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モンスター~ピュア 第7話

 アイツがオレに気付くはずかないと思ったけど、速くその場を去りたくて、俯き、足を早めた。  ひと月のお試し期間を受け入れてしまったことに後悔していた。    可愛い少年らしさを見せる笑顔とか、ベランダのお花とか、殴られても殴られても懲りずに抱きついて、嬉しそうに「先生」とよぶアイツの声とか、お好み焼きとか。  オレ、悲しくなってしまう。  これ、悲しくなってしまう。  駄目だ。  考えるな。  オレは目を閉じようとした。  でも閉じなかったのはその視線の先に気になるモノがあったからだ。  小型バイク。  古びた小型バイクが無造作にとめられていた。  ホテルの前なのに、これはおかしい。  それに。    そう、これ。  アイツの車がオレのマンションを出た時、このバイクがアイツの車を追うように駐輪場から出てこなかったか?  おかしいと思ったんだ。      マンションの駐輪場にあるバイクなら大抵知ってる。  だが、その古びたバイクは今までなかった。  兄貴が乗ってたから、オレはそのバイクが一部のほんの一部のマニアには人気なのを知っていた。  あのバイクは、今日まで駐輪場になかったのだ。  「誰かに見せるために」アイツは愛人とマンションを出た。  それはオレの安全を守るため、で。  つまるところ、愛人を狙う程、アイツも狙われているわけて、てか、アイツの方か本命だろ!!  オレは振り返った。  ヘルメットを被ったままの男がホテルの入り口へ向かっている。  車の方でも騒ぎがあった。    ボディガードが誰かを取り押さえていた。  誰かがアイツを襲おうとしたのだろう。  アイツは愛人を連れて何もなかったかのように歩いて入り口に向かう。  ・・・陽動だ。  ボディガードをそっちに向かせて、本命はこっちなのだ。  オレは走ってた。  何も考えず走ってた。  ヘルメットの男が何気ないふりをしながら、鞄に手を入れるのを見るより先に走っていた。  男が握ったのは間違いなく銃で。  でもまだ狙いを定めてない。  つまり、間に合った!!  オレは背後から男の頭を、脚を回し蹴り上げた。  銃声は響いたけれどそれは、大きく外れていたハズだ。    オレはアイツの方を確認する。  アイツがオレを見ていた。  驚いたように目を見開いている。  良かった。  無事だ。  回し蹴りは綺麗に決まった、けれど、ヘルメットが邪魔をした。  ふらつきながら、男は銃を持ったまま振り返る。  ヤバい。  でもこの場合・・・下手に背中を向けて逃げるよりかは・・・。  オレは腹を決めた。  銃の狙いを定める前に、コイツを倒す。  それがわかっていたのか、相手はデタラメに狙いも定めず撃ってきた。    銃声が響く。  そうだよな、オレは納得する。    体のどこかに当たりさえすればそれでダメージを与えられるし、当たらなくても撃たれればビビる。  オレの肩を銃がかすめたしな。  肩が熱い。    でもオレは止まらない。  オレはビビらない。  オレが格闘技やってるから、とかそういうんじゃない。    オレはわきまえている。   ちゃんと恐怖を理解し、無謀はしない。  でも、今のオレはビビらない。  オレは怒ってるからだ。  お前、アイツを撃ったな?  お前、アイツを殺そうとしたな?  許すわけないだろ!!  オレは間合いに踏み込んでいた。  アイツの顔はもう狙わない。  ヘルメットがある。  確実に効く場所だ。  オレは金的、つまり、睾丸を狙った。  男がもう一度銃の引き金を引くより先に、真っ直ぐ前蹴りを叩き込んだ。  引き金は引かれた。  後ろに悶絶しながら倒れながら。  それは空に向かっていっただろう。  オレはきちんと倒れた相手の顔に寸止めの突きまでしておいた。  残心。   倒れた後まで油断しないのが空手家なんでね。  ま、ヘルメット被ってるけどね。  でも倒れた相手の身体がオレの目の前でフワリと浮かび上がった。    え、なんで?     オレは驚いたら、ゴリラがその男のヘルメットを被ったままの頭を片手で掴んで持ち上げていた。  目がつり上がり、咆哮するかのように犬歯が剥き出しになっていた。  ブラブラと片手で縫いぐるみでもぶら下げているかのように、アイツはその男を持っていた。  ぐおぉぉぉ  獣が吠えた。  獲物を手にして吼えた。  空に向かって吼えた。  怖い。  オレは本気でびびった。  ミシミシ音がしてる。  アイツが掴んでるヘルメットがきしんでるのだ。    握力に耐えかねて。  何、何、何なの?  何なのこれ?  バキュッシュ    ヘルメットがはじけた。  「うわぁ!!!」  悲鳴を上げたのはオレだった。  ありがたいことに、ありがたいことに、中身は潰れず、気絶したままのその男はヘルメットがなくなり、地面に叩きつけられただけですんだ。  片手だぞ。  片手で握り潰すか!!  何なの!!  お前!!!  でもアイツは唸りながら、またその頭を掴んだ。  いや、潰さないで、潰さないで・・・怖いから。  でもオレはへたり込んでしまって立ち上がれない。  ヤバい。  腰が抜けるってこんな感じ?  アイツはまた縫いぐるみの頭を掴んで持つようにその男を持ち上げた。    いや、頭潰さないで・・・スプラッタ怖いから、怖いから!!!  声も出なくなってるオレの前でアイツはさすがにソイツの頭をりんごみたいにつぶしたりはしなかった。  頭を掴んだまま、身体をホテル前の石畳に叩きつけ始めただけだ。  犬が縫いぐるみを地面に叩きつけて遊ぶみたいに。  頭を掴んだまま、片手で男は何度と叩きつけられていく。  骨が折れる音が・・・・。  バキッ  ゴキッ  ゴリッ  オレはそこでやっと正気にかえった。  「止めろ!!」  オレは叫んだ。  アイツがピタリと止まった。  アイツがそれでも片手に男の頭を掴んだまま、ゆっくりと振り返った。  それは無表情で恐ろしくはあってたけど、まあ、通常の怖い顔で。  まあ、言うなら通常運転だった。  「先生、コイツは先生を殺そうとしたんだぞ」    唸るように言う。  「いや、お前を殺そうとしたのをオレが倒したんだ」  ここはキチンと言っておきたい。  「なのにお前は!!オレかせっかく助けたのに逃げもしないでなんでこんなことするわけ?ボディガードはどうしたんだ!!」  オレは怒鳴りながら、後方を確認する。  銃撃を受けた時点でボディガードが安全な場所へ避難させるはずだった。  ボディガードがのびていた。  ホテルの入り口で大の字になってた。  マジか。  コイツ、ボディガードを気絶させてオレを助けに気やがった。  「オレが守った意味がないだろ!!」  オレは怒る。  アイツは片手に男を掴んだまま、しょげたように俯く。  ブランブラン男をぶら下げたまま。  子供が泣きながら乱暴に縫いぐるみをぶらさげているみたいだった。  いや、それ、縫いぐるみじゃないから、血、吐いてるから。  「先生が危ないのに・・・」  アイツはそれでも続ける。   「オレはちゃんとコイツを倒してただろ!!お前はオレが倒した後のヤツを殺そうとしてるだけ!!もう、それを離してやれ。殺すな」  オレはもう死んでるかも、と思いながら一応言う。    アイツは渋々、ポイっと男を放り投げた。  呻き声かしたから、良かった、生きてるらしい。  コイツが殺人者になるのは嫌だった。  「先生・・・」  アイツがジリジリと近づいてきたから叫ぶ。  その目に飢えのような光を感じた。  コレ、アイツが襲いかかってくる、ベッドの上でオレを裸に剥く時の目じゃないか。    「待て!!」  アイツはオレの言葉に止まった。  ヤバいとこだった。  コイツならする。  公衆の面前でオレを抱きしめてキス位、平然とする。  さらにもっとすごいことも平気でする。  「先生・・・オレはオレは・・・あんたが心配で・・・」  切ない声に、胸がかきむしられる。  なんだよ、これ。  おい。    「先生・・・先生・・・」  アイツが泣きそうな声でオレに手を伸ばす。  オレに触れたくてその手は震えていた。  「とにかく、とにかく・・・落ち着け」  オレがそう言った時だった。   アイツの背後に何かキラリと光るモノが見えた。  何かが反射した。  正確に云えば、俺達の背後にそびえ立つホテル、その3階、不自然に半分だけ閉められた部屋の窓から何かが光った。    理屈じゃなかった。  なぜかダメだ、そう思った。    心臓。  そう思った。     オレは走ってアイツの伸ばされた腕の中に飛び込んでいく。  アイツは目を丸くしながら、その両腕を広げる。  なんか、めちゃくちゃ喜びながら。  いや、違うから。   そういうのじゃないから。  公然とラブシーンする趣味ないから。    いや、公然じゃなければいいわけでもないから。  オレはアイツの首にかじりついた。  アイツがオレを抱きしめた。  馬鹿。  何故泣く。  抱きつかれただけでそんなに嬉しいか。  いや、抱きついてないからな、コレ。  オレはアイツの脚を刈り、アイツを巻き込むように引き倒した。  アイツの上にオレはのしかかるように二人倒れていく。  銃声は遠く感じた。  音はそれ程しなかった。  拳銃の方が大きかった位だ。  そしてオレは背中に熱さを感じた。    それは死ぬ程熱かった。      アイツはオレをしっかりと抱きしめていた。  そしてアイツが叫ぶ声と、アイツがオレを抱えたまま、跳ねるように起き上がり、追撃を受けない場所へ走るのを感じた。  そうだ。  そう、それでいい。  お前は・・・逃げなきゃいけなかったんだ。  狙われてんのはお前なんだから・・・。  「先生!!せんせぇ!!」   どこかに横たえられ、アイツが叫んでるのが聞こえる。  なんて声だ。  そんなにつらそうな声出すなよ。  その声はやめろ。  撃たれたのがお前じゃなくて良かった。  本当に良かった。  どんどん色んな音が溢れていく、中で、悲鳴やサイレンや、怒声の中で、アイツが泣き叫ぶ声を聞いて、撃たれた背中より胸が苦しかった。  泣くなよ。  ホント、頼むから。  「せんせぇ!!!!」  少年が泣いてる。    一人ぼっちの少年が泣いてる。  死んだ猫を抱きしめて泣いてる。  空を仰いで吼えるように泣いてる。  泣くなよ。  オレが。  オレがいるだろ?  な。  もう一人じゃないだろ。  オレは意識を失った。       

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