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ラブソング~ピュア

 男は酷いことはあまりしない。  優しいくらいだ。    キスも優しい。  大きな指は優しく触れる。  もうすっかり慣らされた身体は甘く溶ける。  彼女はもう逆らわない。  逆らう方が、男は彼女を甘く苛み続けるから。  甘く責められ、「お願い・・・許して」そう泣かされるのは辛い。  快楽にとけて、何も考えない方がいい。    彼女が好きなように抱いてくれているのは分かっている。  この男は楽しむためになら、別にいくらでも相手はいるのだ。  もっと綺麗で、もっと楽しめる女や男が  そして、彼女のところへ来ない日には、その人たちのところに行っているのだ。  だけどこの寝室で抱くのは彼女だけ。    男は何故か彼女に執着した。  妻の座にも座らせた。  その理由はわからない。  わかるはずもない。   わかったところで。  もうどうしようもないのだ。  優しく服を剥かれ、両手で頬を挟まれキスされる。  男のキスは触れる時から優しい。  触れる時の指の先まで優しい。  絶対に優しくない男の優しさに怯える。  絡められる舌も、擦られる唇も、甘く舌を噛む歯でさえ優しかった。    優しくされる理由すらわからない。  優しさなんて、男と彼女の間には何の意味もないのだから。  彼女は従順に全てを受け入れる。  そうすれば男が彼女の愛する者を誰も傷つけないのなら。  最初からそのつもりだった。  なのに。  なのに。  彼女は考えない。  今は考えない。  男が出来るだけ体重を彼女にかけないようにのしかかり、彼女のささやかな胸を甘く吸いはじめた。  豊かな胸も何もない、この痩せた身体に何故男が固執するのがわからない。  何故、絶対に壊さないように大切に抱くのかも。  男は自分の快楽のためではなく、彼女に快楽を与えるように抱く。  冷たい目で。    でもその唇は優しい。  舌で乳首を転がされ、甘く吸われた    そのあまさに、彼女は声をあげ、身体をしならせた。    男と出会ってしまった。  何故男がそんなところにいたのかはわからない。  男が来るようなところではなかった。  賑やかな下町。  割と流行っているお好み焼き屋を彼女の家は営んでいた。  彼女は高校を卒業してからは家業を手伝っていた。  跡継ぎのはずの弟は、音楽キチガイでろくに手伝いもしないで路上やライブハウスで歌ってる。  でも、弟の歌もギターも彼女は好きで、彼女は弟を応援していた。  高校生から付き合っている恋人とは、大学院を彼が終えたら結婚しようと約束していた。  口下手で気の弱い恋人は、それでもとても優しくて、彼女は恋人が大好きだった。  家の仕事も好きだった。  幸せだった。  ちょっと忙しくても。  ちょっと恋人と会えなくても。  ちょっと弟があかんたれでも。  何故あんなとこに立っていたのだろう。  本来男は一人では出歩かない。  なのに、あの日雨の中、男は彼女の店の近所で立っていたのだ。  雨の中。    冷たい雨の中、ずぶ濡れになっている大きな身体。  190センチはある。  ずぶ濡れの身体が身につけた物は、頭の先からつま先まで高級品なのだとわかる。  男らしく整ったその姿は無表情のため、まるで彫像のよう。  ただ、その目には闇しかない。    賑やかな店が並ぶ通りで、その目立つ男に目をやるものはいない。  誰もが思うのだ。  「見てはいけない」「関わりになってはいけない」  この男は恐ろしい者だと。  彼女も一瞬怯えたけれど、でも、と彼女は思ったのだ。    誰であれ、雨に打たれるのは気の毒だと。  今ならそのまま雨に打たれさせることを選択するのに。  「あの、私家そこやから、傘使うて下さい」  彼女は出来るだけ明るく声をかけた。  男は車道を見ていた視線をゆっくりと彼女に向けた。  何の表情もない。  なんて冷たい目。  今でも男に感じる恐怖を彼女は感じた。  でも彼女は男の手に自分の傘を渡した。  男の手をとった時、男の指がふるえた。  「使うて、なぁ?」  彼女は少し微笑んだ。  男の目が驚いたように見開かれた。     美しいのに、光がない。  彼女はやはり怖くなって、傘を渡すとそのまま走り、逃げるように店に向かった。  それだけ。  なのに地獄は翌日から始まった。     文字通り、奪われた。  言葉だけ丁寧に、連れ去られた。  自宅に押しかけて来た連中は、高いスーツを着ていて、物腰も柔らかで、犯罪者には見えなかったけれど、犯罪者と変わらなかった。  銃を向けられ父親と母親は泣いた。  暴れる弟は一撃で気を失った。  それを見て、決めた。  自分から行くと。  家族を傷付けたくなかった。  丁寧に扱われた。  飲み物まで出てくるリムジンに載せられ、連れて行かれた。   でも、縛られてトランクケースに詰め込まれるのとなにも変わらなかった。  飛行機に乗せられた。    自分一人のためだけの飛行機に。    そして、屋敷に連れて来られた。    そこに、あの男がいた。    傘を貸した男が。  男はほんの少しも待たなかった。  何の言葉もなかった。    ただ、手を差し伸べた。  彼女は躊躇しながらそれを取った。  気絶した弟。  泣いている両親。   最初から拒否などできなかった。  手を引き寝室へ連れて来られた。  美しい天蓋付きのベッド。  男は部屋に入ると彼女を抱き上げそこへ連れていった。  彼女は泣き、震え、怯えていた。  男は何も言わなかった。  優しく服を奪われた。  シャワーさえ許してもらえなかった。  ただ、優しいキスを繰り返し、涙を舐めとり、それでも優しく容赦なく彼女を抱いた。  泣いて震えるだけの彼女を。    それでも彼女は耐えた。  男の恐ろしい目が自分を見つめ続けるのにも。  負担にならないようにしてくれても、大きな男のモノを受け入れる困難にも。  どこまでも優しいその指が何よりも恐ろしくても。  何度も優しく名前を呼ばれることに恐怖を感じた。  恋人の名前を呼んで助けを求めたくなるのを必死で耐えた。  優しい優しい無器用な愛しい恋人。   会いたかった。  これが終われば帰してもらえるかもしれないことに期待しながら彼女は耐えた。    その日から家に帰ったことはない。  両親にも会ったことはない。  「悪いようにはしてない」  男はそう言った。   そう信じるしかない。  恋人と弟には会えた。  一度だけ。       

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