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第7話
日本舞踊は伝統芸能の中では比較的地味なジャンルであったが、以前桜子が雑誌のご令嬢コーナーに取り上げられ、それが縁でTVの仕事が入ったことで多少脚光を浴びていた。折しも別の伝統芸能のある一門で宗家が亡くなり骨肉の争いになっていた事も手伝って、「新浪流」の後継者問題が歪んだ形で伝えられたのは初七日を過ぎて間もなくのことであった。
嫡男である新浪葉介と、一番弟子の俊樹が後継者争いをしている。
雑誌はそう書き立てると、美しい青年が血と技を賭けて競うという構図は大衆受けするらしく、そうなると話は更に大きくなって行った。哀しいかな内部の事情を良く見ているはずの弟子達がこの報道に煽動されて、すぐに葉介派と俊樹派に真っ二つに分かれてしまった。時流におもねる者がいつのまにか当人達の知らないところで派閥を作り、二人は稽古で顔を合わせる以外は周囲が引き離そうとするので以前より一層ぎこちなくなってしまった。
子どもの頃のように、何の屈託もなく稽古場で走りまわったり、笑ったりしたあの日々は遠いものになってしまった。
話すきっかけを掴もうとするたび何処からともなく湧いて出るお太鼓持ちが、やれ今の舞いを一差しさらうのだが、とか使いっ走りが用事を待っているとか、正直今でなくても良いような理由を持ち出してその場から葉介と俊樹をひきはがそうとする。自ずと互いの姿を見つけると以前は磁石が引き寄せあうように傍に駆け寄ったのに、今では相手に気づかれないようにその場を去るようにさえなってしまった。
協力し合って新浪流を盛り立てようと約束したのに、これでは分裂して別の流派、なんてことにもなりかねない。流派一の実力者をここで失うことは一門にとっても損失であるし、なにより自分が辛い。自分は俊樹を応援して流派を盛り上げると心に決めたのだから、何としてもこの鬱屈した空気を打破しないといけない。その為には、自分は何ができるだろう。
葉介は悩んだ。自分の父や先代達が興し、ここまでしてきた一門を自分の代で終らせてはいけない。たくさんのお弟子さんたちを路頭に迷わせるようなことがあってはならない。桜子ちゃんだって、踊りのない人生なんてありえないだろうし・・・俺は、どうなんだろう?
そして何より、俊樹さんの困る顔は見たくない。
俺にとって一番守りたいものは、何だろう?
考えが巡っては消えて、孤独な悩みを繰り返し、涙ぐみ、寡黙になり、どうにも行き場がなくなると、夢中に舞った。様々な想いを無理に押し込めて無になって舞う姿は凄みを増し、研ぎ澄まされていくとその表情には恍惚すら浮かべていたが、それを知るものはいなかった。
「どういうことなの?」
葉介が自分の決心を話した時、桜子はすっとんきょうな声を上げた。
「このまま揉め事が続くのは良くないと思うんだ。だから、これが一番良い解決方法だと思うんだ。」
「俊樹さんに家元を譲るにしても、葉ちゃんが踊りを辞めることないじゃないの。」
葉介の出した結論は家元争いから自分が身を引き、俊樹が正真正明の家元になることだった。いずれにせよ誰かが家元になるはずなのだから、そこまではまだ理解できる。父親も実力が第一で血にはこだわるべきでないといつも言っていた。だが、葉介は流派を俊樹に任せて自分は日本舞踊の世界から足を洗うと言い出したのだ。
「踊り、嫌いなの?」
「そうじゃないけれど、俺が新浪流にいる限り、今みたいに俺を家元に上げようとする人達が出てくるかもしれない。芸術の世界はある意味虚の世界だ。その中で情念を舞うことはあっても、現実のドロドロを持ち込んでは良い舞いは極められないし、流派が先細って行ってしまう。俺は幸いあまり才能も無いから、損失にははらないよ。」
「何言っているのよ、葉ちゃん、考え直してよ。私葉ちゃんの踊りが好きなのよ。」
いつもは勝気な桜子が泣きそうになって葉介にすがりついた。いつも見上げていたような気がするのに、こうなると双子なのに随分彼女は小さいんだな、と葉介は妙に落ち着いて見ていた。
「ありがとう。でも、桜子ちゃんは大丈夫だよ。俊樹さんと一緒に盛り立ててよ。」
(俺たちで協力し合って、新浪流を、盛り立てていきましょう。)
あんな格好良いこと言ったのに、俺は俊樹さんとの約束を守れないんだ。ごめんなさい。
「葉ちゃん、踊り辞めたら何ができるっていうの?」
「あ・・・それ考えていなかった。」
そこまでは考えていなかった。大学の仲間はもう就職準備の話しをしていたけれど、今からどんな仕事ができるというのだろう。
「でしょう?ね、考え直してよ。俊樹さんとも・・・。」
「俊樹さんには、言わないでね。心配かけたくないから。」
それだけ言って桜子の部屋を出て、気づくと稽古場へ足が向いている自分が居てなんだか可笑しかった。
(俺、踊り辞めるんじゃん。)
でも、その後のことをどうしよう。誰に相談したら良いだろう。まず浮かんだのは俊樹だったが、彼に相談したら、自分の決心を聞いて逆に自分が一門を去ると言いかねない。
思い余ってふと浮かんだのは右田だった。俊樹の親友として顔を合わせることも多く、一緒に出かけることも何度かあり親しい先輩ではある。とりわけ親しくしている訳でもなかったが、葉介が知っている限りで外の世界に詳しそうで親身になってくれそうな男といったら彼ぐらいしか浮かばなかった。
大学構内のサッカー練習場に出向くと、たくさんの取材陣の他に、女性ファンが鈴なりになっていたのに驚いた。家元争いの一件以来稽古場にも取材陣が来たり、葉介や俊樹のビジュアル的な風貌に生じたにわかファンの女性のアタック攻勢に辟易していたので、ちょっと困惑したが、その輪の中心にいるのが右田であることを知ると妙に納得した。既に複数のJリーグチームからスカウトを受けており、海外のチームと契約ではという声も聞こえていた。
いつもの派手な手ぶりで取材やサインに応えていたが、葉介に気づくと集団をその場に止めて駆け寄ってきた。
「おぅ、どうした新浪。クラブハウスで待っていろよ、すぐ行くから。」
果たして言われた通り待っていると着替えを終えた右田がやってきた。イタリア系ブランドで決めた立ち姿は、さすがオフシーズンにモデルをするだけのことはある格好良さだった。
「待たせたな、新浪。久しぶりだったが、いろいろ大変だったな。」
「はい・・・。」
向かいにドシンと座ると自然と出てくる優しい心遣いの言葉にさっきまでの緊張が一気にほぐれた。
「どうしたんだ、今日は俊樹はいないのか?」
「ええ、俊樹さんには相談しにくくて・・・。知っているでしょう、ちょっとうちゴタゴタしているの。」
「ああ、少しな。」
「家のこと、というか俺自身のことなんだけれど、俺踊り辞めるんだ。」
「えっ?」
相談を受けた右田は返事に困っていた。この世間知らずのお坊っちゃんが今更踊りを辞めて世の中に出るなんて考えたこともなかったし、親友の手前無責任なアドヴァイスなどできるはずもなかった。
「俊樹には話したのか?」
「いいえ、俊樹さん心配するから。」
「まずはちゃんと話したほうがいいと思うぞ。俺は内輪のことは良く解らんが、家元に続いてお前までいなくなったらまとまるモンもまとまらねぇだろう。」
「俊樹さんがいるし・・・。」
「その俊樹だってお前のお守していたのはお前が将来一派を継ぐからじゃなかったのか?大体、俊樹と話したのかよ?」
「だって・・・。」
その瞬間、ふと右田は以前俊樹が食堂で泣きながら「仮面の告白」をした時の事を思い出した。
「なんだかお前らややこしそうだな。ここじゃ何だから、外でメシでも食って話そうか?」
右田はそう言って立ちあがるとコートを羽織り、マフラーをふわりと首に巻いた。
「あ。」
葉介の視線はマフラーに釘づけになった。
「どうした、新浪?」
「ごめん右田さん、俺ちょっと帰るわ。頭冷やして出なおしてくる。」
葉介は言い終える間もなくクラブハウスを飛び出した。
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