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第5話
それでも、高校を出て大学に入る頃には、失恋の痛手もようやく癒えていた。俊樹への憧憬はもちろん消えることなく残っていたけれど、自然に接することができた。
踊りは二人をどこまでも近づけてくれていた。名取になってめきめき腕を上げた葉介は、俊樹と共に舞うこともあったが、ふと目が合う時、扇をかざす時、言い様もない興奮に葉介は包まれた。お互いの呼吸が一つになる、舞を通じて一つになっているという思いは葉介の身体全体に熱を帯びさせ、その熱は夜になってもひくことがなく、何度となく葉介は俊樹を思い浮かべて独り遊びに耽ったが、思い浮かべる場面はいつもあのトランス状態でお夏を踊った夜の場面であった。
自分の首筋をつたう唇、口の中が全て蕩けてしまいそうな熱い口づけ。しどけなく開く浴衣の胸元から滑り込む手の温かい感触と、その直後に胸の飾りを弄んだ時の痺れるような感触。
何故あの時自分は拒んでしまったのだろう。こうして忘れろと言われるのだったら、一度限りの思い出となるよう、最後まで許せばよかった。
俊樹さんの舌は、どのように自分の身体を這うのだろう。あの指は、どのように自分を焦らしてくれるのだろう。そう思いながら同じように指を這わせても、自分の指は無味乾燥に肌の上を滑るだけであった。
扇を持つ時のしなやかな指が自分の雄にからみついたら、恥ずかしいほど蜜が溢れて、すぐに果ててしまうかもしれない。何度でも達かされてしまうかもしれない。きっともっと俊樹さんの手は優しく力強いのだ、と夢想しながら欲望で堅く勃ち上がった自分自身をそっと握ると、あの晩浴衣の上から押し付けられた俊樹自身の熱さを思い出し、かあっと顔が熱くなった。自分のモノよるはるかに質感があって、握ると熱く脈うつのだろうか。自分が舌で奉仕したら、口の中で一杯に溢れながら、悦んでくれるのだろうか。
「・・・・・・んうっ・・・・・・あぁ、俊樹さん・・・。」
ただでさえ独り遊びの事後は空しいというのに、まして俊樹とのセックスを妄想しながらの後は尚更切なくなって少し涙が出た。後ろめたい気持ちを抱えながらベッドに横になると、廊下を歩く音がした。隣の部屋のドアがそっと開くギギッ、という音がして桜子が帰宅したことがわかった。
「桜子ちゃん?」
カーディガンを羽織ってドアをノックすると、鏡の前でピアスを外している桜子がいた。流行りのファッションで決めている双子の姉は和服を着て舞う時とは違った美しさがあって、比べること自体がお門違いなのに、葉介はたまらなく惨めな気持ちになった。やっぱり、俊樹さんとお似合いだよね。俺なんか・・・。
「あ、葉介ちゃん。起きていたの?ママにはナイショだよ、遅かったの。」
「うん・・・何処行っていたの?」
「デートよ。」
デート?
「俊樹さんと?」
一番知りたくて聞きたくない問いを反射的に投げると、桜子はきょとんとした顔をして、噴出した。
「やだぁ、そんなワケないじゃないの。」
心外よ、といわんばかりの膨れっ面をした桜子は弟の自分から見ても可愛いのだが、その答えにカチンときた葉介はいつになく語気を荒げた。
「なんでだよ、桜子ちゃんちゃんとしてくれよ。俊樹さんにバレたら叱られるだろ?」
「ちょっと何よ、そんな真剣になっちゃって。俊樹さんが好きだからってヤキモチ妬かないでよ!」
桜子もいい気分で帰宅して他でもない味方だと思っている葉介にいきなりこんな態度を取られて腹が立ったのか、形の良い眉毛を吊り上げて怒っている。
「ヤキモチなんかじゃないよ、俺・・・。」
一番知られたくない人に自分の気持ちを読まれたことが悔しくて、葉介は返す言葉もなく部屋に駆け戻った。
(俺・・・一体どうしたらいいんだよ・・・俺の気持ちなんか・・・。)
桜子は許嫁がいるというのに、それが不満なのかこうして遊んでいる。俊樹は何も知らないのだろうか。家元を継ぐことと引き換えに、桜子の自由奔放を黙認するつもりなのだろうか。
(・・・禁断の恋。)
ふと俊樹の言葉を思い出し葉介はハッとした。
(桜子ちゃんも、俊樹さんも、打算で許嫁として割り切って、他に好きな人が外にいるんだ)
自分がどうしても手の届かない人を難なく伴侶とできるというのに、自分は気持ちを人に打ち明けることも叶わずこうして悶々と夜と過ごしているのに・・・。
全部怒りをぶつけてしまえば自分だってすっきりするのに、本当の気持ちを口に出せないからどこか煮え切らないまま力なく座り込むと、桜子が部屋に入ってきた。
「葉介ちゃん、ごめん。私が言い過ぎたわよ。ねぇ、次の日曜、サッカー観に行かない?」
双子だというのに、桜子は年上の姉のようにして葉介を宥めることには小さい頃から慣れっ子だった。頼りないけれど、優しい弟が大好きだったし、葉介の笑顔が好きだから、彼に窘められると親に小言を言われるより堪えるのも事実だった。
「うん、観に行こうか。でもチケットとれるの?」
「任せておいて。」
きっと後援会の人にでもお願いするのだろう、それより桜子と久しぶりに出かけることが楽しみだった。二卵性双生児で顔がほとんど似ていないため、街を歩くと周りの男性が羨望の眼差しで自分を見る。俊樹とのことでは日蔭者どころか地中奥深く埋まっている自分が少しだけ自信を取り戻す一瞬でもあった。お洒落なお店で向かいあってアイスクリームを食べたり、ブティックを覗いたりすることは、自分のように正常でない恋をしてしまった者はデートなんて一生経験することないだろうから、擬似体験でも素直に楽しみだった。そんな時の自分は心の何処かで俊樹とのデートを想像していたのだろうし、恋に悩む葉介を学校帰りに遊園地に誘ってくれたあの日のことを重ね合わせているのだった。
約束の日曜日は、文句なしの快晴だった。葉介は稽古場で黙々と踊っていた。
既に曲は終り、スピーカーからは乾いた摩擦音がするだけなのに、葉介は何かに取憑かれたように舞っていた。
「葉介、稽古熱心なのも良いが今日は踊りがすさんでいるぞ、少し休め。」
振り返ると家元である新浪荘泉が立っていた。弟子の手前いつもはとても厳しいのだが、今日は日曜日でお弟子もいないためか、優しい父親の表情で心配そうに立っていた。
「あ・・・ごめんなさい、パパ。なんだかうまく決まらないんだ。」
シュンとする葉介を目を細めるように見ると、そこに座りなさいと優しく促し、葉介はそれに従った。
「葉介は名取になって腕をあげたし、練習熱心なのは実に嬉しいことだけれど、踊りにだけ没頭するのは私は勧めないよ。」
そういう家元自身も、日本舞踊以外の舞踊を研究し、時には創作舞踊に積極的に取りいれるなどしていた。
「はい、でもまだ俺はそこまで広げられませんから、今はこれで手一杯です。」
そう言いながらも、葉介は涙が溢れそうになっていた。無我夢中になって踊ってでもいないと、このやるせない気持ちをどうにもできなかったのだった。それに追い討ちをかけるように、いつになく優しい父親の言葉が辛かった。
「今日は出かけなかったのか?たまには息抜きをして、街や人の息吹を感じることも良いぞ。桜子たちと一緒だと思っていたのに。」
葉介は押し黙った。朝までは、サッカーを観に行くつもりでいたのだが、部屋から出ようとしてギョッとした。桜子と俊樹が向かいあって立っていて、桜子が俊樹の首に腕を回していたのだった。
「あ、葉介ちゃん。支度できた?」
葉介に気づくと桜子がにっこりして声をかけてきた。
「ねぇ、どうこのマフラー?私作ったのよ、素敵でしょ?」
俊樹の首に手作りらしいマフラーが巻かれているのをみて、葉介は言い様もなく気がふさいだ。ブルーグレイと灰色のストライプのそれは、俊樹の大学のスクールカラーだった。俊樹は葉介を見て少し照れたような笑みを見せた。
「葉介くんもサッカーが好きなんだね。」
「俊樹さんも行くの?」
「あ、桜子ちゃんから聞いていなかった?」
桜子が今更外出に俊樹を誘わない訳がないのに、気づかない自分はあまりにも迂闊だった。それにあのマフラーも・・・。
「ごめんなさい、俺今日約束入っていたんだ、だから二人で出かけて!」
言い捨てるようにその場を去ると、部屋に篭って暫く動けなかった。こんな時に思いっきり泣けたらいいのに、胸を借りて泣きたい人こそが葉介の涙の原因となっている。
(やっぱり俺俊樹さんが好き。諦めきれないよ・・・。)
そんな想いをぶつけるように踊り、それでも立ちきれない煩悶を今こうして父親に蒸し返され葉介は返す言葉もなかった。
「うん、そうだね、父さんの言う通りだよね。」
「俊樹君にもオマエのことではその辺りを色々頼んでいるのだが、彼も真面目だからなぁ。」
「はい。」
俊樹の名前が出るとついビクリと反応する自分がいて、気取られないようにわざとぶっきらぼうな返事をしたが、新浪荘泉は気づく由もなかった。
「そうだ葉介、俊樹君のことだが・・・。」
「ん?」
「いや、また今度話そう。」
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