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第7章:切ない片想い②

***  他の部署は事前にくじ引きで出演順を決めていたけど、昨年優勝した会計課はトリということが決まっていた。  演目順に展開される他の部署の凝った出し物――大がかりなマジックあり時代劇風の寸劇や漫才など、笑えるものから感動するものまでいろいろ見ることができた。  ステージ上から他の人の熱気がひしひしと伝わってくるからこそ、有坂の中にある緊張感がどんどん増していき、次第に頭が真っ白になっていく。正座した膝に置いてる両手が、情けないくらいに小刻みに震えた。止めようと力を入れてみても、全然止まらない。 (昨日のように、失敗したらどうしよう――)  そんな考えが有坂の頭にチラッと過ぎった瞬間、大きくて温かいものがそっと右手を包み込んだ。 「あ……」  右手の上に被せられた手を辿ると、斜め後ろにいたその人が自分を見ずに、ステージで行われている演目をじっと眺めていた。 「今年の新人は、ええ感じで精鋭揃いやな。やけに目につくものばかり、次々と出してくる」  兵藤が眉根を寄せながら独り言を呟くと、いきなり立ち上がった。必然的に右手を掴まれている、有坂も一緒に立つことになる。 「まだちょっと早いけど、舞台袖に行くで。ついて来い」  さっきよりも強く握りしめた兵藤の左手が有無を言わさず腕を引っ張り、強引にその場から連れ出した。  ほんのり暗い会場から明るい廊下に出たせいで、どうにも目が慣れずに瞳を細めてやり過ごしていたら、兵藤がちょっとだけ振り返り、ぴたりと歩みを止める。その行動を不思議に思って、目の前にある大きな背中を黙って見つめた。 (何も言ってないのに、さっきからさりげなく俺を気遣っているのか?) 「あの、ありがとうございます。もう大丈夫です」 「そうか……」  大丈夫だと言ったのにも関わらず繋いだ手を離さずに、そのまま舞台袖まで誘導する兵藤に、この手を離してくれと告げることができなかった。膨らんでしまった不安を掴んでいる手で拭いとってくれるような温かさと大きさに、縋りついてしまいたくなったから。  兵藤とはたった三歳しか違わないのに、落ち着き払った様子やその他諸々を総合して考えると、すごく差があるように感じた。  今回の行事に関しては経験値が物を言うのは分かるけど、面倒くさい新人を抱えながら三年連続優勝を目指して果敢に挑むこの強い精神力は、どうあがいたって真似のできないものだった。  舞台袖に着くと天井から吊るされているカーテンのひとつを手にしながら、兵藤がいきなり抱きしめてきた。同時に光が遮断されて真っ暗闇の中で伝わってくるのは、目の前にいる先輩の息遣いと布地越しからの体温のみ――。  すぐ傍で行われているステージ上で演じている大きな声よりも、自分の鼓動がばくばくと、耳元で鳴っているみたいに分かる。  兵藤に抱きしめられたのは、これがはじめてじゃない。だけどこんなところで抱き合っている姿を、誰かに見られるんじゃないだろうか。 「ぁ、あの……兵藤さん」 「大丈夫や。みんな演目を夢中になって見てるし、上手いことカーテンに隠れとるから」  いやいやいや! こんな場所でカーテンに隠れているからこそ、不自然極まりないですって。 「でも……」 「お前は、余計なことを気にしすぎや。考えすぎるから動きが止まって、頭が働かんようになるんやで。失敗してもええ。俺が何とかしてやるから安心せぇ」  兵藤さん―― 「こないに体温下げとったら、表情が置物みたいに硬くなるな。まだ少しだけ時間あるし、俺の躰から暖を奪っていけ」  言いながら背中に回された手が、緊張で冷たくなっている有坂を温めるように上下に動いた。  どうしよう……。不安定になっている今、自分ではどうにもならない現状だからこそ、この人から与えられる優しさに無条件に縋りついてしまいたくなる。 「兵藤さん……」  閉所恐怖症で錯乱しかけたときのように、苦手な先輩にこうやって抱きつくしかできないなんて。  両脇にぶらんと下ろしていた両腕を恐るおそる兵藤の背中に回して、ぎゅっと力を入れてみた。  その瞬間、躰をビクつかせて擦っていた手が止まったけど、すぐさま腰に回されている腕に力が入り、密着する部分が増える。  お陰で伝わってくる体温が、すごく心地いい―― 「……お前、こないに心臓ドキドキさせとるのに、どうして躰が冷たいんやろうな」 「兵藤さんこそ、俺よりも緊張しているんじゃないですか? 鼓動、すごく早いですけど」  心臓が早くなったのは抱きしめられてからなので、それを誤魔化すべく気づいた点を指摘してやった。 「そりゃあ、緊張しぃひん方がどうかしとるやろ。この状況だしぃ……」 「三年連続優勝がかかっているから、尚更ですよね」 「ぁあ、そうやな」  どこかしどろもどろな感じで答えたと思ったら、背中を擦る手がさっきよりも激しく上下していく。 (そんなに擦ったら、兵藤さんの手が熱くなりすぎるんじゃないかな) 「有坂……」 「はい?」  耳元で囁かれた声に俯いていた顔を上げたら、カーテンの僅かな隙間から入ってくるステージの明かりが、兵藤の整った顔に陰影を与えていた――目を奪うそれを、じぃっと見つめてしまう。  視線が絡んだ瞬間、長い睫毛を伏せてゆっくりと顔が近づいてきた。 (キスされる!?)  目をつぶって兵藤から与えられる衝撃に備えてみたけど、ほどなくして強い腕力でカーテンから躰を押し出された。 「うわっ!」  突然のことに前のめりになって、転ばないようにその場で踏ん張る。 「あっ、有坂くんってば、もう先に来ていたんだ。早いねー」  話しかけてきた青山が、すぐ傍まで歩いてやって来た。その後方には、大平課長の姿も確認できたのだが――。  カーテンから自分を突き飛ばした兵藤を見つけようと有坂が振り返ったら、そこには既に誰もいなくて、幕の降りたステージを何事もなかったかのように歩き、向こう側の舞台袖に向かっている後ろ姿が目に留まる。  いきなり放り出されたせいで、躰の表面に感じていた温もりが瞬く間に消え去ったのに――胸の奥に包み込まれるような確かな温もりを、しっかりと感じていた。  先輩の兵藤が与えてくれた勇気を胸に、きちんと頑張ろうと思えた瞬間だった。

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