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09 お任せください
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かといって「東京唯一の村」と言われてもわからなかったので、トイレに行くついでにこっそり調べた。島が出てきて眉間にしわを寄せたが、簑島は「車」と言ったし、八王子に憧れるというくらいだから八王子より山梨寄りのどこかに違いない。それでも、これから車で行くとなるとかなり遠い。簑島とでなければめんどくさいの一言でしかないのだが、わくわくが止まらない。車内で二人っきりだ。こんなに早く二人でドライブできるなんて…。
覆面パトカーに乗り込むと、簑島が助手席に座った。シートベルトをしている間に「念のため」といいながらカーナビを設定する。中央自動車道とは高速の一種なのだろうか? 料金がかかる場合ETCカードは使えるのか、そもそも設置されているのか? 一般道なのだろうか? 信号渡れば所沢という地域で過ごしたので、都内は正直明るくない。聞くのは恥ずかしいので、ナビの示した通りに従うことにしたが、特に簑島からの注文もなかった。
密閉空間に二人きり。急に緊張が襲ってなにも言葉がでなくなる。簑島もなんだか考え込むように腕を組んで前を見据えたまま、言葉を発する様子もなかった。一時間弱しかないこの時間を、無駄に過ごしてはいけない。
内堀通りを左折して深呼吸をした。あとはほぼ真っ直ぐなはずだ。
「なにか、緊張しているか?」
「は、いえ」
話しかけようとして先を越された。
「運転の仕方が不自然だ」
「え?」
実はそれほど運転には慣れていない。ペーパーというほどでもないし、レインボーブリッジくらいなら渡れたし、高速の乗り降りだって…。簑島が真似るように肘を上げた。見て気付いた。確かに、両腕を水平にあげていたので少し、肘を下げた。
「ああ、銃の携帯許可は初めてってところか?」
「は、はい」
所轄署では拳銃を携帯しなければならない物騒な現場へ、出ることなどなかったので、実は今回が初めてのことだ。打ちかた練習はするが、他人に向けることなどないだろうと思いながら、紙の的に穴を開けるくらいのことはっやっている。肩からホルダーを下げ、胸のあたりにそんな物騒なものが鎮座していると思うと、不安でしょうがない。
「安心しろ。今日はあくまでも視認だ。使うことにはならないから」
本心からそう思っているのだろうか? そうだとしたら、大丈夫、なにかあっても貴方のことは自分が守ります。言うに言えない言葉を飲み込んだら、会話に間が生まれてしまった。
簑島が少し窓を開けて風を入れた。今は5月。突然夏日がやってきたりもするが、概ね過ごしやすい季節だ。簑島が窓の桟に肘をかけ、外を眺める。チラリと盗み見た。仕立てのよいスーツは変に膨らむこともなく、そこにブツがあるとも思えなかった。拳銃所持を一緒に申請していたので、持っていることは確かだが。
「あの、到着するまで、眠っていてもかまいませんよ」
「勤務中だ」
下手な親切心を出すと痛い目を見る。親切のつもりだったが、勤務に誇りを持っている人にかけるべき言葉ではなかった。深く呼吸をする。
「なんだ? 言いたいことがあるなら言え」
そう言われてまた深く息を吸った。少し、それは少し、挑戦的ではないだろうか?
「なら、伺いますが、簑島さんは自分のこと、覚えてますか?」
窓の外を見ていた顔がこちらに向けられる。ちょうど赤信号になってくれたので、表情を崩さないように、そちらへ顔を向けた。簑島ほどの美しさはないが、自分だってそこそこ女にも持てるので、イケメンの部類に入る方だ。警察学校で推奨される柔道、空手、剣道もそこそこやっているので、筋肉ムキムキではないが、上の中くらいには入る。記憶に残らないわけがない。
「前科一犯」
「は?」
気だるげに左手をぶらつかせながら、簑島は表情を変えずに言った。
「目の前で証拠隠滅を謀った」
パァン! クラクションが鳴らされて、簑島がまた外へ首を向ける。もう一度クラクションが聞こえ、青だと気付いて慌てて走り出した。
貴方を救ったのに、あれを犯罪と思っていたのだろうか?
「……逮捕、しますか?」
クスっと笑い声が聞こえた。目が血走りそうなほど、横への視界を意識するが、簑島に動きはない。
「逮捕されたいのか?」
貴方のためならどんな犯罪を犯してでも守ります。そうしたら貴方のやり方で、刑を与えてもらえますか? 手錠を掛けられて、全裸の簑島が上に載る。好きなように腰を動かして……。ああ、妄想に入りそうになる。ハンドルを握りなおしてぐっと堪えた。
「なぜ、あんなことに」
「終わったことだ。知らなくていい」
強い口調で遮られた。やはり、そこに触れてはいけないのだろう。
「し、失礼しました」
ぐっとアクセルを踏んでしまって、簑島の身体が揺れた。いけない、安全運転をしなくては。
ダメダメな妄想をを打ち消すために、標の読み取りに必死になる。新宿と八王子の行き先が何故分かれている? 電車でいくなら、八王子は新宿から先のはずだ。動揺しそうになって、ナビを確認した。「ルート再見当」という文字が点滅していた、なんだと? 道をどこかで間違えたか? そういえばナビの声が聞こえてこない、壊れているのか? 消音設定か?
待望の赤信号で、ナビの設定を確認する。
「言っとくが、いつ警察無線が入るかもわからないから、ナビはだいたい無音設定になっているよ」
「えー…」
思わず声が出てしまったが、焦りを出さないように、ナビの設定画面を弄ろうとしたら、簑島が前を指さした。信号が変わってしまったが、変わりに簑島が設定をしてくれた。先ほどのことで気分を害したとか、そういうことはないようでほっとした。
「最初に首都高に上がらなかったから変だなと思ったけど、ここまでスムーズだったら下のルートでもいいかもな」
ショック。最初から間違えていたとは。急に腕が重くなって、胸元の拳銃に腕が当たった。
「すごいな。出る前に道路情報もチェックしてたのか?」
間髪入れずに持ち上げられて胸を張った。だが、簑島は行き先を手前にある警察署にしていた。視線に気づいたのか、
「雪平里香の所在および戸籍を所轄の者に調べてもらっている。現地へ行く前に立ち寄りたい」
と続けた。
「了解です」
先回りか。やはり、キレモノというのはこういうことをいうのだろう。
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