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モンスター~ピュア 第5話
コイツの母親ならまだ若いだろ。
「お気の毒に」
オレは心から言った。
子供を遺して死ぬ母親の辛さや遺される子供の辛さ。
それはオレには計り知れないものだろう。
「いや、死にたがっていたからな。死なせてやれて良かったよ。この人は随分苦しんだからな」
アイツは愛しそうに、母親と猫の画像を指で撫でながら言った。
オレは凍りつく。
何、それ。
「関西のお好み焼き屋の娘で、普通の家の普通の人だったんだ。恋人もいて結婚も決まっていた。・・・なのにオヤジと出会ってしまった。偶然、たまたま、不幸なことに。オヤジはオレの母親に惚れ込んだ。無理やり自分のモノにした。母親の意志なんて関係ない・・・可哀想に子供まで産ませさせられてな」
アイツは他人事のように気の毒そうに言った。
オレは言葉もない。
「自分の両親や兄弟を人質に取られたようなものだったから、大人しく従っていたけど、それでも前向きな人だったから、それでも笑っていたけど、産まさせられた子供にもとても優しかったけど・・・嫉妬に狂ったオヤジに恋人まで殺されたらなぁ。この人はずっと心の中で恋人を愛していたからな。言葉にさえしなかったけど。・・・隙を見てとうとうオヤジから逃げた。死ぬ以外に逃げる方法はなかったからな」
アイツは優しい目で画面を見ていた。
良かったのだと思っているのがわかった。
母親が逃げられたことを喜んでいるのだと。
「あっちで恋人と、猫と幸せになってるさ。猫も次の年に死んで母親のとこに行った。コイツは母親しかなつかなかったからな。コイツだけだ。オヤジに傷を負わせても殺されることもなかったのは。オヤジは母親の猫だから絶対に手を出さなかったからな。オレも散々噛まれた。でも、オレはホントは好かれてたんだからな」
アイツは言い訳みたいに付け加えたけど、絶対お前も嫌われてたと思う。
「オレはオヤジとは違う。あんたがオレを選んでくれなければ諦める。オヤジみたいに縛り付けたりしない」
また抱き寄せられた。
「あんたもオレの母親と同じだ。金やモノをいくら与えられても嬉しくないんだろ、物書いたり、本読んだり、生徒のための授業を考えたり・・・あんたらしく生きるのが好きなんだろ。それを奪ったりなんかしない。あんたはあんたのままでいいから・・・オレを愛してくれなくてもいい。嫌いでさえなければいい・・・オレといてくれ」
アイツはオレを強く、でも決して壊さないように抱きしめた。
「愛してくれなくていい・・・無理しなくていい。それがどんなに辛いことなのかオレは知ってる。母親はオレを愛そうとしてくれた。苦しみながら愛そうとしてくれた。愛せないことにあの優しい人は苦しみぬいた。苦しむくらいなら・・・愛さなくていいんだ。嫌わないでくれれば・・・」
アイツの声が苦しい。
何でそんなこと言うんだ。
「でも、猫はオレのことを好きだったんだぞ、ホントだぞ。・・・コイツは母親が一番好きだったから。あの家で母親が愛せるのは自分だけだったことを知っていたから、母親以外に優しくしなかったんだ。オレの母親にだって愛し愛されるモノがあってもいい。あの人は全てを奪った男に閉じこめられ、子供を生まさせられ、その子を憎まず必死で愛そうとしていたんだからな。憎い男に生き写しの生き物を。猫だけだ。だから猫もあの人だけに愛を向けた。それだからあの人は救われたんだ、少しは」
愛されなかった子供はそれでも母親を想う。
自分の悲しみは差し置いて。
オレの胸がいたむ。
「オレは猫が好きで、ずっと好きだったけど、母親が死ぬまでは猫はオレを受け入れてくれなかった。猫は母親に忠誠を誓ってたんだろ。だって母親の敵だ。オレもオヤジも全員が。母親が庭にいたコイツを助け出したからな。母親がオヤジを出し抜いてやっと自殺出来た後も、オレに身体は触らせてくれなかったけどな。・・・でも、少しずつ弱っていって、とうとう亡くなったあの日、オレに抱かれることを許してくれた」
淡々と語られる話に苦しい。
愛されなかった子供。
子供は猫が死ぬ間際に自分に心を許してくれた話を大切にしてきたのだとわかった。
この、身体だけは大きい、淫らなセックスをする、それでも・・・16才の少年にとって、死ぬ間際に猫が心を許してくれたことが、数少ない愛情の記憶なのだ。
大切な記憶なのだ。
「オレに・・・甘えるように鳴いてオレの腕の中で死んだ」
それを甘い記憶としてアイツは口にした。
猫に与えられた愛情を大切に大切に持ちつづけなければならなかったコイツの今までに、胸が詰まった。
母親から愛されなかったことを、母親への同情としているコイツの想いに苦しくなった。
「オレといてくれ。愛さなくてもいい。嫌わないでくれればいい。愛して欲しくてあんたを好きになったわけじゃない。母親みたい苦しみながら愛そうなんてしなくていい。オレに怒鳴れるあんたがいい。オレを殴れるあんたがいいんだ・・・」
どんな口説き文句より、真摯な言葉で欲しがられた。
悲しい位、切ない言葉だった。
何も言えなかった。
だけど、重ねられた唇をはねのけることなと出来なかった。
切ないほどに欲しがられるキスが悲しかった。
少年、なのだ。
まだ、子供なのだ。
愛されたことのない子供。
だけど、そのキスは淫らで熱くて・・・オレは自分から舌を絡めた。
またアイツのスマホが鳴るまで、そのキスは続けられた。
「さっさと行け!!」
オレはウンザリしながら同じことを繰り返した。
アイツは今日はパーティーとやらがあるらしい。
跡継ぎとして、そろそろあちこちに顔見せみたいなのをしなければならないらしい。
玄関前で大型犬に行かないでくれ、と抱きつかれる飼い主の気持ちを味わっている。
いや、大型犬じゃなくて、ゴリラだし、玄関から出て行くのはコイツなんだが。
「先生・・・明日は7時からはスケジュール空いてるだろ?飯作ってやるから、腹減らせて待っててくれ・・・行きたくねぇ・・・」
オレに頬ずりしながらゴリラが言う。
「わかったから行け」
オレは呆れながら言う。
アイツは渋々離れる。
そして、なんかモジモジしながら言いにくそうだったが話し始めた。
「先生・・・実は今、隣の部屋にオレんとこのヤツと、まあ、何、オレが先生と会うまで使ってたような商売のヤツがいて、このマンション一緒に出て行くけど・・・誤解しないでくれよな。オレこのマンションの部屋、愛人と会うための部屋として借りてることにしてるんだ。先生のとこに来てるのは・・・オレんとこのヤツでも一人位しかしらねぇんだ。勘違いしないでくれ、先生の存在を隠したいわけじゃねぇ、全世界に愛してるんは先生って叫びたいんだ、オレは。でも、でも、先生を狙うヤツがいちゃいけねぇ・・・」
何か早口で言ってた。
なるほど。
オレがコイツの恋人だと分かると、オレを狙うヤツがいるのか。
コイツ、本当に住む世界が違うんだな。
ただ、金を持っているのとは・・・違う、違う世界の人間なんだ。
配慮はありがたい。
だって恋人じゃないからな。
違うのに狙われたらたまったもんじゃない。
とにかく、このマンションから愛人と出て行くところをわざわざ見せる必要があるのか。
「分かったから行け」
オレは何度めかになる言葉を言った。
アイツのスマホは鳴り続けている。
電話相手はさぞかしイライラしているだろう。
「先生・・・」
アイツは唸って、もう一度オレを抱きしめた。
それはいいんだが、いや、もうゴリラに抱きしめられるのを慣れてんのはダメだろ、アイツに尻をもみしだかれ、狭間に指を這わされ呻いてしまった。
「ここ、可愛がってやるからな、待っててくれ」
囁かれ、オレはまたコイツを殴ったのだった。
ちょっと気になってしまって、ベランダからアイツが出て行くのを見てしまったのは好奇心のためだけだ。
アイツ以外のアイツの関係者なんか見たことなかったからだ。
決して、アイツが抱いていた、アイツ風に言うと使っていた、相手が気になったからじゃない。
絶対に違う。
でも、どんなヤツを相手にしてたんだ・・・、オレはキスから何から何までアイツしかしらないのだ。
最後まではしてないけど。
してないけど。
大体プロってやっぱり色々凄いんじゃないの?
オレとは違って、凄いことしてくれるんじゃないの?
大体なんでオレなんだ。
猫に似てる。
それ、かぁ。
まあ、猫に対する執着を聞けばバカバカしいともいえなくなってしまったわけで。
オレはベランダのプランターに水をやるふりをして、ベランダに行く。
このプランターもアイツが持ち込んできた。
アイツが持って来るのは米とか肉とか野菜とか、洗剤とか実用品ばかり名のだけど、これは違った。
ベランダをお花だらけにされてしまっていた。
もちろんアイツが世話してる。
190近いゴリラの中身は、家庭的なお母さんが入っているのだ。
お花が好きらしい。
殺人鬼みたいな顔をして。
自分で買ったことはなかったけれど、でも、確かに植物があるのは悪くない。
オレは水をやりながら下を見下ろした。
デカい黒塗りの車がマンション前に止まってた。
一応高級セダンだか、これ見よがしな車じゃない、お忍びモードなのだろう。
でも、いつもアイツが乗ってくるバイクとはさすがに違った。
さすがにアイツも車では来ない。
16だからな。
運転手付きの車なら免許はいらないけどな。
マンションからアイツが出てくるのが見えた。
げ、アイツ礼装なんか着てる。
タキシード?
いや、何か分からないけどスーツじゃないヤツ。
制服かジーンズ姿しか知らないオレはアイツの正装にびびった。
マフィアだ。
完全にマフィアだ。
十分過ぎる貫禄があった。
髪まで撫でつけられた隙のない姿は若きマフィアの幹部みあいだった。
それでいながら、粗暴さもあるのに、奇妙な育ちの良さも感じさせた。
闇の貴族。
そんな感じだった。
16には見えない。
その隣りにほっそりした青年と、ボディガード風の男が立っていた。
いや、アイツにボディガードはいらないだろ。
厳ついはずのその男は、アイツと並ぶと小さく見えた。
アイツの隣りに立つ青年。
オレより少し若いだろう。
驚くほどに綺麗な青年だった。
性別を超越するような。
肌がミルクみたいに白くて滑らかそうで。
顔や手以外、肌の一つも露出してないのに、高級そうなジャケットを羽織っているだけなのに、なんか、すげぇエロかった。
服を着ているからこそ、その綺麗な皮膚に覆われたしなやかな身体を想像してしまう。
高級、って言ってたもんな。
こんな人抱いてて・・・なんでオレなんだ。
ケガの疵痕もたくさんあるし、筋肉だってあるからそれなりにゴツい。
舌に甘そうに溶けそうになるだろうその身体と自分を比べて、なんかザワザワした。
何。
この感情。
すらりとしたあの身体を組み敷き、アイツが腰を叩きつけているのを想像してしまった。
そして、それは想像じゃなくて・・・本当なのだ。
あの長い青年の脚を押し広げ、アイツの巨体がのしかかる。
巨大なソレで青年を貫き、獣のように貪るアイツは、オレの想像で、想像ではなかった。
青年はオレとは違ってアイツの望みに全て応えただろう。
何度抱いたのだろう。
オレにしたみたいに耳をかじりながら、あの低音で囁いたのだろうか。
オレにしたみたいに、甘く乳首をその舌で溶かしただろうか。
何。
この感情。
オレは。
オレは。
アイツが未練がましくオレの部屋を見上げたのに気付いたけれど、その目を見ないで、背をむけた。
ムカついた。
アイツがあの青年と並んで車に乗るとこなんて見たくなかった。
そのくせ、走り去る車を見ずにはいられなかった。
何だよ。
この胸の痛みは。
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