74 / 80

第74話

 僕をあの人は固まったまま見つめていた。  身動き一つしない。  「あの、こんにちは」   僕はおずおず挨拶をしてみたけれど、あの人は動かないままだった。  ベンチに座ったまま、オレを見つめ続けている。   「あの」  僕はとりあえず、隣りに腰かけてみた。    病院支給のパジャマの上にカーデガンを着たあの人の左腕はやはり無くなっていて、僕の胸は痛む。  リハビリ病院でリハビリ中なのだ。  「君のせいだとかだけは思うな。絶対に。アイツが勝手にやったんだ」  教授にはそう言われたけど。  でも。  あの人は僕の動きに合わせて、首を動かし僕 を見つめ続けるけれど、やはり何も言わない。    左に座ったので、無くなったあの人の腕があって、中身のない袖に僕は苦しくなる。  僕は袖を掴んで思わず泣いてしまった。  「ごめんな、さ」  言いかけた僕をあの人が急に抱きしめた。  あの人の頬が僕の顔に擦り付けられる。  髪をかき乱される。  「ヤバい、このまま押し倒したい」  あの人が僕の耳元で囁いた。  僕は赤くなる。  この人は何を言っているのだろうか。  ここは病院の前のベンチで。  「分かってる。でも会いたかった。ずっと会いたかったんだ」  あの人は囁き、僕の頬に唇を落とす。     人が通る所なので僕は困ってしまう。  この人は有名人らしいのに、公衆の面前で男の僕相手にこんなことをしていていいのだろうか。  男相手に性行為をするのは、人間ではまだ少数派なのだと知ったのは最近なんだけど。  僕は神様との性行為を推奨されてたから、世間のことは知るわけもなかったんだけど。  でも、人前は恥ずかしい、僕だって。  僕は一生懸命押しのけるけれど、腕一本しかないのに、この人の腕からは逃げられない。  「嫌がらないでくれ」  あの人が切なそうに囁く。  「人前は嫌です」  僕は必死で訴えた。  「そうか」  あの人は納得した。  そして立ち上がり、僕の腕を掴んで歩きはじめた。    

ともだちにシェアしよう!