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第4話

あれから、葉介は俊樹と目を合わせようとしなかった。稽古場では平静を装っているが、最低限のコンタクトしかとろうとしない。お互い公演会が近くて、俊樹は弟子の稽古をつけるのにも忙しかったし、葉介も自分の舞いのことで紛れていたが、どことなくぎこちない雰囲気が漂っていた。 思い余って俊樹は右田を呼び出した。同じ大学に通っているので、学食で待ち合わせると、右田は「おまえのおごりだぞ」とA定食の大盛りにラーメンと何故かプリンアラモードまでトレイに乗せて現れた。 「どうした、今日はチントンシャンじゃないのか?」 右田はいつもこうして茶化して言うが、この男の性格故か不思議と不快にはならなかった。 「すまないな、オマエもインカレが近いのに。」 「いいんだ、俺は天才ストライカーだから、あまり練習して手の内をみせるのも粋じゃない。」 体育会サッカー部の主将として活躍し、Jリーグの強豪チームがスカウトに来るほどだが本人はあくまでもマイペースに楽しんでいるようだった。 「なぁ右田、笑わないで聞いてくれるか・・・いや、軽蔑しないで聞いて欲しいんだ。」 「なんだよ?」 「俺は、葉介くんを犯しそうになったんだ・・・もう嫌われてしまったのかもしれない。」 いつもはポーカーフェイスの俊樹が、今にも泣き出しそうな表情になって、じっとうつむいて語り出すと、右田はいつものように茶化すこともせずに黙って聞いていた。 「なんでそんなことになっちまったんだよ?」 「稽古の途中に突然、お夏を舞い始めたんだ。男とは思えないほどに妖艶で、時にはっとするほど凛としていて、それでどこまでも可憐なんだ。あんなに没頭して舞いこなせる人間を、俺は知らない。」 「あのぼーっとした小僧、そんなすごいのかよ」 「それだけじゃない。あんな姿を見せられたら、俺がいままで必死に抑えて来た思いなんて、脆くも崩れてしまったんだ。」 「そうだろうな。」 「笑わないのか?」 「何でだよ?ソソるモノ見せ付けられて勃たない男なんていないぞ。」 ふと顔を上げた俊樹は、うっすら涙ぐんでいて、そんな表情はコイツこそ男にしておくのは惜しいな、と思わせるほどの美しさだった。 「だって、俺これってホ・・・ホモってことだろ?右田、オマエ気持ち悪くないのかよ?」 「そんなリアクション求めるんだったらハナから相談すんなよ。オマエが新浪に惚れてるのなんか、毛が生える前から気づいていたよ。」 「本当に?」 「わかるって。」 そうか、と俊樹は短く溜息をついた。一人っ子の自分に弟ができたみたいで、自分を純粋に慕ってくれる葉介がただ可愛いかった。世話が焼けると思ったこともあったけれど、キラキラと目が輝いて、いつも真剣な姿が微笑ましいと思っていた。いつしか自分と背丈も同じになって、まぶしいほどの笑顔と時々たまらなく胸を乱すような色香を見ることがあって、ドキドキすることがあったが、それを恋と認めることができなかった。必死に否定しようとすればするほど葉介を意識しぎこちなくなり、夢の中で何度となく葉介を抱き、そんな自分に嫌悪しながらもどうにか平静を保っているつもりだった。 自分の気持ちを打ち明けたら、葉介は怒るに違いない。彼は自分が少し気弱な事を気にしているから、「俺がなよなよしているからって、ホモ扱いしないでください」と言うに違いない。無理に付き合っても、兄弟子の立場を利用していると思われるだろうし、家元に知れたらもう新浪流で踊れなくなる。 自分には踊りしかないのだし、普通のサラリーマン家庭に育った彼の学費も名取になるまでの費用も全て本部が負担していたから、新浪家を裏切るようなことは何があってもしてはいけない。 「兎に角一度新浪に謝っておけよ。今までどおりの関係はとりあえず維持したいんだろう?」 右田の口からはこれ以上のアドヴァイスはできなかった。通学電車の中でかつて新浪葉介と顔を合わせているし、何度もつるんで遊んでいたが、俊樹と新浪葉介のぎこちない関係に気づきながらも、どっちももどかしいほどに相手に遠慮しているのが見えていたから、一体二人は何を考えているのか「仮面の告白」を聞くまで自分の意見に確信が持てなかった。女性の注目をどれほど集めても本人は全く意に介さず、踊りと弟弟子である家元の御曹司を守ることしか頭にない俊樹の胸に秘めた思いが痛いほど自分に伝わって、自分の身にふりかかったことであれば幾らでも解決法があるのにこの青年にはそんなものは役に立たないことが苦しかった。 「もし、新浪がお前に同じ感情を持っていたら、どうするんだよ?」 「まさか、そんなことがあるはずないよ。葉介君にとって俺は一生“兄”でしかないと・・・そうはっきり彼の口から聞くのが怖いんだ。」 ランチをがつがつ食べるジャージ姿の男と、対面で泣く男の構図はマンモス大学の食堂とはいえかなり異様な光景であった。 「葉介君。」 公演会が無事に終わった後、誰もが汗と興奮に包まれていた。俊樹と桜子のお夏清十郎は、浄瑠璃を超えたと評判は上々だった。葉介の男舞も、「さすが御曹司」と誰もが誉めそやし、「家元」の時は厳しい父も、手放しで誉めてくれた。熱のこもった興奮が葉介を包んでいた、そんな瞬間に楽屋に俊樹がやってきた。清十郎の町人髷が天性の美貌に艶を与えている。 「お疲れ様でした。すごく・・・綺麗でした。」 本当にそう思えた。変な嫉妬もない、踊りの先輩として、これからの一門も支える存在として、この人がいることが嬉しかった。 「ありがとう。打ち上げに行こうかとみんなが言っているよ。仕度をしたら、表で待っているよ。」 稽古を離れて素の俊樹と過ごしたのは久しぶりで、ぎこちなかった距離が少し縮まったような気がしていた。なんだ、俺フッ切れたんじゃないか。そう考えていたところでポケットの携帯電話が鳴ったので店の表に出た。クラスの友人からの何気ない電話を終えると、俊樹がそこにたたずんで店の喧騒から逃れるようにして、一服していた。 「俊樹さん。」 呼びかけると、どうした?という表情を見せて傍にやってきた。二人っきりになると何を話して良いのかわからない。 「葉介君・・・いつかのことは、君に済まないことをしたと思っている。」 突如切り出されると、とっさに何のことか理解できなかったが、あの夢中になってお夏を踊った夜のことと解ると葉介は硬直した。 「いいえ、気にしないで下さい。俺・・・。」 「忘れてくれ。二度とあのような真似はしないから。」 見つめた瞳は美しく、真摯だった。 (忘れてくれ・・・忘れてくれ・・・。) 周囲から、音が消えた。目の前の景色が、ぐらりと揺らいだ。 後のことは覚えていない。ただ、確信してしまった。自分は、失恋したのだということを。

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