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第6話

父親が何を言い出したいのかは良く解らなかったし、何故話をそこで途切れさせたのかもよく解らなかった。それから一月もしないで父親が急死した時、逃げないでしっかり話を聞いておくべきだったのではという小さな後悔を感じた。一周忌を待って俊樹は桜子と結婚して新浪の籍に入り、新浪荘泉を襲名するのだろう。 (実力では俊樹さんが家元になって然るべきだし、俺ではお弟子さんはついてこないに違いない。) (桜子ちゃんはしっかり者だし、美人で地唄舞は父さんも唸るほどの実力者だから、俊樹さんにはお似合いだよね。) そう考える度に必ず胸に湧きあがるどす黒い思い。何故、自分はこんな惨めになるのだろう。実力の違い、華やかさの違い。そんなことは既に解りきったことなのに。 いや、そうじゃない。一番の理由は・・・俊樹さんだ。 失恋して、一度は想いを諦めたはずなのに、一度で良いから想夫連のような曲を踊って、自分の気持ちに気づいてもらいたかったと今も思う。だが、桜子と結婚するのであればそれも叶わないまま手の届かない人になってしまう。 (どうして、涙が出ちゃうんだろう。)  綺麗な舞姿が霞んでしまうから、泣かないようにしないと。そう思って鼻をすん、とすすったかすかな音が聞こえたのだろうか。流れるような動きで扇をパチン、としまうと俊樹の呼ぶ声がした。 「そこにいるのは葉介君だね?」 見つかっては仕方がない。おずおずと稽古場に入ると、あんな優美に舞っているのに紺地の浴衣は汗を吸っていた。 「ごめんなさい。覗き見する気はなかったのだけれど。でも、綺麗な舞だな、って。」 「ありがとう。毎日踊らないと気が済まないし、葉介君や家族の皆さんには申し訳ないけれど、関係者だのややこしい席にいるのも面倒になってしまって。」 これから先家元として彼の肩に乗るだろう重圧を考えると、そしてその延長線にあることを思うと葉介の心は再び痛んだ。 嫉妬に焦がれる表情を見られたくないからとうつむくと、俊樹はそれを葉介が落ちこんでいると思ったのか、そっと手招きをした。葉介はすい込まれるように俊樹の足下に腰を下ろし、俊樹も居ずまいを正して座った。 「辛かったよね。俺も、つい昨日まで目標として追っていた背中が急に見えなくなって、正直どうしてよいのか混乱しているんだ・・・一番辛いのは葉介君なのに、俺は頼りないな。」 「ううん。みんなどうしていいのかわからないよね、こんな突然だとさ。俺も、自分の中でどうにもならない何かがある時、舞ったことがあるよ。それで解決できる何かが見つかるわけじゃないのだけれど、すくなくとも無になれるから。」 話してから「ちょっと格好つけすぎかな」と照れる表情を俊樹は優しい微笑みで返した。 「俺は、葉介くんほど無になれないな。煩悩や、雑念が多いのかもしれない。」 「そんな・・・俊樹さんの煩悩なんて想像つかないよ。」 「あるさ。」 以前俊樹が「橋姫」の話しから禁断の恋に悩んでいることを思い出した。これから先、俊樹も自分と同じく現実だけを見つめて生きていくのだろう。それは葉介にとって少し小気味良いものであり、また自分と同じく報われない恋に苦しむ俊樹に同情もしていた。 「・・・しょう。」 「え?」 「俺たちで協力し合って、新浪流を、盛り立てていきましょう。」 それが、唯一俊樹に見せることができる誠意だった。恋人になれなくても、彼を精一杯側面から支援することで、自分の愛情を昇華できればいいのだ。 「・・・辛いんだね。」 父の死、家の事、自分のことなど様々な思いが一気に去就して思わず涙をこぼした葉介に俊樹が声をかけると、葉介は堰を切ったように泣き出した。俊樹の前では強くいたいのに、つい本音が出てしまう。 「俊樹さんに、しがみついていい?」 言ってしまってから軽い後悔が葉介を襲ったが、俊樹は葉介に腕を回すとそっと引き寄せた。 「俺の前だったら、思いっきり泣いていいよ、葉介くん・・・。」 抱きしめる腕の力が微かに強くなると、俊樹の鼓動や身体から伝わる熱に葉介はうっとりとなりかけた。 (あぁ、温かくていい匂い・・・。) 「俺が傍に居るから。君の傍に、いるから。」 (だって僕はキミの義兄さんに、なるのだから、でしょ?) 素直になれない気持ちが湧き起こると、本当はその腕に全てを預けたかったのに半ば衝動的に腕をほどいた。 「葉介くん?」 「ごめんなさい、甘えたりして。」 熱く、優しい腕の感触を思い出すと、嬉しくて、その分辛くて部屋に戻ると葉介は静かに泣いた。 (パパ、なんであんなにあっけなく死んでしまったの?俊樹さん、どうして俺を見てくれないの?どうして俺は桜子ちゃんみたいに、女に生まれなかったの?) でも、こんな思いは今日で振り切るから。俊樹さんの胸に抱かれたこの思い出を胸に。

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