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第2章:魅惑的な先輩――4

「いいえ。その……個人的に気になって、質問しただけなんです。兵藤さんくらいのイケメンなら、彼女さんがいそうだし、どんな人なのかなぁと思ってしまったので」  言いながら、なぜか自分を見る青山。困ったときに限って見つめてくる視線に困り果てた有坂は、愛想笑いでこの場を乗り切ろうとした。 「有坂はさっきから物言いたげな顔してるけど、俺に何か聞きたいことはないのか?」  青山のときとは表情が一転、鋭く睨むように兵藤が見つめる。ただでさえ目力のある人がこういう顔をしたら、常人の二割増しで怖いことを理解してほしい。 「だだっ、大丈夫ですっ。仕事以外は、あまり興味がないので……」 「……本当やろうな? ウソをついとらんな?」 (わざわざ顔を寄せながら、強い口調で言わなくてもいいのに。しかも、どうして俺のときだけ関西弁なんだ? 先輩風をここぞとばかりに、吹かせようとしているんだろうか?) 「まったくウソなんてついてません。すみません、関西弁が怖いです!」 「あ?」 「ゲッ!?」  思わず本音がぽろりした瞬間、兵藤の長い睫毛が上下に忙しなく瞬きをするのが目に入った。その様子に頭を抱えるしかなくて、有坂はがっくりと俯く。 「あー、許してな……。俺としては怖がらせるつもりは、全然なかったんや。変に緊張すると、向こうの言葉が出てしまって。大学まではずっと、関西にいたから」 (――変に緊張っていうことは、俺が兵藤さんに対して、緊張させてしまう何かを醸しているのだろうか?) 「やーい、兵藤ってばテンパってやんの!」  困惑した兵藤に謝ろうと、有坂が口を開きかけた途端に、誰かが先に声をかけた。その人は部署の入口から顔を覗かせて、ニヤニヤしながらこちらを見ている。 「く~~っ、イヤなヤツに見られてしもた。最悪や……」  チッと舌打ちし、背中に怒ってますオーラを漂わせながら、声をかけてきた人に向かって歩いて行った兵藤は、無言のまま突き出ている顔を左手で押し退け、力任せに扉を閉めた。  がちゃんっ! 「兵藤、そうカッカすんなって。お前なら大丈夫だから」  わりと入口に近い位置にあるデスクにいた人が、苦笑いを浮かべたまま話しかける。 「江口さん……」 「いきなり抜擢されて、緊張する気持ちは分かるさ。俺もお前の面倒を見たとき、同じだったしな。失敗してもフォローするし、大丈夫だから」  新人の自分たちが聞いていても安心のできる言葉に、兵藤の表情が安堵に満ちたものに変わっていった。 「ありがとうございます! バックアップ確保したら何や安心して、仕事を教えることができるわ。まずは、一番心を込めて頑張らなあかんことからやってみようか」  兵藤は嬉々として振り返って、おいでおいでと手招きしたので、青山と一緒に向かう。  鼻歌交じりに元気よく扉を開けて、部署から出ていく兵藤の背中に続いて、出ようと思ったのだが――。 「あのスミマセン。ちょっと気になってしまって」  兵藤の指導をしたと言った江口のデスクに素早く駆け寄り、肩を竦めながらコソッと訊ねてみる。 「なんだい?」 「……大平課長との不倫という設定が、自分なりに気になりまして」 「ああ、そうだろうねぇ。気にならないほうが可笑しいよな、うん。見て分かる通り、兵藤って男前だろ。ただでさえ目立つのに関西弁で喋る様は、入社当時から女子社員に目をつけられて、相当な騒ぎになったんだ。指導を担当する俺が、ほとほと困り果てるレベルでさ」  告げられた言葉に、有坂は同意を示すべく、コクコクと頷いた。その当時のことを思い出したのか、江口は大きなため息を吐き出しながら、デスクに頬杖をつく。 「ウチの会社自体、社内恋愛を禁止してないし、結婚している者も結構いてね。その熾烈な争い中から、カップルが成立したワケなんだけど――。兵藤ってばガサツそうに見えて、結構マメな上に優しいもんだから、折角できた彼女に誤解されちゃってさ。ゴタゴタしてるトコに、彼女になってやろうっていう女子社員が、隙を見計らってやって来るワケなんだ。それがさぁ俺らの仕事の支障をきたす、一歩手前くらいかなぁ」 「聞いてるだけで、胃が痛くなるような話ですね」  江口の胸中を察するように顔を歪ませて、話を聞き込んでみせた。 「だろだろう! ちなみにこれは兵藤が入社して、一カ月の間の話だから。ゴールデンウィークに突入した頃には、綺麗さっぱり終息してさ。もう安心しまくったよ」  やれやれさと言って微笑みかけてくる表情に、何とか作り笑いを浮かべた。共感することは大切だということを知っていた、有坂の戦略だった。 「……随分と濃ゆい一カ月だったんですね。しかも五月には治まってしまったというのは、もしかして――」 「そーそー。大平課長が見かねて、一肌脱いでくれたってワケ。というか、脱ぎ過ぎだよね実際」  肩を竦めてクスクス笑う江口とは対照的に、納得しかねる内容だったせいで、有坂は神妙な面持ちに変わった。 「その内、有坂も一枚噛まなきゃならないから、覚悟しておくといい。ほら、兵藤が扉の向こうから睨んで待っているよ。早いトコ行かなきゃ、しばかれちゃうかもね」  江口が指差した先には、扉の隙間からこちら側をじーっと睨んでる兵藤の顔があり、それが怖いのなんの……。 「教えてくださり、ありがとうございましたっ。すみません、今すぐに行きますっっ!」  苦笑いを浮かべた江口にペコペコ、ちょっとだけ怒った顔の兵藤にペコペコと頭を下げまくった後、腕を掴まれて連れられた先は、フロアの一角にある給湯室だった。 「朝礼はないんだけど、新人がお茶を配り終えたら、軽いミーティングをする習わしになっているんだ。あと三時にも、お茶を淹れる。他所のフロアの社員もここを使うから、物を扱う際には十分に気をつけてくれ」  他にも会計課の社員が使っている湯飲みの位置や、その他の注意事項を聞きながら、青山とふたりで必死にメモをとった。 「それと……問題を起こすのは、いつもコレなんだが――」  兵藤は整った顔を歪ませて、シンクの中にあるそれを指差す。それは『桃瀬ねたマンガ日和 』というマンガに出てくる、フェガーくんの顔がプリントされている湯飲みだった。  くまと人間をコラボさせたような顔立ちは、一度見たら忘れられないと思われる。 (血の滴るものを食べた後のようなものが、プリントされている湯飲みで、お茶を飲みたくない。よくこんなのが、商品化されたな) 「こんな気色悪いモノを使う、無神経なヤツ。ほらさっき会計課に勝手に顔を出した、営業二課の飯島っていう男なんだ。ちなみに俺とは同期」  吐き捨てるように言い放ち、格好良く腕を組んで、ついて来いと告げてから、颯爽と給湯室を出て行ってしまった。そんな兵藤の後ろに続き、青山と顔を見合わせながら歩く。

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