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第8話

「俊樹さん!」 家に戻ると葉介はいつにない凄い剣幕で俊樹の部屋に向かった。既に卒論を上げた俊樹は部屋で静かに音楽を聴いていたが、葉介に驚いたように立ちあがった。 「どうした、葉介くん?」 「ひどいじゃないか、あんたって人は!」 「落ち着いてくれよ、いきなりそんな事言われても俺には何の話か見当もつかないよ。」 「桜子ちゃんが可哀想じゃないか、マフラーせっかく編んでくれたのに!」 「マフラー?」 「とぼけないでよ。桜子ちゃんが俊樹さんのために編んだやつだよ!」 「え?なんのこと?」 「右田さんにあげちゃうなんて、惨くないか?」 いつもの葉介らしくない詰め寄り方に俊樹は面食らったが、会話の中から何が原因かを読み取ると困ったように溜息を付き、葉介の肩を掴んだ。 「待てよ、葉介くん。何か誤解していないか?あのマフラーは、もともと桜子ちゃんが右田に編んだものなんだよ。」 「だってあの色は・・・。」 「右田も俺も君も同じ大学なこと、忘れてもらっちゃ困るな。」 久々に間近で俊樹と話して、目が合うと俊樹は軽くウィンクしたので葉介はドギマギして、力が抜けてしまった。 「でも俺見ちゃったんだ・・・桜子ちゃんが俊樹さんの首にマフラー掛けていたところ。俺もサッカー行こうって言われていたのに、デートだったこと知らなくて・・・俺、お邪魔だろうって。」 これまで心を閉ざそうとしていたことが空しく思えるほどに俊樹の優しさは素直に響いた。 「違うよ。桜子ちゃんは右田に渡そうとあのマフラーを編んだから、俺を使って長さを確かめていただけだよ。試合だって、桜子ちゃんにチケット手配したのはアイツだし・・・っていうか、葉介くん、何も聞いていないの?」 「何を?」 「桜子ちゃんが、右田とつきあっていること。」 「え☆?だって俊樹さんと許嫁って・・・。」 俊樹はやれやれという表情をした。許嫁の話しは周囲が勝手にそう決めつけていただけのことで、自分は家元からそんな話しをされたことすらないことを冷静に説明した。桜子の事は踊りのパートナーとして尊敬しているし、文句なしの素敵な女性だと思うけれど、それ以上の目で意識したことがないというと、葉介は俊樹が前に話してくれた「禁断の恋」を思い出し、泣きそうな顔で俊樹を見つめた。 「そんな泣きそうな顔をしないでくれよ。彼女にアタックしようと思ったことは一度も無いけれど、仮にしたとしてもきっと俺は玉砕していたよ。だって、桜子ちゃんには右田というれっきとした恋人がいるんだから。」 葉介は桜子と何でも話しているつもりだったのに、恋人は俊樹だと思い込んでいたからそんなことを話題にしたことも無かったし、敢えてそんな話題を避けていた。 悪友として行き来しているうちに桜子を気に入った右田が俊樹に相談を持ちかけると、彼は二人のキューピッドとして橋渡しをした。桜子はサッカー好きで、男子部のエースストライカーだった右田のファンであったので、あっさりこの話はまとまったが、ファンやマスコミに取り囲まれる右田の迷惑にならないようにという気遣いも見せていた。 「あのサッカーの日、桜子ちゃんは右田を恋人として葉介くんに見てもらいたかったんだよ。」 「うん・・・。ごめんなさい、俺何も知らなくて。」 「いいよ。だからもう踊りを辞めるなんて言わないでくれよ。」 「俊樹さん、それをどうして?」 「右田が心配して電話をくれたよ。」 「あ・・・。」 「約束だろう?二人で力を合わせて新浪流を盛り立てていくって。周囲の人達がああして変な動きをして俺たちもどことなくぎくしゃくしてしまったけれど、これは家元が望んでいるありかたではないと思うんだ。」 「ごめんなさい。でも俺・・・俊樹さん、俺ちっとも舞うの上手にならないし、俊樹さんみたいに典雅に舞えないんだ。」 「同じに舞う必要はないだろう?俺にできない舞いが葉介くんにはできる。それを伸ばせばいいのではないだろうか。」 俊樹の脳裏にはかつて自分の前でだけ舞ったお夏の凄絶な様がふと浮かんでいた。ともすれば嫉妬さえおぼえるほど、自分とは異なる境地に自然と到達しつつある葉介の才能に驚嘆し、己の理性さえ失いかけたことを思い出し、少し赤くなった。 「葉介君。前に"橋姫"の舞の事を聞きたいと言っていたよね。夜時間あるかな?」 突然の申し入れに葉介はびっくりして顔を見ると、俊樹はニッコリ微笑んでいた。 「え?橋姫を、俺に?」 「だって、君の舞だろう?」 「じゃあ、9時に稽古場で待っているから。」

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