな声で投げつけた。言い争っている雰囲気が部署に伝わり、嫌な空気を肌で感じたので、逃げるようにその場から出て行くしかなかった。

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