30 / 44

第7章:切ない片想い④

「ひ、兵藤くんってば、僕よりも若い有坂くんに目がいくなんて、もしかして自分色に、染めようとしていたりするのかな? おじさんは柔軟性がないからねぇ」  苦笑しながら大きなお腹を撫で擦るところは、台本どおりだ。もしかして大平課長、自力で修正を試みたんじゃないだろうか。  内心、ホッとしたのも束の間、兵藤があからさますぎるため息をつき、有坂たちがいるほうへ数歩だけ近寄った。 (確かこの場面は、お腹を撫で擦る大平課長を労わるように、後ろからハグするところだったろ。どうしてさっきから違うことばかりするんだ、この人は――) 「大平課長に対する愛情と、有坂に対する愛情の種類が違っていたんです。はじめてアイツを見たとき……」  兵藤はステージの中央にいる大平課長と、端っこにいる有坂たちのちょうど中間の地点で立ち止まり、真剣な眼差しでこちら側を見つめてきた。  いつもは目力が強い印象の兵藤の眼差しなれど、それが切なげにユラユラと揺れ動くせいで、慈愛に満ちたものに感じてしまう。 「兵藤くんと有坂くんの出逢いか。彼が配属されなければ僕は君を、ずっと独り占めすることができたというのに」 「……たとえ違う部署に配属されたとしても、俺は有坂のことを好きになったと思います。それだけアイツの印象が、心の中に焼きついてしもたから」  与えられた台本を読むかのごとく、ふたりは瞬時に考えた台詞を喋っているせいで先の展開が読めない以上、合間に口を挟むことなんてできなかった。 「有坂……」 「うっ、あ、はい?」 (どうしよう、何を話しかけてくるつもりなんだ。大平課長のように流暢な言葉が、絶対に出てこないよ) 「好きや」  ずばっと告げられたひとことに、客席から妙な雰囲気がひしひしと伝わってきた。 「そんなこと言われてもですね。その……」  突き刺すような兵藤の視線に堪えられず、客席を眺めてみたものの向こう側は真っ暗で、何も見えない状態だった。 「躊躇する気持ちは分かる。おんなじ同性やから、困ってしまうよな実際」 「それもそうですけど。あっ、俺には青山さんという彼女が――」  最初の設定、青山と恋人同士だったことを思い出し、腕を組んで見せつけてやろうと横へ手を伸ばした。 「ぁ、あれ? いない……」  さっきまで傍にいたはずの青山の姿が忽然と消えていて、有坂は呆然とするしかなかった。  困惑しながらもよぉく捜してみたら舞台袖のカーテンに隠れて、両手を合わせながら自分に向かって拝んでいる青山が目に留まる。 (この状況に堪えきれず、逃げ出したということか)  逃げ出したいと思いつつ渋々兵藤を一瞥したら、俯いて両拳をぎゅっと握りしめていた。しかも少しだけ、躰が震えているように見える。 「後悔したくないんや。自分の気持ちに嘘をついてまで、捻じ曲げたりしたくない。俺はお前が好きや。どうしていいか分からんくらいに、有坂のことが好きなんやで」  躰を震わせながら告げられた言葉は、痛いくらいに胸に突き刺さったのだけれど、ちょっと待てと内心、踏みとどまった。  三年連続優勝がかかっているという大事な寸劇で、自分が書いた台本を大幅に変更させ、明らかに現場を困惑させたということは――苦手な後輩の困り果てる姿を特等席から眺めてやろうじゃないかという、兵藤の意地悪からきているんじゃないだろうかと瞬間的に思いついた。  震えているのも沸々と湧き上がってくる笑いを堪えようとして、出ているものかもしれない。 「……酷い。本当に最低な人だ、兵藤さんはっ!」 「あ?」  どこか絶叫に似たような声で告げた有坂の言葉に、やっと顔を上げて不思議そうな表情を浮かべる。 「これがはじまる直前まで、貴方を信じていたのに。俺の困り果てるところが見られて、そんなに面白いですか?」 「何を言っとるや、有坂。ワケが分からへんで」 「本当に演技がお上手ですね。すっかり騙されちゃいましたよ」  緊張してネガティブになっていた自分を救ってくれたのも、すべては俺を陥れるためだったなんて――。 「苦手な後輩に好きだなんて言っちゃって、躰が震えるくらい拒絶反応として出ているのに、それを隠そうと本当に大変ですね」  事実を突きつけた途端にぎゅっと眉根を寄せ、客席から見えないように横を向いた。 「こないに……こないにも好きなのに、どうして――」  兵藤は小さな声で呟き、これでもかというくらいに悲愴な表情を滲ませる。それはまるで、今にも泣き出してしまいそうな顔だった。  普段は見られない横顔を目の当たりにして、胸がきゅっとしなる。 (俺、間違ったことを言ってないのに、どうしてこんなにも胸が痛むんだ?) 「確かに俺は最初、お前に対して苦手意識はあった。反発されたりといろいろあったし、そこからどう接していいか分からなくなったこともあったけどな」  切なさを含んだ絞り出すような声が、ステージ全体に響いていく。

ともだちにシェアしよう!