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第13話
ずりっ
ずりっ
闇の濃い中から現れたそれを見て僕は叫びたかった。
元は人間だったとしても、もうそれは人間の姿を留めていなかった。
長いこびりつく様に顔に張り付く髪は、汚れ、絡み合い、塊のように頭て絡み合っていた。
汚れきった服は血と排泄物で汚れていた。
ガリガリに痩せきった身体、這ってこちらに、向かってくる指は何本も噛みちぎられ、血を流している。
「生きたまま・・・死ぬまで閉じ込められられてたんだ・・・」
恐らく食糧も水も与えられず。
空腹から自身の指さえ食べたのだ。
そして、多分・・・ネズミに喰われた。
何故わかるのかって。
わかる。
その女の上半身はガリガリの汚く痩せきった姿だが、その下半身は巨大なネズミのそれだったから。
「こめこそとこそめこおよわる!!」
それは叫んだ。
キイキイ
キイキイ
何かがきしむような音がそれに応えた。
ソレの後ろの闇が波打った。
きしむ音をたてながら
僕はそれが何なのかをわかりたくはなかった。
アイツは気絶しそうになっていた。
ソレの後から沢山のネズミが群れになって溢れてきていた。
それは凄まじい数で・・・。
僕は悲鳴を・・・。
上げるまえにアイツが悲鳴をあげた。
「俺はネズミだけはあかんのやぁ!!!!」
アイツは叫んだ。
あらゆる意味で絶対絶命だった。
僕は廃材の残り、角材を掴んだ。
アイツも震えながら、持ってきていた鉈を掴んだ。
武器にもなるし、道具にもなると思って持ってきたヤツだ。
闇がざわめく。
ソレは僕達をみて笑った。
ネズミに喰われ、骨が剥き出しになった顔がつくる笑顔は凄まじかった。
目だけが膿んだように熱をはらんでいた。
「はさなやまあからやゆね!!!」
叫ぶ声にネズミが呼応する。
キイキイと鳴く声のデカさに絶望する。
何匹おんねん。
「まず、ネズミをなんとかせんと、檻には入れん」
ネズミが僕達を餌と認識していることは分かっていた。
「それに、アレをその間足止めしないと」
僕の言葉にアイツは頷いた。
気絶しそうになってるのがわかる。
頼む。
頼みの綱はお前だけなんや!!
「気を失うな!」
僕は怒鳴った。
「わ、分かってるわ・・・」
アイツはガチガチ震えていた。
あの恐ろしい姿のアレにではなく、ネズミに対して怯えているのがわかった。
「アレ・・・はここに足止めする、とりあえず逃げるぞ」
アイツは背負ったリュックのポケットから何かを取り出した。
人型に切られた紙で、墨で何かが書いてあった。
それに息を吹きかけ、宙に放した。
ヒラヒラと紙は宙に浮かび、ソレの方へとながれていった。
「逃げるぞ!!とりあえずネズミなんとかしよ!」
アイツが叫んだ。
僕は角材を持ったまま走る。
アイツも走る。
キイーッ
キイーッ
ネズミ達が鳴いた。
きしむような声と、小さな沢山の足音が追いかけくる。
振りかえった。
ネズミの群れが雪崩のように見えた。
見えてしまった。
たくさんの黒い目だけがキラキラしていた。
たくさんの口の中の赤さと鋭い歯がみえた。
追いつかれたら、喰いつくされる。
でも、ソレはその追うモノの中にはいなかった。
それくらいだった。
良いことと言えるのは。
隣りのアイツの膝が折れた。
慌てて支える。
そうだ、コイツには全く体力がない・・・。
それにあの妙なサボテンで体調は良くないはずだ。
「アカン・・・」
アイツ崩れそうになる。
僕はとっさにアイツをかついだ。
「・・・お前何・・・アホ、お前まで・・・」
アイツが何か言いかけた。
「うるさい、黙れ!」
僕は怒鳴って走りつづけた。
とにかくネズミをなんとかしなければ!!
アイツを担いで逃げるのは限界があった。
もう、足元までネズミが来ていた。
何度かネズミが足に飛びつくのを感じた。
ふくらはぎを何度か噛まれた。
それでも止まるわけにはいかない。
僕が止まればアイツもネズミに喰われて死ぬ。
僕は広いホテル跡を疾走していた。
でも、足の痛みは増していき、体力の限界は近づいていた。
小さな足音が波のように聞こえる。
「次の部屋に飛び込め!」
アイツが言った。
いや、部屋に入ったら行き止まりになるだけだろ。
「ネズミはオレが止める」
アイツが言った。
僕に担がれていて何ができる・・・そう思ったけれど、アレをアイツが足止めしたのは事実だし、何かあるのかもしれない。
僕の肩の上でアイツが呻いた気がした。
ネズミの金切り声が高くなった。
何だ。なに何をしたんだ。
そしてアイツが叫んだ。
「今や!飛び込め!」
僕は飛び込み、ネズミか入るまえにドアをしめた。
僕はその時、確かに見た。
ネズミは山のように何かに群がっていた。
僕達を追うのをやめて。
砂糖にたかる蟻のように。
何や。
アイツは何をネズミ達にやったんや。
だけどそれに夢中になってくれたから、ネズミの群れが部屋に入るのは食い止められたのだ。
何匹か一緒に入ってきたネズミはたたき殺した。
そこでやっと肩からアイツを下ろした。
アイツが言った。
「リュックにタオルが入ってる。それを廃材に巻きつけて、自転車用の油をつけて松明にするんや。ライターも入っとるはずや」
動物は火を恐れる。
アイツはそう言った。
なるほど。
さすがに頭がいい。
でも、ソイツの様子がおかしい。
顔が真っ青なのはサボテンを食べてからだけど、なんで片手を隠している。
「お前どないしたんや」
僕は尋ねた。
アイツの鉈が床に落ちていた。
血がついている。
「・・・リュックの中に紐があるよこせ」
アイツは答えずにそう言った。
砂糖にむらがる蟻。
僕はネズミが何かに群がるのをそう思った。
アイツは何をネズミ達の砂糖にしたんや。
僕はアイツが右手で抑えて隠す左手を無理やり見た。
血が溢れていた、。
アイツの小指は・・・斬られていた。
アイツは自分の小指をネズミ達の餌として引きつけるために僕の肩の上で鉈で切り落としたのだ。
「お前・・・」
僕は絶句した。
僕が昨夜握りしめた指。
僕の物を扱いたアイツの綺麗な指。
肉体労働とは縁のなさそうな細い指。
それがネズミの餌に・・・。
僕は呆然とした。
「死ぬよりマシやろ、指の一本くらいでびびんな、アホ!」
真っ青な顔のアイツに怒鳴られた。
「オレはサボテンのおかげで痛みはそんなにない。大丈夫や。はよ紐よこせ。止血しなあかんのや。そして松明作れ!」
アイツの言葉に言われるがままに動いた。
アイツは紐を口を使って指の根本をくくって血を止めた。
僕はその間に角材鉈で半分にし、タオルを巻きつけて、油をふりかけた。
火を付ける。
燃えた。
「さあ、行くぞ」
アイツが言った。
ネズミの群れを抜けてソレのところへ。
僕は鉈を腰のベルトにさした。
「ああ・・・」
僕はただただ圧倒されていた。
コイツ・・・。
僕はコイツに本当に惚れている。
コイツの強さに惚れている。
好きになるのを止められない。
「でも・・・オレの腕は掴んどいてくれ!オレは・・・ホンマにネズミはあかんのや」
アイツがガチガチ震えていた。
可愛い。
可愛い。
また違う意味で惚れてしまった。
ドアを開けたらネズミはなだれ込んできた。
でも、松明の炎に下がっていく。
僕とアイツは床を払うように松明を動かしていく。
ネズミの海が割れる。
でも、ネズミ達が一定の距離を保ってついてくるのを感じていた。
この松明の火がなくなる瞬間、ネズミ達は僕達を襲うだろう。
ガチガチ震えるアイツを支えながら僕は歩いていく。
もうすぐ、あの部屋の前だ。
「てのれほり!」
「てぬそろん!」
叫ぶ声か聞こえいた。
ソレの声だ。
そして、人間の叫び声も。
えっ、僕達以外に誰かいるんか。
僕は焦った。
その人がソレに貪られている?
おかしい、呪われているのは僕だ。
殺されるのは僕でないといけないのに。
もう、夕暮れ時は終わりに近づいていた。
闇は濃くなり、ソレと貪られる人間は遠くからはぼんやりとしか見えなかった。
アイツは人が貪られているのに平然としていた。
それどころか言ったのだ。
「今の内に檻まで走るんや、アイツが喰らっているうちに!」
アイツの言葉には拒否できないものがあった。
「でもお前、ネズミの中に取り残され・・・」
僕が檻に入ってしまったら、アイツはネズミのど真ん中に一人でたたなければならない。
松明が消えればおそってくるネズミ達の中に。
ネズミあかんのに。
「ネズミなんかおらん」
アイツは言い切った。
いや、おる。
キイキイ声してるやん。
周りいっぱいおるやん。
「オレには見えん!」
アイツは言い切った。
・・・見えないことにすることにしたらしい。
目が据わっていた。
「・・・わかった」
こんな時だけど僕は笑った。
僕は松明を抱えて駆け出した。
誰かを貪るソレの横を抜け、部屋に飛び込み、檻の中に入り檻のドアをしめた。
でも、僕は見た。
確かに見た。
僕は見た。
ソレの横を駆け抜けた時に。
ソレは人の上にのしかかっていた。
汚れたネズミの姿の下半身が、その人の腹を押さえつけていた。
生々しいピンクのネズミの足は腹にめりこんでいた。
メリメリとその人の腕が引っ張られ裂けはじめていた。
ソレが干からびているようにやせた細い腕なのに、凄まじい力でその人の腕を千切れるまで引っ張っているのだ。
そしてその人の指は、ソレと同じように全部噛みきられていた。
ソレの顔は皮膚や肉が食われ、骨が所々剥き出しになっていた。
その恐ろしい汚れた顔を近づけられて、嫌悪と恐怖と苦痛で顔をゆがめて叫んでいたその人は・・・
僕だった。
僕だったのだ。
僕がソレに貪られていたのだ。
どういうことだ。
僕は混乱した。
「ふこんととよはろに!!」
ソレが絶叫したのがわかった。
ドアが開いてソレが飛びこんきた。
ネズミの足と人間の指を失った腕で這ってきたとしたらとんでもない速さだ。
ひらり、白いものがそれと一緒に檻の中に飛んできた。
僕の名前が書いてある人型に切り抜かれた和紙だった。
その人型には帯のように紙がまかれていた。
僕はその帯をとる。
その中には恐らく・・・僕のものと思われる髪が入っていた。
多分、アイツがしたのだ。
この紙を使い、ソレの足を止めるための僕の身代わりを作ったのだ。
だってソレに貪られていたアレは・・・僕だった。
でも、僕が横を通ったことで、ソレが僕に気付き術がとけたのだろう。
「あなかやろらさ!!」
ソレが檻の外から叫んだ。
僕はベルトに差した鉈を抜き、構えた。
ソレが物理的に僕を襲えるのなら、僕の攻撃もアイツに通じるはずだ。
だが、ソレは檻の前をズルズルと這い回るだけだった。
アイツの言った通り、檻には入ってこない。
ソレにはこの檻がそれだけ恐ろしいモノなのだろう。
ソレは叫ぶが檻には近寄ろうとはしなかった。
で、どうするの。
ここから。
僕には考えもつかなかった。
「いいか、今からオレがソレを引きつける。そしたらお前は檻から出て、ドアを閉めるんや、いいな」
アイツがドアの外に立ってこちらを見ながら言った。
ソレはアイツには目をやろうともしない。
ソレが見ているのは僕だけだ。
そうだ。
呪われているのは僕だ。
だからアイツは大丈夫・・・。
いや、指を失って大丈夫はないけれど。
でも、どうやって引きつける?
また、身代わりを作るのだろうか。
「約束しろ、絶対にドアを閉めろ」
アイツは言った。
「お前を殺し終えたら、コイツは法則から自由になる。この場所に縛られることもなくなる。絶対にコイツを自由にしたらいけない」
アイツは言った。
「わかった」
僕は頷いた。
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