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29 白衣の天使(偽物)

   *  丸一日眠っていたと言われた。意識が戻ってすぐ、休み休みだが聴取された。権藤と現場にたどり着いたところまで説明して今日は開放された。警察病院だが、念のため廊下に一人所轄の警官が置かれた。金井が逃走したとのことで、セキュリティを考えて個室を用意された。一泊料金は日当よりも高い、震える。  顔の擦過傷はすぐ直るとのことだった。腕は筋肉断絶まではいかないが、炎症を起こしていた。足の銃創も幸い貫通していたことと、壊死した組織もなかったことから、リハビリは必要だが歩くことにも支障はないそうだ。ただ銃創は熱を放出する。身を捩るほどに痛みを訴える。聴取が終わったばかりで疲れていた、眠りたいところだが、また足が痛みだした。 「……っ」  そこへノックが聞こえた。 「検温のお時間ですー」  看護師と、眼鏡の医者が入ってくる。朝見た担当ではない気がした。朦朧としながら目を開けると、看護師が近寄ってきて、 「痛みますー? お薬のみますー?」  と、ファイルをベッドの脇に置いて、ポケットから薬を出した。眼鏡の医者が脈でも図るのかと思ったが、伸ばした手を額に当て、汗で貼り付く髪を梳いた。 「?」 「はい、お口あけてー」  薬を持った指のマニュキュアに気づいて、身構えた。 「大丈夫、本物だからー」  人差し指をたて「しー」と言いながらクスリを突き出してくる顔をよくみれば、鄭社長のところにいたゴスロリだ。ツインテールではなく後ろでクロワッサンのように巻いている。 「似合うー? 白衣の天使なりー」  口に薬を放りこむと、デコったスマホを取り出して、自撮りを始めた。  するとこのニセ医者は? サイドテーブルに水差しがあるのに使い方がわからなかったのか、洗面にあるコップに水を汲んで持ってきた。伊達メガネの徳重がまじめな顔でいう。 「飲め」  今は起き上がれない。訴えるかわりに目を閉じて、痛みに耐える。  すると唇に柔らかいものが触れた。じわりと水分が流れこんでくる。鼻にメガネがぶつかった。目を開けて徳重をみる。ゆっくりと水を流し込まれて、薬が喉を通った。ずっと見つめていると、徳重の目が開く。こちらを見たまま何も言わない。ただ、右手が髪を撫でていた。 「……もっと」  というと水も含まずに徳重は唇を重ねる。土に埋めてやりたい気分だ。 「みのりん、証拠写真転送するから、ロック解除してー」  見てませんというポーズなのか、ロッカーから勝手に出したスマホを投げて、目の前でダブルVサインを送ってくる。 「みのりんはやめろ」  言いながらスマホを解除して渡すと、テヘペロしながらカーテンで仕切った。 「結局な、老人と元アイドルが結婚したという報せを聞いて、孫の径が母親とのセレブ生活は合わず戻ってきたんだな。もともと、八王子で暴れてた径は金が欲しくて、おじいちゃんにおねだりするつもりがうまくいかず、元マネージャである金井と手を組むことにした。  嫁をコントロールするためにクスリを与え、欲しいだけ出てくる金でクスリの売買ルートを開拓しようとして家具屋の柳葉に話を持ち掛けた」  徳重は事件のあらましを説明しながら、髪を梳き、時々頬や額に口接ける。まるで頭と身体は繋がっていないように、淡々と説明を続ける。 「柳葉は女が欲しかったので、金井が女を連れてくると言われるままに家具の買い付けに連れて行った。クスリの商談には直接かかわらず、金はネットで、ブツは女が方々で受け取って台湾の拠点に集め、プライベートジェットで戻る。服部の御仁に依頼されたどこぞの王族御用達の家具だぞと、一つ立派なものをみせれば税関もおざなりだ」  キスで怪我が治るわけではない。くすぐったくて払い除けると、動きを止めて頬杖をつき眺めてくる。 「買いは孫の径が、売りルートは金井が仕切っていた。径の希望を嫁から言わせ、断られても金井が別の理由で爺を懐柔する。ところが、予想したとおり、嫁が見た目にもアレになってしまったんで、エロ爺は激怒して金を出さなくなり、このハイエナどもから逃れるために四国へ戻った。  柳葉に宛がっていた女も、チタンの社長・藤原には内緒で金井動いていたが、もともと小さな芸能事務所ゆえ、柳葉の要望に応えづらくなっていた」  10秒と我慢できないのか、徳重は一度ひっこめた手をまた伸ばして髪を撫でる。好きにさせるしかない。 「孫の径と金井は資金調達ができなくなって、ない頭を突き合わせた。そうだ、同じように銃を密輸してみたら儲かるんじゃない? 柳葉の代行でガオガーの若手社員に小遣い稼ぎで依頼すれば、女も金もそれほどかからないかもしれない。てゆーか、俺と同じペースだったのに、なんであの女あんなに中毒者になってんだよ。知るかよ、てめーが量を間違えたんじゃねーのか? とかいいながら」  真面目に説明することに飽きたのか、知りもしない真似をし始めた。  ピ、一度だけ徳重の腕時計が鳴った。 「もえたん、終わりそう?」 「うん、あとちょっとー」  カーテンの向こうで声がする。送金の記録とクスリの顧客リストのファイルも転送するという。情報をどこでいつ抜き取ったか、都合よく話を作るため、徳重の移動ルートや証拠品を見つけた場所などの詳細も居れているそうだ。  情報はありがたいが彼女らのことだ、何を仕込まれるかわからない。証拠品提出したら、機種変更をしよう。 「チタンの社長は蚊帳の外だったのか?」  ニッと笑って徳重が続ける。 「嫁に頻繁にお注射届けてたのは藤原だ。自分が育てたアイドルや会社をいいように使われてしまった男は、金井や径を陥れようと狙っていた。なにより、柳葉だけは許せないと、復讐の機会を狙っていた」  そこまで聞いて口を開いたが、続ける言葉がなかった。徳重がそのまま続ける。 「あの日、柳葉が釈放されて、金井たちと揉めているところに藤原は何人か連れて殴りこんだ。どさくさに紛れて俺も続いた。径を狙い撃ちしてフルボッコにしてやった。藤原が銃で柳葉を撃った。金井が藤原を撃った。残念だが二人は死んだ。逃げようとする金井を殴って拉致した」  逃走したことになっている金井は鄭社長の元か、二度と現れることはないだろう。 「シゲジ、終わった。そろそろ時間だにゃ!」 「…シゲジはやめろ」  徳重が声を聞いて立ち上がる。思わず手を伸ばしてしまった。ゴスロリが、スマホを膝元に投げる。 「台本も書いてみたから参考にしてネ! シゲジが来たとこは『協力的な藤原』が来たことになってるから、シゲジの名前は出さなくても大丈夫だよーん」  またねーと、手を振って先を行く。指先に触れる徳重の手はゴツゴツとして固く、大きかった。手をひっこめようとすると軽く握って、また顔を寄せてくれた。 「すぐ会える。呼べばいつでもオマエのもとに行く」 「……嘘つき」  徳重は瞼に口接けて微笑むと、白衣を翻して部屋を出て行った。

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